[トップページに戻る]


2006年1〜2月


  • 2006−2−25(土)の朝
     前にも書いたと思うけど、うちの学部の教員は毎年年末に活動報告書を提出してそれによって査定を受ける。教員間で互選された6人と学部長からなるExecutive Committeeによって査定が行われ、全員に点数が付けられ、上位者は昇給されたりするし、下位者は翌年度に教えるクラスの数を増やされたりする。シビアな実力社会である。終身在職権を得られるかどうかの審査が行われる6年目までは放し飼いにされるものかと就職前は思っていたので、こんなふうな年次評価の制度があることに驚いた。大学ごと、学部ごとにこのへんの仕組みは大きく違うだろうと思うが。
     で、昨日は、その結果を元にExecutive Committeeとの個別面談があった。終身在職権を持っていない若手は全員これをやらなきゃいけない。そのCommitteeの7人が待っている会議室に1人ずつ入って、自分への査定内容などについて話し合うもの。
     といっても、僕のような一年目の教員は、まだここに来て日が浅いので、研究業績についての査定は自動的に学部の平均値が与えられる決まりになっている。だから別に緊張もしなかった(来年からは緊張すると思うけど!)。非常に和やかなムードで、何か学部に対して希望はないか、困ったことがあったらいつでも誰かに相談しろ、とかそんな感じ。学生からの授業評価の結果は学部の平均より上だったので、それについては褒められた。結局、たった5分くらいで終わった。
     毎年こうやって査定を受けるというのは、報告書を書くのが面倒ではあるけれど、自分の活動の状況を見つめ直すいい機会になる。さて、来年の査定までにどれだけの業績を上げられるか、頑張らないと。

  • 2006−2−21(火)の朝
     嬉しいニュース!
     けっこう大きな額の研究助成金が大学から貰えることになった。しかも、研究に必要な物品の購入とかそういう使途が指定されたものじゃなくて、単に給料としてポーンと貰える。臨時ボーナスみたいなものだ。
     これは、大学が若手教員を主な対象として毎年行っている事業。僕らは給料を9月から5月にかけての9ヶ月間貰っていて、6〜8月の夏季は無給になるので、その間に追加の収入が必要な人は夏季授業を教えて多少の追加を稼いだりする。大学は、若手教員の一部にこうやってボーナスを与えることで、夏の間授業を教える代わりに研究に専念させようというのである。今年は大学全体から40人ちょっとがこの助成金を受けるらしい。今朝、学部事務室にある自分のメールボックスにその通知を見つけたときは、飛び上がりそうになった。頑張って研究プロポーザルを書いた甲斐があった!!
     さあ、夏の間はいよいよ頑張って研究に励まないと・・・。

  • 2006−2−16(木)の夜
     今日は午後に会議があって、1時間以上もカリキュラムについての話し合い。終わったらヘトヘトになった。明日は政治学部全体の教員会議がある。こっちは真剣な話し合いよりは報告・承認事項が多いので、そんなに疲れはしないと思うけど。明日は僕も1つ簡単な報告をすることになっている。初めてなのでちょっと緊張。

     2つ教えてるクラスのうち、片方は遅れ気味、もう片方は速く進み過ぎの感じになってきた。足して2で割りたい。

  • 2006−2−10(金)の夜
     去年からの皇室典範改正論議に僕は非常に興味を持って、論壇と政界と世論の動きをネットで頻繁にチェックしていたのだが、それだけに秋篠宮妃御懐妊のニュースには非常にビックリした。
     僕としては、なるべく男系男子で継承してゆくことが望ましいと思う。長く続いてきた伝統で、言ってみれば文化財のようなものであるので、出来る限り(変に無理なことをしない限り)保持していくほうがいいと思う。また、実際問題として、男性皇族のお妃を見つけるのに比べて、女性皇族のところに婿入りする男性を探すのは非常に難しいだろうから(つまり、愛子様がもし皇位継承する場合、誰がそのお婿さんになり、その人がどれだけ国民に受け入れられるか、ということ)。
     といっても、皇室に男子が生まれないことにはどうしようもない、というのが数日前までの問題だった。旧宮家の男子をどうこうするという話も出ていたけど、それについては僕はけっこう懐疑的だった。

