- 2005−12−29(木)の夜
ここ数日は、家の壁にペンキを塗ったりとか家の大掃除をしたりとかで慌しかった。それにしても、12月末だというのに暖かい。3日前は最高気温が摂氏27度にまでなったらしい。
今日は、大学院時代の友達がテキサスの実家に帰省したついでに、奥さんと一緒に遊びに来てくれた。彼の実家はここから1時間半ほどらしい。大学院時代の友達とテキサスで会うというのはちょっと変な感じがするけど、とても嬉しいものだ。
僕の家でコーヒーを飲んで喋って、大学院では誰が今どうしてるとか、どの教授が移籍しそうだとか、そんな話で盛り上がった。それから大学の僕の研究室に連れて行った。
研究室に張ってある母校の旗の下で記念撮影。
それから、テキサスの名物料理、バーベキューを食べに行った。テキサス出身の彼が「最高のバーベキュー」と太鼓判を押す「Rudy's」という店。非常にテキサス的な雰囲気の店で、食器の代わりに紙の上に肉を置いて食べる。
店オリジナルのバーベキューソースがとても旨かった。
彼は「ミシガンでこの味に飢えてるんだ」と、故郷の味に満足しているようだったが、僕もテキサスの味に大満足だった。
- 2005−12−24(土)の午後
アメリカでは、クリスマスを祝わない人々(イスラム教徒・ユダヤ人など)への配慮から、「メリー・クリスマス」の代わりに「ハッピー・ホリデーズ」という言葉が使われることがある。これならば誰に対しても使えるし、異文化への寛容を示す言葉だ、ということだったはずだが、熱心なキリスト教徒の人々の中では不人気な言葉らしい。近年台頭してきている宗教右派・キリスト教原理主義の立場からすると、異文化に対する配慮のために自分達の信仰に基づいた言葉の使用を憚る必要はない、ということだろう。
今年、ミシガンからテキサスに引っ越してきて、明らかに「ハッピー・ホリデーズ」という言葉を聞く頻度が減った。ミシガンではこの季節にスーパーのレジ係の人に「ハッピー・ホリデーズ」と言われることがよくあった。僕は顔つきから明らかに東洋人なので、僕がキリスト教徒でない可能性を考えてそう言ってくれてるのだろうなー、とその配慮にちょっと嬉しい気持ちがしたものだが、テキサスではほとんどの場合「メリー・クリスマス」と言われる。さすがに宗教色の強い、「バイブル・ベルト」の本拠地とも言われるテキサスである(テキサス州の共和党はその綱領で、アメリカはキリスト教国だと宣言しているらしい)。また、ミシガン州はイスラム教徒人口がけっこう多いが、テキサスではマイノリティーと言えばヒスパニックであり、彼らもキリスト教だから、宗教的少数派の存在に人々があまり慣れていない、ということもあるだろう。アメリカは本当に地域ごとの特色が強くて面白い。
- 2005−12−23(金)の夜
僕の勤務する大学は、今日の正午からもう年末休みに入って、大学のほぼ全ての業務が1月2日までストップする。図書館だけは来週の水・木の2日間だけ開くらしいが、あとは大学のオフィスはほとんどが閉まるらしい。政治学部の秘書さん達も年明けまで来ない。まあ電気が止まるわけではないので、研究室に行って仕事することは出来るが、暖房は弱めにされるらしいし、ゴミ集めなんかもストップするんだろう。半年前まで在籍していたミシガン州立大では、もっと年末ギリギリまで大学の業務は続いてたように思うが。
大学が閉鎖される直前に、嬉しいニュースが入ってきた。学内の研究助成金に応募していたのが採用されて、1100ドルの研究予算がもらえることになった。研究プロポーザルに対する4人の匿名審査員からのコメントも読んだが、みんなけっこう好意的で、出版に繋げられそうないいアイデアだ、という感じだった。この世界では、研究助成金をどれだけ獲得したかが研究者の業績として評価されるので、これは素直に嬉しい。さて、何に使おうかなぁ…。
