留学記「大学院をミシガンで」
5月 < 2000年6月 > 7月
- 2000−6−1(木)
秘書氏が紛失したっぽい重要書類の件、メールの返事はこない。探しててくれてるのかなー。見つけてくれればいいけどなー。
日本にいる間に食べたいものを全て食べておきたいと思うと、季節はずれのものまで食べたくなる。今日は母に「おでん」をリクエストした。冬ならもっと旨いだろうけど、この季節でも食いたいものは食いたいのだ。そうしたら、ちょうど夕方には気温も下がってきて、絶妙のタイミング。おでんならビールより日本酒が合うなと思ってたけど、涼しくなったので熱燗にした。熱燗におでん。6月の食べ物とは思いにくいが、でも最高だった。ひっひっひ。
そうです、僕の最大の趣味は晩酌です。
- 2000−6−2(金)
いよいよ衆議院解散。ワクワクして国会中継を見ていたが、万歳が始まるまでに一瞬の沈黙があったのはなぜだったのだろう?
日本政治は僕の専門分野ではないとはいえ、やはり日本の選挙は興味シンシンである。選挙制度改革から2回目であり、どんな変化が現れてくるのか、投票率は上がるか下がるか、また、選挙後の政権はどうなるのか、とにかく面白くてしょうがない。あと、うちの近くに大物政治家が遊説にきたら、ぜひ見に行こう。一番見たいのはもちろん森首相(笑)。来ないと思うけど。
それにしても残念なのは、投票日の25日に日本を発たねばならないこと。開票速報をドキドキしながら見る楽しみを今回は味わえない。今回は特に面白くなりそうなんだけどなー。
- 2000−6−3(土)
こないだ東京の古本屋で100円で買ってきた、浅田彰・黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉『科学的方法とは何か』(中公新書)をパラパラと読んでいて、「杜撰にする」という言葉が出てきて、読み方を知らなかった。調べたら、「ズサンにする」だそうだ。ほえー。この本の佐和隆光の章は、経済学における反証主義の受容・「専門知と日常知」・「社会科学の2つの流れ」など、興味深いことが書いてあって、なかなか。そこで語られる経済学の状況を政治学に照らし合わせて考えると、いろいろ面白かった。こういうのは夏休みにリラックスして読むべき本だな。学期中の殺気立ってるときには楽しめないだろう。
NBAプレーオフ東地区決勝、ペイサーズがニックスを下して初のファイナル進出を決めた。あ〜、ユーイングがチャンピオン取るところを見たかったんだけどな〜。
- 2000−6−5(月)
用事があって、めったに通ったことのない山道(でも国道)を車で通ったら、大型ダンプが行き交っていて、なんだろうと思ったら、バイパス工事をやっていた。こんな田舎道(といったら失礼だけど)にバイパスを通す必要ってあるのかなぁ?まったく幹線ではなくて、通行量の7割が地元の人であろう山道である。ああ土建国家ニッポン&土建王国新潟県。
こういう無駄(少なくとも低意義)な公共事業をなんとかして欲しいよなぁ、といつものように思ったのだが、さて考えてみると、公共事業は土建業者を潤わせてるだけじゃなくて、こんな農村部での就業先の供給にもかなり役立ってるはずである。産業の少ないこういう田舎では、建設業者に勤めている人の率はけっこう高くて、「就職先がない→若者が流出」で悩む農村にとっては、貴重な就職先なのだ。このあたりの建設業者がガンガン潰れたら、ますます就職口がなくなって、もっと多くの若者が都会に出て行くし、兼業農家は家計を維持できなくなる。「農村の嫁不足」の問題が更に深刻になるなど、社会経済的なコストは相当に大きい。
こう考えると、安易に「公共事業を減らせ!」とは言えないのかもしれない。もちろん、中長期的には土建国家の体質を改めることは必要だ。しかしそのためには、建設業に代わる産業を地方に興すことも同時に行わなければならないのではないか。かといって、どんな産業が興りうるのだ??なんだか、問題の根は深い。深すぎてため息が出る。
NBAプレーオフ、最終戦までもつれこんだ西地区決勝は、レイカーズが第4クォーターに驚異的な追い上げを見せ、逆転勝利でファイナル進出を決めた。オニール中心のレイカーズの試合は見ててつまらないので、負けろ負けろと念じながら観てたのだが、それでも終盤の爆発力には感嘆した。恐ろしいほど強い。これでファイナルはレイカーズとペイサーズの組み合わせになった。ちなみに、「レイカーズ」と「ペイサーズ」、両者のチーム名は母音が全く共通である(さっきトイレの中でふと気づいた)。もひとつちなみに、オーストラリア式発音にすると、「ライカーズ」と「パイサーズ」。ふひゃひゃ。