     それが、もし秋篠宮夫妻に男子が誕生すれば、一気に変わる。ここしばらくの割と緊迫した政治状況が根底からひっくり返された。それにしても小泉首相は強運である。もしこの御懐妊が2〜3ヶ月遅かったら、首相は皇室典範改正案をゴリ押しで国会に提出していたかもしれず、国会審議中に御懐妊発表→反対派と反対世論が勢いづく→継続審議、というシナリオになっていたら、首相の政治力はガタ落ちしていたに違いない。このタイミングだったから、首相も反対派も正面衝突で傷つけあうのを避けられた。

     また、もしこれが2年前くらいだったら、仮に秋篠宮夫妻に男子が誕生しても「直系の愛子様が即位すればいい」という意見が世論の中で強かったかもしれないが、去年の有識者会議報告以来、反対派による「女系反対」キャンペーンが少しずつ世論の理解を得てきているようなので、今なら男系維持論(愛子様じゃなくて秋篠宮家男子が皇位を継ぐ)の方が多いかもしれない。この意味でも、絶妙なタイミングだ。

     月刊誌『正論』の2月号が、「平成の和気清麻呂、出でよ!」という特集をしていたようだが、ここで男の子が生まれてその子が皇位を継承する方向になるなら、なんと秋篠宮夫妻が「平成の和気清麻呂」だったというどんでん返しになるのだろうか。

  • 2006−2−9(木)の夜
     教えてるクラスの片方で、明日は第1回のテストをやる。先学期やったのと同じクラスなのだが、先学期は第1回のテストが難しすぎるようだったので、今回は前回よりも早めに第1回テストをやって、範囲を狭めてみた。問題も、簡単なものと難しいもののバランスを調節。さてどんな結果が出るだろうか。

  • 2006−2−2(木)の夜
     火・木は授業がないのだけど、会議とかが入って時間を取られることがある。今日は1日何も予定がないはずだったのに、午前中に連絡が入って、午後3時半から会議。終わったのは約1時間半後。あーあ。
     政治学部全体の教員会議は1〜2ヶ月に1度しかないのだが、各教員は学部内の小委員会のいくつかに所属しなくてはならず、それの会議や仕事がけっこう入ってくる。
     就職して驚いたことのうち最大のものは、大学教育のカリキュラムはけっこうしっかりと評価・査定されているこということ。他の大学から「外部監査員」を呼んでくることもあるし、内部評価をすることもある。学生の間は、大学教育ってのは各教員がそれぞれ好きなことを教えてるようなものなんだろうと思っていたけど、それは違った。例えば僕がいま関わっている仕事では、政治学のUndergraduate課程における教育の目的・それの達成度をどうやって測るか・達成度の調査結果を基にどんな変更を行ったか、について報告をまとめて大学の上の方に提出することになっている。単なるスローガンではなく、ちゃんと達成度を具体的に測定しなきゃいけないというのがミソである。そのために、僕が教えているクラスの1つでも、学期の最初と最後に同じ問題を学生に解かせてその変化を測るということをさせられている。本当はそんなことに時間を使いたくないんだけど、学部内の決定事項だから仕方ない。
     とにかく、こういう雑用が割と頻繁に入ってきて時間が取られるのだ。「こんな仕事から教員を解放してくれれば、逆に研究・教育の質が上がるだろうに」なんて同僚と話しているのだけど、大学の上層部が決めることに逆らえるはずがない。また、僕らが作ってる報告書は、各学部から集められたら今度は大学全体を監査する外部機関にチェックされるのだそうで、だから大学としてもやらないわけにはいかない。学生の頃はこんなこと想像もしなかった。

  • 2006−1−28(土)の夜
     春学期の2週目が終了。どうもやはり、2つのクラスを同時に教えることに慣れない。
     昨日の夜は、最近引っ越したばかりの学部長自宅で簡単なパーティーがあった。ビールやワインを飲んで、同僚たちと歓談して楽しいひと時を過ごした。中東政治専攻の同僚に、パレスチナでの選挙後の動向について考えを聞いたりとか。学校でほぼ毎日顔を合わせる同僚でも、日中は忙しかったりしてゆっくり喋る機会がないことが多いので、こういう機会にざっくばらんに話すと楽しいし、親しくなるいいチャンスだと思う。

