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留学記「大学院をミシガンで」

4月 < 2000年5月 > 6月


  • 2000−5−1(月)
     さて、正真正銘の土壇場。昨夜は0時から3時までまた3時間の仮眠をとって、起きて書きつづける。でも、とてもじゃないが今日は終わりそうにない。「ライティング・センター」という英文の添削をしてくれるとこに今日11時の予約をとってたのだが、キャンセルの電話を入れた。2日続けて3時間睡眠ということで、もう身体がダルくてしょうがなくて、昼前に一時間半だけ寝た。
     TAの「戦争と革命」のクラスが今日は期末試験で、試験監督に行った。試験時間が1時間半もあって、まあ、解いてる方は必死なのだろうが、こっちには退屈な時間。教室中をウロウロ歩き回ったり、とりあえず立ちっぱなしなので、疲れた。
     そのクラスの教授は、もうこの大学に32年もいる人で、質問してみた。「この大学の学生の質は過去30年に上がりましたか下がりましたか?」 答えは、「質はさておき、勉強しなくなったのは確かだな。特に、出席率は明らかに下がってる」とのこと。で、「学生の勉強する程度と景気とが相関しているようだ。不景気で就職が厳しいときは、学生はもっと真剣に勉強する傾向にある」という。それは面白い。日本の大学生が今回の不況で勉強するようになったとは聞かないけど、日本では大学での成績と就職は関係ないから。
     学生の答案(マークシート式)の束を採点センターに持って行って、ついにこのクラスの仕事は終了。いろいろ雑用とかが多くて大変な仕事だったけど、でも、学ぶところは多かったように思う。400人もの学生を相手にするためにとるべき態度など、ベテランの先生のやり方を近くで観察できて、有益だった。ニューヨークタイムズをタダで購読できたし♪
     さて、ペーパー。明日が本当の〆切である。

  • 2000−5−2(火)
     昨夜のこと。ふとしたきっかけで、分析結果の解釈で重大な勘違いをしていたことに気づいた。(詳しく言うと、有意でないダミー変数が入ってるのに、なんとなく有意だと思い込んでいた。CHOW検定で0.3とかのp値が出て、やっとわかった。)
     さあ大変。ガラガラと音を立てて崩れてゆく我が仮説たち。事の深刻さに気づいて、呆然としてしまった。〆切前夜にこの事態。
     4つの仮説のうち3つまでが死んでしまい、残りの1つも有意度がガクッと落ちてしまった。いや、しかし、勘違いに気づかずに提出してたらもっと最悪だったわけだし、今となったは仕方ないので、出た結果をありのままに書くしかない。残った1つの意義を大袈裟に謳い上げてみようか。
     なんとか気を取りなおして、本文を修正したり、まだ書いてない部分を進めたりで、また半徹夜。4時間だけ寝て、また書く。とにかく書く。午後4時ころやっと一通りできて、提出しに行った。先生の研究室は閉まってたので、ドアの下の隙間から滑り込ませてやった。
     ある程度のものができそうだなー、とここ数日思ってたのに、最後の最後でこんな結果に終わってしまった。計量的手法を初めて使った研究だったのだが、計量分析のシビアさをとにかく痛感した。大学院1年目の総決算のつもりで、特に今学期は2科目しか履修していなかったし、いい研究にしたいと思ってこれにうちこんできたのだが、それがこのザマだ。大学院で1年間やってみて、知識は増えたし単位も取ったけど、自分の研究としてカタチになるものは、結局できなかった。ガックリ。
     落ち込んでても仕方がないので、とりあえず明後日のテストの勉強をしようか。