- 2005−12−20(火)の昼
うちの大学には、理数系に特に優れた高校生が大学レベルの教育を受けるためのプログラムがある。2年間の課程で、大学のキャンパス内の寮に住んで、普通の大学生に交じって授業を履修するらしい。普通の高校に行ったらレベルが低くて退屈するような秀才たちを州内各所からここに集めて、同じような秀才たちと一緒にして高レベルの教育をするのである。
そのプログラムの責任者から、全教員宛てにメールがまわってきた。「うちのプログラムの学生から、成績について個人交渉されるかもしれないけど、”感情に訴える嘆願”(emotional pleas)には乗らずに、普通の学生と同じ基準で成績評価して欲しい」とのこと。そのプログラムにいるような秀才高校生たちは、卒業後は超一流大学に進学したい人がほとんどのはずで、そのためには成績が極めて重要になる。だから、例えばBを取ったクラスの教授に個人的に、なんとかAを貰えるように頼み込むというケースがけっこうあるんだろう。しかし、その手には乗らないでくれ、との要請。なかなか面白い。
またそのプログラムについては、別の面白い話を聞いたことがある。そのプログラムには州政府の予算が使われているわけだが、テキサス州議会の中にはその予算を打ち切ってしまえという意見がけっこうあるのだとか。その理由は、そこの卒業生の多くが州外の一流大学に進学するので、「学生が州の中に残らないなら州の利益にならない」というのだとか。いかにもテキサスの地方政治家の言いそうな、田舎的閉鎖的退行的な意見だ。東北部や西海岸のリベラルな人々がこれを聞いたらまた、「テキサスって…、プッ」という反応を示すだろう。アメリカ国内の文化ギャップがこんなところにも鮮やかに現れていると思う。
- 2005−12−17(土)の夕方
期末試験の採点はおととい終わらせて、もう成績も大学本部に提出したのだが、まだ今学期の職務が1つ残っていた。それは今日の卒業式に出席すること。
アメリカの多くの大学、特に大規模校では、年に2回卒業式が行われる。卒業単位を全部取れば卒業になるので、この秋学期で修了した人は今日が卒業式になる。
教員みんなが卒業式に出なきゃいけないわけじゃないけど、出席する教員があまりにも少ないと卒業生や家族に対してみっともないためだろう、各学部に対して「何人出席せよ」と上から指示がきて、学部内ではローテーションを作って「卒業式当番」に当たった人が出席する制度になっている。僕は今日出たからあと数年は出なくていい。
で、出席する教員は当然正式な服装を着ないといけない。博士号を持ってる人は袖に3本線の入ったガウンを着るのがこの世界の決まりであり、多くの人は自分が博士号を取るときに高価なガウンを購入するわけだが、僕は自分のときはレンタルで済ませたので持っていない。ところが嬉しいことに、うちの大学では教員に無料で博士用ガウンを貸してくれる制度があった!これは就職時には知らなかったので特に嬉しかった。この大学にいる限り高価なガウンをずっと買わなくていい。

しかし、さすがに無料だけあって薄くて安っぽいガウンだった。
卒業式自体は、けっこう面白かった。大勢の卒業生が一人ずつ名前を呼ばれて壇上で学位記を受け取る間は退屈だったけど、同じ「当番」の同僚と雑談していたし、あと、来賓でスピーチした評議員が、「特にヒスパニックの学生の努力を讃えて」と前置きしてからスペイン語で祝辞の一部を述べたのが印象深かった。それにしても、半年ちょっと前に自分の卒業式に出たばかりなのに、今度は教員として最前列に座ってるのはやはり変な感じがした。
- 2005−12−14(水)の夜
今日の午前中、期末試験をやった。終わって提出していくときに学生が何人か、握手を求めてきたり、「このクラスをエンジョイしたよ」と声をかけていったりした。さあ、学生アンケートではどんな結果が出るだろうか…。