  • 2006−1−25(水)の夕方
     先学期の学生による授業評価の結果が返ってきた。
     7段階による「総合評価」で僕の平均は6.26(7点満点)だったので、これは凄い!と喜んだのだが、政治学部の全教員の平均が6.07とのことだから、みんなかなり高い評価を得てるものらしい。しかし、1〜7で評価するときに、平均が6を超えるというのは、あまりにも高くないだろうか?テキサスの学生は礼儀正しいという感想を僕は持っているのだが、学生は教員を評価するときにも甘くつけるものなのだろうか。
     ミシガン州立大での大学院時代のデータがちょっと手元にあるのだが、同様の7段階評価で、ある学期の政治学部全体の平均は5.61だった。やはりけっこう違う。まあ、ここの学生が甘いのかそれとも本当にここの教員の質が高いのか、それは分からないけど。ちなみに、大学院時代に僕がクラスを教えた5学期間の僕の平均は6.21。今学期とあまり変わらない。(ということは相対的には評価が下がったと言えるか!?)

     項目別の評価では、「内容への熱意」の点が僕は相変わらず高くて、6.66。これについては誇りに思うし、何年教え続けても高いままでいたい。一番低い点がついたのが、「話す能力」という項目で、5.46。学部平均の6.15を大きく下回ってしまった。残念だが、だんだん高くなるように頑張りたい。

     学生による授業評価には、7段階の点数による評価と別に、自由記入欄もある。何も書かない学生の方が多いが、意見を書いてくれた学生はほぼみんな好意的なコメントをしてくれていた。特に嬉しかったのは、「クラスの内容には難しいものもあったけど、彼はそれを学生に容易に理解させる能力を持っている」というコメント。大学教育なんだから内容が簡単すぎたらいけないけど、「難しくて当然だ」と突き放す態度も良くないと思うので、こういう感想を持ってもらえて嬉しい。あと、上述のように「話す能力」の点数は学部平均を下回ったけど、それでも自由記入欄に僕の英語力への不満や批判は1つもなかった。1人が、「英語ネイティブじゃない割には"exceptional"な英語力だ」と書いてくれていたので、ホッとした。でも、「ネイティブじゃない割には」と言われなくなる日を目指して頑張ろう。

  • 2006−1−23(月)の夜
     春学期の2週目がスタート。今学期は、授業の準備は家で夜やって、学校にいる間はなるべく研究に時間を使おうという予定で、この週末に家でちょっと頑張ったら、今週1週間分の授業の準備がだいたい終わった。わーい。
     今学期は2つのクラスを教えてるわけだが、これは初体験で、まだ戸惑いがある。どの学生がいるのはどっちのクラスだったっけ、今回こっちのクラスではどこまで進めばいいんだっけ、とか、頭の中でごっちゃになる。この先、課題の〆切とかが出てくるとさらにこんがらがりそうだ。まあだんだん慣れるんだろうけど。

     今日はカナダで総選挙をやっている。前回選挙のときは、カナダのテレビが見れたので、テレビの開票速報を喜んで観たんだけど、今回はそれが見れなくて残念。やはり、カナダのすぐ近くにあるミシガンと、はるか南のテキサスでは違うもんだなぁ。(その代わりにメキシコの選挙があったら見れるか?いや、スペイン語分からんか。)

  • 2006−1−19(木)の夜
     アメリカでは、大学や大学院を卒業した人に1年間の労働資格を与える「OPT」という制度がある。この制度がなかったらアメリカに来なかった留学生も多いと思うが、その意味でも、これは上手い制度だなー、と思う。外国人労働者受け入れについて日本でもいろいろ議論があるが、これは検討に値する制度だと思う。