  • 2000−5−3(水)
     さて、とりあえず昨夜はゆっくり寝た。起きてみたら、日本で少年が高速バスを乗っ取ったとかいうニュースが。現在進行形のニュースなので、ずっとインターネットで成り行きをチェックしていた。CNNをつけてみたけどやってなかった。アメリカでは犯人と警察のカーチェイスをテレビが生中継したりするらしいけど、さすがに海外の出来事ではそんなこともない。
     今日の昼飯は「政党と選挙」のクラスの食事会。学生6人のうちなぜか3人しか来なくて、先生を含めてたった4人。場所は「カブキ」という店で、店の名前は日本語だけどメニューは韓国料理中心で、従業員はたいてい韓国人である。昼間からビールを飲んで、いろいろしゃべって面白かった。○○教授は実は酔うと面白いんだとか、政治哲学の△△教授の家に行ったらBOYZ II MENのCDがあったとかいう話に爆笑しまくり。久しぶりのビールにいい気分になったし。
     その後、散髪へ。日本だと高いからこっちにいるうちに行っておこうと思って。僕は今まで、床屋では普通チップを払うということを知らなくて、いつも言われるままに$10だけ払っていた。ちょっと前に友達と話しててやっとそのことを知って、恥かしくなった。で、今日は$12払った。相変わらず安かろう悪かろうの店で、左右の長さが違ったりしてる。自分でちょっと直そう。

  • 2000−5−4(木)
     「計量分析」の期末テストの日。「2時間持ち帰りテスト」とかって先週は言ってたのに、今日行ってみたら全然そんなことはなくて、3時間はかかりそうなストロング・スタイルのテスト。「持ち帰り」ならみんなで相談しながら解けるなとタカをくくってたのだけど、そんなことは全くなかった。結局4時間かかったのだが、先生が途中でコーヒーを淹れてくれたり、おやつを買って来てくれたり、それなりにリラックスした雰囲気。しかし、問題はもちろん難しい。4時間もかかるテストなんて生涯初めてだった。それでも時間は足りなかったし。
     その後、この大学の日本人会の飲み会へ。テストが長引いたせいでクルマで迎えに来てもらえるのを逃してしまったので、自転車で25分ほどかけて行った。今学期のことが全部終わった開放感もあり、たくさん飲んで楽しんだ。帰り道、酔っぱらって道を間違えてちょっと迷ってしまったけど、それはよしとしておこう。

  • 2000−5−5(金)
     夏の間、荷物を友達の部屋に置かせてもらうため、今日はその荷物運び。昨夜は4時までそのための片付けをしてて、今朝は8時から作業開始。いい天気でよかった。
     昼過ぎにはその作業も終わり、ほとんど空になった寮の部屋に戻って、ちょっと昼寝。のんびりと昼寝を楽しむなんて久しぶりだ〜。本当に学期が終わったんだなという感じ。大学院1年目の完結。
     同級生のMに電話したら、彼は今日で全部終了とのこと。これからペーパーを提出しに学校に来るので、ついでにうちに来て一緒に夕飯を食いに行くことになった。Mは昨日のテストがよく出来なかったらしくて、その後でかなり落ち込んでいた。今日は気を取り直してくれてればいいけど。まあ、彼は33歳のいい大人だし、こっちが心配するまでもないか。あー、とりあえず腹減った。早く来い、M。

  • 2000−5−7(日)
     さて、だいたい荷物も片付いたし、あとは明日、飛行機に乗るだけである。
     しかし、なんだか、日本に帰るんだという実感が沸いてこない。どうしてかな〜、と思っていたのだが、まあ考えてみれば、今回は本当に単なる一時帰国だから特に感じるところがないのかもしれない。僕が日本の外に出たのは今度で3度目なのだが、1回目のときは大学を休学しての9ヶ月間海外一人旅、2回目はニューヨーク州の大学に交換留学に行ったときであり、どちらも、目的のある海外渡航の終了にあたっての帰国であって、それなりにいろいろ想うところがあった。それに対して今回は、大学院生活はまだ始まったばかりであり、ただ一時的に里帰りするだけなのだ。「祖国に帰る」ということについての重みの違いは極めて当然である。そんなわけだし、ただ気楽にフラッと帰ろう。
     でもまあ、せっかくだから大学院1年目を終えての雑感を記しておこう。
     この8ヶ月ちょっとの間、とにかく猛烈に勉強してきた。それでも、このままの調子でやっていったとしたら、博士号の取得は無理だと思う。勉強はしたけど、提出したペーパーなどで、大学院一年生が書くべきほどの質のモノが書けていたとは到底思えない。「留学生だし」ということで評価基準が甘くなっていたに違いないと思う。また、なんだかんだいってダラけてしまった時間も多かった。ついついインターネットでグダグダ遊んでしまったりとか、テレビの誘惑に負けてしまったりとか。冬休みも無為に過ごしてしまったし。
     そんなわけで、「博士号取得→政治学者に」という目標を実現するには、もっともっと、猛烈に激烈に学問に励まねばならないことはわかってるのだ。それができなかったら、敗北者になる。いまさらマトモな就職口はないだろうし、だいいち、政治学者以外になりたい職業もないし。
     まあ、この夏休み、フンドシ締め直して頑張ってみよう。