ここ数日は、同僚達と研究室周辺やトイレなどで顔を合わせるたびに、「もう終わった?」「これから採点」とかいう会話が交わされている。16週間の秋学期がようやく終わろうとしている。
でも、「あー、やっと終わりだ」というセリフの後には、「さてこれから論文書きに本腰入れなきゃ」とかいう言葉が続く。学期中は講義や採点や学生の苦情処理やらで忙しくて、研究に使える時間が限られてしまうので、休みの間にバリバリと研究を進めないといけない。特に、まだテニュア(終身在職権)を持っていない僕ら若手教員たちは、とにかく必死に論文を書いて出版しないと、テニュアの審査に落ちて解雇されてしまう。そういう僕らにとっては、学期と学期の間こそが研究に没頭すべき時間である。期末テストを終わらせた学生達が「やっと勉強から解放された」と思っているとき、教員達は「さてこれから論文書きだ」と思っている。
- 2005−12−12(月)の夜
日本からの友達が立ち寄ってくれたので、ちょっと観光に出た。ケネディー元大統領が暗殺された場所がうちから車で45分くらいのところにあって、ずっと行きたいと思ってたこともあり、そこに案内した。
ダラス市の都心部にその場所はあった。大統領一行のリムジンが、ヒューストン通りからエルム通りに左折してちょっと行ったところで、その凶行が起きた。

その地点には印がついていた。

犯人とされるオズワルドは、この建物の6階から大統領を撃ったとのこと。殺害地点から見上げた図。
その建物の6階は今は博物館になっていて、ケネディーの生い立ちから暗殺事件当日の様子などが説明してあった。ビデオが上映されていたり、いろいろ見るものが多かった。
今学期の仕事は、あさって期末試験をやってその採点をするばかり。就職1学期目がまもなく終わる。
- 2005−12−7(水)の夜
テキサスもたまには寒くなるらしく、今朝の最低気温は摂氏マイナス7度だったそうだ。今朝出勤するときには雪がチラついていた。おいおいテキサスなのにこれかよ!と思ったが、年に数回は降雪すると聞いてたので、まあそんなに驚くほどのことじゃない。ちなみにここの緯度は高知市と同じくらいらしい。
僕は新潟出身、ミシガン居住歴あり、さらに四輪駆動にできるトラックに乗っているので、雪道の運転はそんなに苦にならないけど、テキサスの人々は慣れていないようで、ちょっとの雪で街はパニックになっていた。ミシガンでは雪が降ると道路に塩を撒くけど、こっちではそういう備えもないんだろう。今日は交通事故が起きまくったらしい。自分は大丈夫でも、他の車が突っ込んできたら大変だから、こういう日は周りに注意を払って運転しないといけない。
今日の講義はやはり出席率が悪かった。半分以下だったか?僕のクラスは12時50分までだったのだが、なんと午後1時以降の全学の授業が休講、図書館も閉館、大学のほぼ全ての業務が休止になった。僕は仕事がいろいろあったので夕方近くまで研究室に残ってたけど、学内は非常に静かだった。帰るとき、車に乗ってから暖房が効き始めるまでの間の寒かったこと!今日は最高気温も氷点下だったそうだ。
明日も、少なくとも正午まで大学は閉鎖されることが既に決定した。でも僕は仕事が溜まってるので出勤しないといかんのだな…。
- 2005−12−5(月)の夜
今日のクラスでは、先週やったテストを返却してちょっと解説したりして、それから講義に入った。しかし、今日は「学生による授業評価」もやらねばならず、全然時間が足りなかった。残った分は水曜日に持ち越し。水曜が最後の講義になる。先週からはアジア諸国の政治について話してるのだが、話したいことは多いのに、時間が足りないのでかなり概説的になってしまっている。まあ、来学期に教える「アジアの政治」のクラスでこのへんはもっと詳しくやるけど。