     それはさておき、僕は今年はその資格で働いているのだが、それが切れた後は就労ビザに切り替えないとこのまま働き続けられなくなる。専門職用の就労ビザは「H1B」と呼ばれ、1年間に全国で発給される数に上限があるので、ここ数年は「H1B」を取るのが難しくなっているらしい。でも、大学はその発給数制限の例外なので、僕の場合は問題ない。でも、けっこういろいろな書類が必要で、揃えるのに苦労した。例えば、「H1B」の外国人を雇う雇用者は、その地域で同職種の人がもらっている給料と同じかそれ以上の給料を払わねばならないという決まりがあって、そのために、僕の学部で僕と同じ職階(アシスタント・プロフェッサー)の人々が幾らもらってるかの書類を学部の秘書さんに作ってもらったりもした。
     そういう書類を揃えて、大学の中の担当オフィスに持っていって、あとはそこの担当さんが移民局とかとやり取りしてくれることになった。それが去年の11月頃。で、今日、その担当さんからメールが来て、1月10日に移民局に書類が受理された、と伝えられた。なんと、そこから更に120〜180日かかるのだとか!なんと長くかかる手続きだろうか。早くて5月上旬、遅くて7月上旬とかになる。この手続きの間は、アメリカの外に出ることはできない決まりで、もし出国したら手続きを一からやり直さねばならないのだそうだ。
     無事に就労ビザが発給されたら、3年間有効で、その後さらに3年間延長できる。その6年の後、もっとアメリカで働きたいということになったら、今度は永住権を取らねばならない。どうなることやら。

  • 2006−1−18(水)の深夜
     今日から僕の今学期の授業が始まった。今学期は2クラス教えるのだが、どっちも月・水・金の午前中である。早いほうのは朝9時からなので、寝坊することがないかちょっと心配。
     今日はまだ初回なので、シラバスを配ってザッと概要や評価基準などを話して終わり。2つ目のクラスなどは僅か15分で終わって、研究室に戻ってきたら、研究室が近くの同僚に「ちょっと早すぎるんじゃないか」と冷やかされた。

     ハワイの話の続き。
     ハワイ諸島の面積の合計は四国の1.5倍くらいもあるそうだ。思ってたよりも全然広くて、そして非常に山がちな地形であることに驚いた。ホノルル市のすぐ近くまで山が迫ってきているし、レンタカーで海岸沿いを走ったときも、海岸すぐ近くから山がそそり立っていることに驚き、そして景色の美しさに息を呑んだ。

     カウアイ島には、「太平洋のグランド・キャニオン」と呼ばれる巨大な峡谷、Waimea Canyonがあって、車で山道を登って行ってその雄大な景色を眺めることができた。太平洋の島にあんな大きな峡谷があるとは思いもしなかったので、なんだか不思議な感覚だった。
     そして、その山道の終点、Kalalau Lookoutからは、島の反対側の海に向かって落ち込む谷を見下ろすことができた。

     残念ながらこの写真ではその景色の美しさは伝わらないと思うが、標高1200mくらいのところから見下ろす谷と海岸、そして海から竜のように立ち上る鮮やかな虹に、僕は思わず絶叫していた。見ている間に新しい虹が現れては消え、それはまったく幻想的な景色だった。今までに見たどの虹よりも鮮やかな色を持つ虹も見た。今回のハワイ旅行でもっとも「行ってよかった」と思った場所がここ。

     海も非常に綺麗だった。前にトンガやサモアで猛烈に綺麗な海をたっぷり見てるので、観光客の多いハワイの海がそこまで綺麗なわけはないだろう、という感じにちょっと高をくくっていたのだが、その考えは簡単に覆された。トンガやサモアの海とおそらく並ぶくらいに綺麗なところをハワイでもたっぷり見ることができた。しかも、離島ならある程度当然ともいえるが、人口の7割が集中する主島のオアフ島でも、KailuaとWaimanaloの2ヶ所のビーチでの水の美しさには、まったくビックリした。

     そんな感じに、自然の美しさを満喫したわけだが、他にも、真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの追悼施設を見学に行ったり、そのすぐ近くで観光用に開放されている戦艦ミズーリ(第二次大戦で日本が降伏したときの調印式会場になった船)を見に行ったりとか、そういうのも面白かった。今回の旅ではオアフ島・カウアイ島の2つにしか行けなかったが、他の島も面白そうだし、ぜひまたハワイに来たいと思った。ミーハーなイメージがあって今まで敬遠していたけど、まだまだ奥が深くとても面白そうである(でもワイキキ地区はもう行かなくていい)。