  • 2000−5−9(火)
     大学を出発してからなんと23時間半もかかって、新潟の実家に到着した。成田に着いてからさらに7時間もかかった。遠いもんだね。
     家族に「痩せた痩せた」と言われて、9ヶ月ぶりに体重を測ってみたら、やっぱり5キロも減っていた。頬がこけてきたのは自分でも気づいていたんだけど。9ヶ月ぶりに風呂に入って、ビールを飲んで、寝た。

  • 2000−5−10(水)
     ふらりと入った本屋で、鈴木大拙『新編・東洋的な見方』(岩波文庫)を買った。数学の勉強を一生懸命やろうと思いつつ、やっぱりこういう本も読みたくなる。僕は禅の思想にけっこう前から興味を持っていて、鈴木大拙は前にも読もうとしたことがある(そのときは難しい本から入ろうとして、見事に挫折した)。いつだったか、アメリカ人に「俺の宗教はZENだ」と言ったら、「そうか、俺はスズキの本を読んだことがあって、すごく好きだった」と言われて、冷汗をかいたことがある(恥)。
     それはさておき、アメリカで大学院にいると、日本人の僕がアメリカで学問をしているということの意味について考えることがよくある。「日本人的な発想法・思考法・価値体系」というのは確かに存在するだろうし、それは僕の人格の核の部分に確実に埋め込まれていると思う。で、それとアメリカ的なモノとをどう折り合いつけるか。アメリカには世界中から学者が集まってくるが、これはその人達に共通する問題じゃないかと思う。中には、自分の出自を全く切り捨てて、完全にアメリカ的な思考法でアメリカ的な学問をやる人もいるだろうし、逆に、自分の出身の意識を強く持ちつづけて、それ的な学問を作ろうとする人もいる。僕の場合、村上泰亮『反古典の政治経済学』に感動したクチなので、村上の云う「解釈学的」な見方を持つ日本人の特性を生かした学問をやりたいと思うわけだが。
     で、鈴木大拙『新編・東洋的な見方』であるが、この本の解説によると、「東洋の見方」でなくて東洋「的」なところがミソなのだそうだ。東洋人に限定された「東洋の見方」をいうのではなくて、東洋の伝統によって養われてきたが根本的には汎人間的に可能な「一つの見方」ということ。鈴木が最晩年にアメリカでの講義を終えて帰国したとき、日本時代の教え子が集まった席で、「禅の話などアメリカ人にわかりますか」と一人が聞いたら、間髪入れずに「君たちはわかるのかね」と返したという。さらに鈴木は、日本的な感傷性・不合理性を徹底的に批判し、西洋的な合理性を学ぶことを強調する。それと同時に、東洋的な見方の重要性を説くのだ。「知的限界のいやが上にも広く、霊性的透視のあくまで深からんこと」を要求する。