来学期に教えるクラスの学生名簿を見たら、今学期のクラスにいる学生たちのうちけっこう多くが次の「アジアの政治」にも登録してくれているようだ。そういう学生たちは僕の教え方とかを気に入ってくれてるんだろうから、これは嬉しいサインだ。
- 2005−12−3(土)の午後
長いことちびちび読んでいて、ついに今日読み終わった、この本:シルクロード・路上の900日―西安・ローマ1万2000キロを歩く
10年前、僕がアジアを旅していたとき、パキスタンの安宿で一緒になった日本人旅行者が、なんと中国の西安からイタリアのローマまで、「シルクロード」を徒歩で旅しているという人だった。その壮大さに僕はぶったまげた。2人で夜遅くまで、お互いの旅のこととかいろいろ話しこんだのを覚えている。
彼はローマに到着したら旅行記を書くと言ってたので、それ以来僕はたまにネットで彼の名前を検索して、旅行記が出てないか調べていた。それがついに去年出版されたのだ。
2年半かけてシルクロードを完歩した彼の旅行記は、実を言うと読み物としての面白さはあまり期待してなかったのだが、その予想を見事に裏切ってくれた。旅行記の中には、単なる出来事の羅列で退屈なものや、本人には大切な思い出らしいけど読者にそれが伝わってこない空回りのものが多いけど、この本は、文章が非常に上手く、感覚が瑞々しく、読み物としても素晴らしい出来だと思った。そしてもちろん、旅のスケールが壮大で、普通の旅行をしていては経験しない出来事が次々と起きるので、非常に面白かった。バックパック旅行に無縁な人々にもオススメの一冊。
- 2005−12−2(金)の夜
いよいよ学期末が迫ってきた。来週が講義の最終週で、再来週は期末試験週間になる。また、大学の規則で、最終回の講義は出席自由の復習会をやることに決まっていて、僕のクラスではそれが来週の金曜になり、だから今学期の講義はあと来週の月・水の2回でおしまい。採点の仕事が山ほど溜まってるので、今週末は頑張らねば。
あと、来週中に、今年の活動レポートを大学に提出しないといけない。これは毎年12月に書かねばならないらしく、教育活動/研究活動/その他の活動について今年やったことを列記してアピールするのだそうだ。それをもとに教員全員が評価される(点数がつくらしい!)。でも、僕のような新採用の場合は、まだ4ヶ月しかここにいないし、新しい環境で仕事に馴染むまで時間がかかるという理由で、最初の年は中立的な評価を受けることになってるらしい。でも来年からが怖いな〜。
- 2005−11−26(土)の夕方
木曜日は感謝祭で、独身または結婚してても子供のいない同僚たちで集まった。毎年やっているらしい。七面鳥などの定番料理や飲み物を持ち寄って、飲み食い。七面鳥は普段はあまり旨いと思わないけど、なぜかこの日に食べると旨い。たらふく飲んで食って帰ってきた。
今日は4連休の3日目。この休みの間にやろうと思ってた仕事はまだあまり片付いてない。この休みが終わるともうアッという間に学期末になりそうだ。
- 2005−11−23(水)の夜
ギックリ腰はかなり回復した。最初の2日間はじっとしてるだけで痛かったりしたけど、今はもう、普通の生活ではほとんど痛みは感じない。
大学は明日と明後日は感謝祭休みになる。もう昨日から実家に帰省した同僚もいて、今日は研究室周辺も静か。僕のクラスでは、今日までに提出の課題(事前に出してももちろんいい)がある代わりに今日の講義は休みにしてある。どうせ今日は学校をサボって実家に帰ってしまう学生が多いので、講義をやっても大して集まらないだろうし。
午後、同僚のD氏が呆れ顔でやってきて、今日の彼の講義に学生が1人も来なかったと言っていた。教室で15分待ったけど誰も来ないので帰ってきた、と。それには僕もビックリ。僕みたいに休講にしてしまう人が多いと、更に多くの学生達が1日早く実家に帰ってしまい、D氏のように真面目に講義しようとする人の教室に人が集まらなくなってしまうのだろうか…。