  • 2006−1−14(土)の夜
     アメリカでは、白人人口が5割を切る州のことをMajority-Minority Statesと呼び、現在それは4つあり、昨年テキサス州が4つ目になったときはここではけっこうなニュースになった。他の3つは、ハワイ・カリフォルニア・ニューメキシコである。その中でもハワイ州は、他の3州よりもずっと早くからこの部類に入っている。そして、カリフォルニア・ニューメキシコ・テキサスにおいてはヒスパニック人口の急激な伸びによって白人が相対的に減ったのに対し、ハワイではアジア人が42%、白人が24%という割合になっている(先住ハワイ人は7%弱)。白人が最大グループでない州は50州中でハワイだけだ。昨日の項で、経済発展のレベルにおいてはハワイはアメリカ国内の後進地域ではないと書いたが、人種・民族構成の点では、ハワイはアメリカの中で非常に独特な存在である。

     実際、ホノルル市街を歩いてみると、実に多種多様な顔つきの人を見る。僕の親戚にもハワイに移民した人がいたそうだが、日系移民は一時はハワイの人口の4割をも占めていたそうだ。先住民の比率が低く、移民してきた人々が多数派を占めるという点においても、ハワイは他の太平洋諸島と大きく異なっている(フィジーは例外的に、インド人が半数ほど住んでいるが)。


    ハワイでは、神社が道路沿いに普通に建ってたりする。

     今回の旅の目的の1つは、妻の長年の友達の卒業式に出席することだったのだが、卒業式でも本当にいろんな人種・民族の人々がいて、やはりハワイだなぁと思った。あと、さすがにハワイだけあって、卒業生に家族や友達が花輪(レイ)をあげる習慣があるようで、卒業生の中には首に何十本ものレイが掛けられて顔の下半分が隠れてしまってる人もいて面白かった。(Yちゃん、改めて卒業おめでとう!それからいろいろお世話してくれて本当にありがとう!)

     ところで、卒業式を始め、いろんな場所で「アロハ」(こんにちは/さようなら)や「マハロ」(ありがとう)などのハワイ語が使われていることが興味深かった。日常生活でハワイ語を使っている人はもうほとんど存在せず、住民の大多数には先住ハワイ人の血は流れていないのだが、それでもそういうところに住民の「ハワイ的なもの」への愛着が表れているのだろうと思い、なんだか嬉しいような気がした。そんなわけで僕も、商店などで人に挨拶するときに、相手の顔が明らかにハワイ人っぽくなくても、「アロハ」と言ったりしていた。しかしある日ふと、例えば北海道で、アイヌと全然関係ない人同士がアイヌ語で挨拶したらどうだろうか、それは非常に偽善っぽくないだろうか、と思いついて、考え込んでしまった。また、おそらく純粋な白人の女の子が踊るフラダンスの実演を、僕はとても面白く見たのだが、それがもし北海道で、アイヌと全く関係ない日本人が観光客向けにアイヌの祭りや踊りの実演ショーをやっていたら、きっと観光客は満足しないんじゃないだろうかとも考えた。その違いはいったいどこから来るのだろうか。このことについてもハワイ滞在中ずっと考えていた。

    (続く)

  • 2006−1−13(金)の夜
     ハワイでの休暇から帰ってきた。初めて行ったハワイは、非常に興味深い場所だった。自分が今まで持っていた、「リゾートホテルとビーチと日本人観光客」というハワイのイメージがなんと貧困だったことか、笑いたくなるほどである。もちろん、リゾートホテルも日本人観光客もたくさん存在するわけだが、そういう要素とそれ以外の要素が混じり合った、非常に独特の島々がそこにあった。

     ホノルル空港に降り立って、そこで感じた南国っぽい空気と、そそり立つ椰子の木々から、10年半前に単身旅行した南太平洋諸国、フィジー・トンガ・サモアのことを思い出した。そのときからずっと、どうしてハワイと他の太平洋諸島はこんなに違った道を辿っているのだろう、ということをずっと考え続けた。

     違いというのは、つまり経済レベルの違いである。白人が到来するまでは、ハワイでも他の島々でも、人々は自給的な農漁業中心の、似たようなレベルの生活をしていたに違いない。それが今では、独立した太平洋の島国がどれも発展途上国であるのに対して、ハワイはアメリカの一部であり、先進国の高い生活レベルを人々は享受している。アメリカの中でもハワイは貧しい地域ではない。ハワイ州の州民平均所得は32160ドルで(2004年)、これは全米平均の32937ドルよりは低いが、しかし50州の中の順位では20位であり、上半分に入っている。テキサス(32位)なんかよりずっと高い。さらに、「貧困ライン」以下の人口は8.9%で(2003-04年の平均)、これは全米平均の12.6%よりはるかに低いというだけでなく、州の中で低い方から6番目という「好成績」なのである(これらデータの出所はinfoplease.com)。これは、沖縄県の県民平均所得が日本の47都道府県の中で最も低いことと対照的である。発展途上国の経済発展ということについて考えるとき、ハワイは国ではないけれども、非常に面白い題材なのではないだろうか。