    「東洋民族性の心理の奥底に、すこぶる幽玄なるものがあって、これを自分は世界の至宝だと思っている。どうかして、それを世界の他の人々の間に広く知らせたいのである。世界の人々は、ここにおいて、その霊性の上に、新しいものを見ることになると自分は信じて疑わぬ。が、安っぽい感傷性の東洋的なるものにいたっては、大いに排斥すべきだ。この点では、欧米式の合理的なるものを学びとらなくてはならぬ。それで感傷性を置き換えるべきである。
     中央アジアの砂漠の真中で、テントを張って、その間から星斗蘭干たる大空を眺めて悟りを開いたという一イギリス人の話を、親しく、その人から聞いたことがある。殺気粉粉、実利主義氾濫の今の時代の真只中で、このような東洋人−−日本人−−を見たいものではないか。」
    (156ページ)

     素晴らしい(涙)。俺もこれでいくべ。

  • 2000−5−11(木)
     あー、時差ボケ。昨夜はほとんど眠れず、今日は夕方に熟睡してしまった。参ったなー。
     最初にアメリカに行ったときもひどくて、2〜3週間も苦しんだっけ。夜は眠れず、朝になったら眠くて。
     まあ、昨夜の場合は、晩酌後に酔っぱらってうたた寝したので、そのせいで夜眠れなかったとも言えるが、その線でいけば、今日も夕方に寝たので同じことが起きそう。どっちにしろ、夜眠れないのは苦しい。寝酒でも呑もうかなぁ。ひゃっひゃ。

  • 2000−5−12(金)
     9ヶ月ぶりの水泳。車で10分のところに、温泉とプールが一緒になってるとこがあって、両親が家族会員になってるのでタダで行けるのである。去年の渡米前は毎日のように泳ぎに行ってたのだが、今日はそれ以来。大学にもプールはあるけど、いろいろ忙しくて(っていうか時間の使い方が下手なんだろう)一度も行けなかった。
     久しぶりだったけど、まあまあ前と同じくらいに泳げた。その後、9ヶ月ぶりのサウナはやはり爽快。で、サウナの後の水風呂も9ヶ月ぶり。これは3秒で脱落(←根性無し)。
     時差ボケは治らず。夜、阪神−巨人のナイターを観戦してて、ひいきの阪神が勝ってたので気分良かったのだが、9時前に耐えられなくなって寝てしまった。こんな苦しい思いを来月にもう1回やるんだなー。嫌だなー。

  • 2000−5−16(火)
     歯医者に行ってきた。長年の懸案だった前歯の一本をついに差し歯にすることにした。来月の再渡米までに、5週間に9回の通院で集中的にやっつけることに決定。
     歯石取りとかをしてくれた助手(かな?)の人は若い女性で、とても可愛い人だった。通院の楽しみができたー。ひゃっひゃ。

  • 2000−5−22(月)
     先週の水曜(17日)から今日まで、東京周辺と、母校の筑波大に行ってきた。久しぶりに会う人がたくさんで、5泊6日で7回も飲んだ。
     母校はやはり落ち着くというか何というか、いい感じ。懐かしいところもあるし変化に驚いたりもするしいろいろだけど、やっぱり好きだ。昔バイトしていたバーにも飲みに行った。マスターを驚かせようと連絡しないで行ったら、期待通り驚いてくれた。メニューがちょっと変わってたけど、経営状態は相変わらず悪いそうで、変化と持続はここにも。
     土曜の夜は東京で、筑波時代の同期の飲み会。この連中とも、出会ってもう7年になるんだなぁ。すこしずつ結婚の話も聞こえてきた。羨ましい。
     久しぶりに会う友達に必ず訊かれるのが、「大学院はどう?」という質問。「楽しい?」と訊かれたら、迷わず「楽しくない」と答えた(笑)。「どんなに好きな食べ物でも、10食分をムリヤリ口に詰め込まれたら苦しいように、勉強してる内容自体は好きでも、あんなにスパルタにやらされては全然楽しくない」というようなことを言った。日々の生活に楽しいことがないわけじゃないけど、苦しいことの何百分の一でしかない。
     でも、前にもここに書いたように、「楽しくないけど幸せ」である。楽しかろうが楽しくなかろうが、やりたいことをするだけなのだ。で、その「やりたいこと」を、金を貰いながらやってるんだから、これが幸せでなくて何であろう。様々な事情で自分の目指したいことをやれない人が多くいるなかで、僕は恐ろしく幸せな人だ。
     でも、今後の目標は、「楽しむ」ことだったりする。「苦しいほどの勉強を楽しんでやれるような境地」に達するように頑張る。