- 2005−11−19(土)の夜
今朝、ちょっと前かがみになったときにギックリ腰をやってしまった。寝込むほどではないけど、けっこう痛い。10年くらい前にもギックリ腰でしばらく苦しんだことがある。安静にして早く治そう。
テキサスは寒くならないようなイメージもあったのだけど、やはりだんだん気温は下がってきた。もちろんミシガンの冬に比べたら全然だけど。ついに家の暖房を稼動させる必要を感じ、どうやって使うのか調べた。この家の暖房設備はガス式で、屋根裏にその機械が設置してあった。実は屋根裏に上ったのは初めて。
こんなデカイ装置
暖房が要らない季節の間は止めておいて、毎年この時期に再稼動させるのが普通らしい。もちろんガスの元栓も締めてあった。最近の機械は電気で点火できるらしいけど、うちの機械は古いらしく、マッチやライターで手動点火させないといけない。同僚のアドバイスに従って、一酸化炭素センサーを購入してきてから作業にかかった。説明書を何度も何度も読んでからやった。簡単にできるものかと思ってたけど、ドライバーで機械の横パネルを開ける必要があった。
で、なんとか上手くできた。これで家の中はどこでも暖かくなる。サーモスタットで温度を調節できるので、何曜日の何時に何度にするとか全て設定可能。あと心配なのはガス料金だけだ…。
- 2005−11−18(金)の夜
僕が所属する政治学部は、教員達が仲良くて派閥や抗争がないので、その点で非常に居心地よく感じているのだが、うちの大学はなかなか大変なことになっている。ここ数日、大学新聞や地元紙でも報道されているようだが、かいつまんで言うと、プロボストを不信任しようという動きが教員の間で高まってきている。
プロボストというのは、大学運営の実質上の最高責任者であり、学長(プレジデント)がお飾り的または対外的な役割を果たすのに対し、大学内の様々な実務はプロボストが切り盛りする。そのプロボストの過去数年の行動に対して、疑問や批判の声がだんだん高まってきていたのだそうだ。
教員達が大学の運営に意見する場として、全学の教員から投票で選ばれる50人くらいの会議がある(Faculty Senate)。その会議で先日、プロボストに対する信任・不信任を問う全教員による投票を実施しようという決議がなされた。決議が可決されてからも、それの有効性を巡るいざこざがあったらしいけど、結局実施されるらしい。
それについて、1日に10件くらいもEメールが回ってくる。大勢の教員に一斉送信で意見を表明する人がいて、それに対して「全員に返信」で賛成や反対をメールする人がいて、さらにそれへの意見、という具合に。僕はいちいちそれらのメールは読んでいないけど、そしたら今日の夕方になって、プロボスト本人から全教員に宛てたメッセージがEメール添付で届いて、自分の業績や行動を擁護することが書いてあった。
これからどうなるだろう!?学内政治に関わりたいとは思わないけど、でも自分がこれから勤務してゆく大学が働きやすい環境であってほしいので、こういう重要な問題にはやはり注目するべきだとも思う。それと、アメリカの大学の組織構造などに僕はもともと興味がある。組織について日本の大学がアメリカの大学から学べることは多いと思う。
- 2005−11−14(月)の夜
ここ数日は妙に暖かいが、明日の夜は一気に冷え込むらしい。気温の変化が大きい場所だ。
NBA入りを目指している田臥勇太選手が、NBDLのアルバカーキに入団したそうだ。たまたま見た記事で、同じチームの同じポジション(PG)に「テイラー」という選手がいるとのことだったので調べてみたら、やはり元MSUのマーカス・テイラーだった。みんながまだ早いというのを無視して大学を2年で辞めてNBA入りしたのに、すぐクビになってそれ以来ずっと下位リーグを彷徨っている選手である。流れ流れてこんなところにいたのか…。更に調べたら、ここから割と近くのフォートワースにNBDLのチームがあるとのことで、アルバカーキがフォートワースに来るときに見に行けば田臥選手やテイラーを生で見ることができることが分かった。テイラーについては、別に応援する気はないけど、どんなふうにやってるのか興味はある。都合がつけば行ってみようかなぁ〜。