     アメリカの一部になると発展するのか、といったらそれは違う。例えばプエルトリコとハワイはどちらも1898年に米領になったが、データによるとプエルトリコの経済レベルは米本土やハワイよりもずっと低いらしい。

     ハワイの開発は、最初はサトウキビ、それから観光がメインだったそうだ。そのどちらも、もしもハワイがもっと北に位置していて熱帯気候でなかったら成立し得なかったはずである。また、観光についていえば、日本が経済大国になって日本から大量のリゾート客が来るようにならなかったら、今ほどのレベルにはならなかっただろう(ハワイを訪れる観光客の2割強が日本からだそうだ)。そして、近くにリゾート地としてのライバルとなる島がないことも、大きな要因だろう。例えばプエルトリコをリゾート開発しようとしても、近隣にバハマ・ジャマイカ・ケイマン・カンクーンなどのライバルが多く存在する。その点、ハワイは地球上で最も他の地域から隔絶された場所とも言われるだけあって、近くに競合相手が存在しないし、太平洋諸島の中ではリゾート開発の先行者であったことでも有利にあるんだろう。

     ハワイを訪れる観光客は年間約700万人近くにもなるそうだ。フィジーへの観光客が30〜40万人であることからすると、正にケタ違いである。ハワイ州の州内総生産のほぼ4分の1が観光産業によるとのこと。観光開発を行う大資本と、その客となる人々と、良い立地条件が組み合わさると、これほどの発展を遂げるものなんだろうか。観光セクターの伸びは他の産業部門の成長も促進するに違いないので、島全体の経済が観光産業に引っ張られて先進国化してきたんだろう。各種の好条件が重なったことによって、太平洋諸島の中で随一の経済発展がここで起き、100年前にサトウキビ農場で酷使されていたアジア系移民の子孫の多くは、今ではアメリカ本土と同様かそれ以上の生活レベルを享受している。(しかし、先住のハワイ人やサモア系移民などのグループが他の人々に比べて所得が低いなどの問題も存在するようだ。)10年半前に訪れた南太平洋の島々との比較の目でハワイを見ると、興味は尽きなかった。


    高層ビルが林立するワイキキ地区(ダイヤモンド・ヘッドの頂上から撮影)

    (続く)

  • 2006−1−2(月)の夜
     今日から大学は業務再開。午後、用事があったので大学に行ったら、秘書さん達はちゃんと出勤して仕事していた。でも教員の研究室はほぼ全てカラで、僕が行ったときに居たのは2人だけだった。春学期のクラスのシラバスを印刷して、秘書さんにコピーを頼んできた。

     大学が再開したのと反対に、僕は明日から妻と一緒に南の島へバケーションに行ってくる。帰ってきたらまもなく春学期が始まるので、束の間の休息を楽しんでこよう。13日に帰ってきます。

  • 2006−1−1(日)の夜
     新年明けましておめでとうございます!
     30日の夜から、筑波大での同期生で今はワシントンDCで働いている友達が遊びに来てくれた。大晦日は、妻と3人で観光へ。フォートワース市にある、昔の西部っぽい雰囲気を残した地区に初めて行ってみた。僕は当然、カウボーイハットとウエスタンブーツでキメて行った。
     まあ、コテコテの観光地ではあったが、なかなか面白かった。ロデオ選手の名誉の殿堂があったり、西部劇に出てきそうな酒場があったりとか。
     一番面白かったのは、カウボーイ達が馬に乗って、牛の群れを率いてパレード(?)するところ。観光客のために1日2回やってるらしい。

    牛の角の長いことにビックリした。

     昨夜は3人で飲みながら年越し。今朝は、妻が作ってくれた雑煮を食べて、友達を空港へ送っていってきた。

     さて、2006年の始まり。今年はいよいよ研究に専心して、業績を伸ばしたい。具体的には、2本の論文をジャーナルにアクセプトさせることを目標にしよう。


[トップページに戻る]