  • 2000−5−24(水)
     水泳に行ったついでに体重を量ったら、67kgになっていた。9ヶ月のアメリカ生活で5kg減ったのが、ここ半月の日本生活で4kg増えた。たった半月でほとんど元に戻ったというわけ。よくわからんなぁ。
     このままのペースで太るとしたら、まあそんなことはないだろうけど、大変なことになる。ちゃんと運動しないといかんな。毎日水泳に通ってしっかり泳ごう。勉強もしないといけないし、やっぱり夏休みも忙しい。

  • 2000−5−25(木)
     5月も終わり頃なのに、我が家はまだコタツが入っている。これってすごいことだよなぁ。
     あと一ヶ月で再渡米なのだが、勉強は全然進んでない。未だに時差ボケ(!)で、夜中に必ず目が覚めるし、昼間は身体がだるい。ちゃんとやろうと机に向かっても、家の裏の幼稚園から園児の鼓笛隊の練習の音が響いてくるし、家の脇の田んぼが埋め立てられて建築中の家の工事の音もけっこううるさい。そんなことに動じない集中力が欲しいものだが。
     夕方、たまたまつけたテレビで、「東京ラブストーリー」の再放送、最終回をやっていた。懐かしー。これを観たのは高校1年のときだ。兄の本棚から原作(マンガ4冊組)を持ってきてパラパラ読んでみた。何回も読んだモノだが。それにしても、原作とテレビドラマは全然違ってるものだ。主人公・赤名リカのイメージが全く違ってるし。作者は嫌じゃないのかなぁ。「あすなろ白書」もそうだけど、原作はすごく深い話なのが、テレビドラマでは薄っぺらくなっちゃってる。あ〜、もったいない。
     そんなこんなで今日も勉強が進まないのであった。

  • 2000−5−26(金)
     森首相の「神の国」発言についての釈明記者会見を見る。まあ、話す内容については多くの人の手が入ってるんだろうし、本音がでるわけじゃないから、つまんない。見ながらスヤスヤと寝てしまった。
     目が覚めたら会見は終わってた。こんなこともあろうかと同時にビデオをとっておいたので、それを見た。で、やっぱりまた寝た。もう諦めた。
     「神の国」とは関係ないんだけど、政治家の話を聞くたびに思うのは、「国民の皆さま」という言葉の気持ち悪さだ。「国民の皆さまの御理解を…」とか、慇懃無礼っていうのかなぁ、なんか背筋が寒くなる。例えば「国民各位」とか言ったほうがもっとスッキリすると思うんだが。
     あと、これは政治家に限ったことじゃないけど、「させていただく語」も気持ち悪い。別に相手の許可を得てやることでもないのにこんな言葉を使うのが最近やたらと多い。「致します」を「させていただきます」と言い替えることによって謙譲語の度合いが強まると思ってるんだろうけど、とにかく気持ち悪い。たしか、管直人氏が厚生大臣だったときにこの言葉を連発して、それを批判する言説をどこかで読んで納得した記憶があるのだが、この「させていただく語」はその後さらに広まってるように感じる。今日の森首相記者会見では、「…本日改めて、国民の皆さまに対して直接、私の思いを率直にお話させていただきたいと、このように思う次第でございます」という言葉があった。記者会見は首相の意思でやるのであって、国民が許可するしないの問題ではない。だから「お話させていただきたい」なんて全く変なのだ。
     で、この言い回しの裏には、自分がするのだ、という主体の意思をぼやけさせるような意図があるのではないか。「致します」を「させていただきます」に言い替えることで、その行為をする「自分」が薄くなるような気がする。あー、嫌な言葉だ。嫌い嫌い。