- 2005−11−11(金)の夜
今日は学部の教員会議があった。これで3回目くらいか?最初はドキドキしたけど、もうこういう行事にも慣れた。多くの決定事項は小委員会で決められて、全体の教員会議ではそれを承認するだけのことが多いので、白熱した議論になったりすることはない。会議はいつも、みんながジョークを飛ばしあったりする和やかな雰囲気なのだが、今日は僕も1つジョークを言ってみんなを笑わせたのでちょっと満足。
- 2005−11−7(月)の夜
大学にいるときはだいたい研究室のドアを開けてるので、まわりの物音がけっこう耳に入る。先週の金曜日、近くの部屋の同僚のところに、学生が抗議にきているようだった。「自分はこんな点数を取ったことがない、テスト問題が悪い、云々」と女の子がヒステリックになってその同僚に文句を言ってる声が聞こえてた。
僕はそのとき用事で研究室を出たので、その後どうなったかは知らなかった。今朝出勤してすぐ、彼のとこに行って「先日は大変だったみたいじゃん。あれからどうなったの?」と軽い気持ちで訊いた。そうしたら、笑いごとではなかったらしい。その女の子は、「『B』の成績なんか取ったら世界の終わりだから、自分は自殺する」とまで言い出したのだとか。あまりに様子が異常だったから、そうしておくわけにもいかず、大学のカウンセリングセンターに電話して事情を話し、その学生をカウンセリングセンターまで歩いて送っていったとのこと。なんということだ。
僕はそういう大変な学生を受け持ったことはないけど、この先そんな経験をしないとも限らない。この職業の難しい一面だなぁ。今日は僕のクラスではテストを返却したんだけど、クラスの最後にとっておきのジョークでみんなを大笑いさせたら、学生達はニコニコして教室を出て行った。このままいい関係を保って学期を終えたいものだ。
- 2005−11−2(水)の夜
月曜の夜はハロウィーンで、子供達が仮装してお菓子をもらいに近所の家を回る夜なので、どんな可愛い子供たちがやってくるかと楽しみにしていた。斜め向かいの家にとても可愛い小さな姉弟がいるのだが、その2人がまず夕方やってきて、あまりの可愛さに写真を撮らせてもらった。
その頃はよかったのだが、だんだん夜になると、大して仮装もしてない少年少女が来るようになり、ひどいのになるとお菓子をあげてもお礼すら言わずにさっさと行ってしまう。お菓子を手に握れるだけたくさん取っていく子供がいるので、「一人一個だよ」と言うようにしたのだが、それを無視してたくさん取ろうとする子にはさすがに僕は注意した。なんだか、ハロウィーンという行事を楽しんでいるのではなくて、ただお菓子を集めるためにやってるような子供が多いようで、その点にはガッカリした。
翌日、同僚達にガッカリした話をしたら、みんな同意してくれた。もともとは地域の繋がりや交流を深める良い行事だっただろうに、今はそれを逸脱するような行為が多く見られるようだ。親が子供たちを車に乗せて、なるべく金持ちの多そうな地域に連れて行って、片っ端からそのへんの家を回らせるとか。そうなると、地域コミュニティーの繋がりもクソもない。お菓子をこの機会にたくさん集めて得をしようという、それだけの物質的動機に、この古き良き行事が乗っ取られているのだ。悲しい話だ。ある同僚は、家を買った1年目は訪れる子供たちにお菓子を振る舞ったけど、2年目からは家を留守にして映画を見に行ったりしてるとのこと。それも分かる気がする…。