  • 2000−5−27(土)
     登山! …といっても、わずか1時間で登れる山なのだが。
     高校時代からの友人が、仕事の関係で引っ越してしまうというので、2人で山に登ることにした。ここ数年、会うときはいつも居酒屋とかだったので、たまに健康的なことをしようということで。
     登山口は僕の家から車でわずか5分くらいのところにある。そこについて車を降りてから、間違ってサンダルを履いてきたことに気づいた。なんたる間抜け。でも、家に引き返すのもしゃくだったし、そのまま登ることにした。サンダルでこの山を登るのは史上初のチャレンジャーかもしれない。
     登ってゆく山道は春の草木で綺麗であり、天気もよくて爽快な山歩きだ。イモムシ・毛虫の多さには閉口したけど。高校時代の同級生の誰がどこで何してるとかの話をしながら登っていった。結婚の話もいろいろ聞いて、驚いた。そういえば高校に入学してから10年が経ったんだなぁ。今日のこの友達とは、高校に入学してすぐ1年2組の教室で、出席番号が一番違いだったから席が前後だったときからの友達である。(っていうか、見てるか、これ。祐史。)
     何度か休憩しながら登って、約1時間で、標高570mの山頂に到着。保冷ケースに入れて持ってきたビールをガブリ。あー、最高。このために登ってきたようなもんだ。眺めも綺麗で、海も見えるし僕の家のあたりも見える。そよ風が爽やかに吹いている。もう何もいらない。
     下り道はさすがにサンダルではきつかった。そのうち、2人とも膝がガクガクいってきて、体力なくなったよなー、と苦笑した。明日の朝の筋肉痛は激烈だろう。でも、それを差し引いても、気持ちのいい登山だった。

  • 2000−5−28(日)
     ここのところ数学を独学で勉強しているのだが、練習問題を解くたびに、計算力の低下に愕然とする。一問につき一回は計算ミスしたり。あ〜あ。
     昔は数学は得意だったんだけどなー。中学校のときなんてほとんどいつも100点近く取ってたし、高校1年までは得意科目だった。高校2年で習った代数幾何と基礎解析は受験科目に必要なかったので、まったく勉強しなくなって、赤点スレスレでクリアした。僕はそういう割り切りがサッパリしてるので、そういう舐めきったことを平気でしていたのだが、そのころは、将来こんなふうに数学をやるハメになるとは思ってもいなかった。だいたい、大学に入ってからも、政治学で数学を使うとは考えもしなかったし、さらにいえば、去年大学院に入学したときも、自分が数学を使う政治学の道に進むとは思ってなかった。面白いもんだなー、人生って。
     この年になって数学をシコシコと勉強するのってけっこうツライもので、この先必要となる数学のレベルの高さを思うと、まったく悲しくなってしまうのだが、まあ、自分のやりたいことのために必要ならやるしかないわけだ。数学はもともと得意科目だったんだし、元気をだそう。

  • 2000−5−29(月)
     今日で26歳になった。う〜ん、26歳ってけっこうな年だなー。日本の26歳人口のうちで、学生やってる人は1%かそのくらいじゃないだろうか。奨学金と給料をもらって自分でやりくりしてるとはいえ、世間的にはけっこう特異な存在になりつつあるかも。っていうか、順調にいってもあと4年は学生なんだけどさ。(その前に退学になる可能性ももちろん大きい)
     19日から続くフィジーの政治的混乱は、ついに軍部が全権を掌握するに至った。筑波大時代の友達でフィジーからの留学生のヴィカシュ君はいま卒業してフィジーに帰ってるのだが、どうしてるんだろう。心配なり。彼はうちの実家にも遊びに来たことがあるので、うちの家族もみんな心配している。僕がバックパッキング旅行中にフィジーに立ち寄ったのは5年前のことだが、そのときに一ヶ月くらいも滞在したので、今でも首都の街並みなどは覚えている。あの街を今は暴徒がねり歩いているんだろう。う〜ん。

  • 2000−5−30(火)
     いやぁ、やっぱり書いてみるもんで、誕生日お祝いのメールを2人の読者さまから頂いた。改めてありがとうございました。 m(_ _)m
     ヴィカシュからメールの返事が届いて、大変なことになってるけど無事でいるとのこと。ちょっと安心。
     フィジーという国は、日本ではリゾート地というイメージが強いが、実は政治的に大変な困難を抱えた国である。イギリス植民時代に労働力として移住してきたインド人が今も多く住み、全人口の44%にものぼる。そんなわけで、もともとの住民であるフィジー人とそのインド人との2つの民族から成る国家である。英語はけっこう通じるのだが、フィジー人はフィジー語、インド人は主にヒンディー語を話しており、典型的な二民族国家である。フィジー人は先住民であるが、南国的のんびり気質な人々であり、反対にインド人は言うまでもなく商売熱心である。そのため、国の経済(サトウキビと観光業)はかなりの程度をインド人が握っている。
     僕がフィジーを旅していたとき、たまたまフィジーの日本大使館の人と知り合ってお世話になった。その人に言われて初めて気づいたのだが、首都の街の道端で乞食をしている人はすべて例外なくインド人なのだ。その人の解説によると、フィジー人は親戚とか地縁とかの結びつきが強いから、落ちぶれても乞食になることはなく、街で失業しても村に帰れば食べてゆける。それに対してインド人は自主独立の気風が強いから、経済的に成功する人がいる反面、乞食になる人も出るというのだ。フィジー人の助け合いの精神は逆に経済的な成功の邪魔にもなっているそうで、例えば親戚の誰かが街で現金収入の仕事を見つけると、親戚一同が村を出てその人のところに居候してしまうのだという。
     そんなふうに、まったく性格の違う2つの民族からなる国は、政治においても民族対立が深刻になっている。87年に初めてインド人の政党が選挙に勝ったとき、フィジー人の軍人がクーデターを起こしてそれを止めた。それに続いてフィジー人優位を規定した憲法が制定され、それが非民主的として世界から批判され、フィジーは英連邦を除名され、インドはフィジーとの外交関係を断絶して大使館を引き上げた(僕はフィジーでインドのビザを取ろうとして、インド大使館がないことに驚いた)。
     数年前にそのフィジー人優位の憲法が改正されて、去年、インド人首相の政権が誕生したのだが、今月19日に、フィジー人武装勢力が国会に立て篭もり、首相らを人質にして、フィジー人による政権樹立を訴え、今に至っている。首都ではインド系の商店が焼き討ちに遭ったり、警官が射殺されたりという混乱が続いている。僕が首都で泊まった安宿もインド系の経営なのだが、どうなってることだろう。
     僕の友達のヴィカシュはインド系なのだが、彼からのメールには、「この国がこの状態から立ち直るには10年以上かかるだろう」と書いてあった。果たして、このような民族対立を抱える国が安定した政治を持つことは可能なのだろうか。政治学はそれに貢献できるのだろうか。僕は政治学の力を信じているし、それを一生の仕事にしたいと思っている。

  • 2000−5−31(水)
     大学院の政治学研究科の秘書の人からメールが来て、5月5日〆切の重要書類がまだ提出されてないぞー、とのこと。おいおい、ずっと前に提出したのにいいいい。
     とりあえず、「ずっと前に出したぞー」と返事のメールを送った。その書類がどのくらい重要かというと、それが提出されてないと、2年目に進級できずに退学になってしまうのだ。どうなっちゃってるんだ、まったく。僕はそれを提出したときにその秘書の人と交わした会話まで覚えているんだから、提出したのは間違いない。秘書さんが紛失したに違いない。でも、どうなっちゃうんだろう!?
     だいたい、5月5日に〆切だった書類の件が、5月31日になって連絡が来るというのはどういうことだ。なんか、相当に緊急になってるような気もする。その書類は研究科内部だけで必要なものではなく、大学全体のルールとして提出が義務づけられている公式文書なのだ。ちょっと真剣にヤバイぞ。困ったなぁ〜〜。


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