- 2000−6−13(火)
東京に行って、研究会にでたり友達に会ったりして、昨日帰ってきた。行きは高速バス、帰りは新幹線だったが、乗り物に長時間乗ったりしてるとどうしても便秘になってしまう。まだなんだか腹の具合がおかしい。
歴史的な南北朝鮮首脳会談、昨日からの予定だったが今日に延期されて、そのおかげで金大中大統領がピョンヤンに到着するところをテレビの生中継でみることができた。金正日総書記が生中継の映像に現れたときは思わず驚きの声が出た。何年か前に「ソウルは火の海になるぞ」と言ったりしてた北朝鮮が、大きな変わりようだなぁ。
この歴史的な会談がどんな経緯で実現に至ったのかは知らないけど、一般論として、政治的に大きなイベントが、「西暦2000年という節目の年だから」という理由で企画されることってあるだろう。外交上の懸案が「今世紀中に」という標語のもとに実現したりとか、そんな感じのこと。今年が「2000年」であることには実は何の必然もないし、他の年と物理的に異なることは何もない。それが、たまたま区切りのいい年と数えられているために本当に何かが起きてしまうってのは、面白いものだなぁと思う。
どこで知ったのかは忘れたけど、「世紀末」という言葉は、百年ごとに毎世紀の終わりに言われていた言葉ではなくて、19世紀末のヨーロッパに大きな出来事がいろいろ起きたために初めて使われた言葉なのだそうだ。それが、20世紀末になって当然のようにまたその言葉が復活して、「世紀末だなぁ」「世紀末だから」とか言われて、それにかこつけた犯罪なんかも起きているわけだ。人間社会ってのは、意外に変な要因に左右されるものだと思う。
- 2000−6−17(土)
けっこう前の話になるが、進級にも関わる重要書類が提出されてないと秘書氏からメールが来た件(5/31の項参照)、ついに解決した。今朝メールを開けたらやっと秘書氏から返事が来ていて、真相は、僕がその書類を提出して秘書氏が手続きしたあと、もう1度僕がサインをしなければいけない場所があったので、秘書氏が僕のメールボックスにその書類を入れておいたのだそうだ。日本に帰ってる僕がメールボックスを見るはずはなく、そのまま僕のメールボックスに眠っていたというわけ。僕がミシガンに帰ってからサインをして出せばいいそうだ。あー、よかった。
8回も通いつめた歯医者、ついに治療が完了した。長年の懸案だった前歯を差し歯にして、見た目がかなりキレイになった。仲良くなった助手の女の子とも今日でお別れ。その子の表情が寂しそうに見えたのは気のせいか?ふっ、俺はまたアメリカに飛ばねばならないのさ・・・。
- 2000−6−21(水)
まもなく再渡米で、その準備にバタバタしてきた。あさってに家を出て、日曜日の午前中の飛行機で成田を発つ。
床屋に行ってきた。ミシガンではいつも10ドルのとこに行ってるのだが、ここでは3800円。やっぱり日本は金がかかるなぁ〜。
でも、10ドルの「安かろう悪かろう」のとこと違って、さすがに技術もしっかりしてるし、鼻毛カット・顔剃り・耳掃除・首や肩のマッサージなど、至れり尽せりである。普段は適当なとこでいいけど、たまにこういうとこに来ると、安心するというか、スッキリするというか、例えばパソコンのハードディスクをデフラグしたときのようないい気持ち。さて、サッパリしたところで、荷物の整理をしっかりやろう。
- 2000−6−25(日)
無事にミシガンに帰ってきた。しかしこれから8月18日までは、ミシガン州立大学(MSU)を離れて、アナーバー市にあるミシガン大学(UofM)で夏季授業を受講する。「ICPSR」という、数理・計量分析の手法を集中的に訓練するコースで、僕の場合は授業料が免除され、生活費として2000ドルがMSUから給付され、さらにここで取った単位がMSUで認定される。素晴らしい待遇である。というのは、MSUの政治学研究科は教員の数も院生の数も少ないので、どうしても開設講座数も少なくなるわけで、だからこのICPSRをカリキュラムの一部くらいに位置付けているのである。実際に地理的にも近いし。だから博士課程の院生は希望者全員が授業料免除&単位認定の条件でこれに参加できる。(2000ドルの生活費については数人しかもらっていないが。) (後になって、この件について僕が勘違いしてたことがわかりました。詳しくは2000年8月30日の日記を御覧ください。)
で、僕の同級生の多くがこの夏にICPSRに参加する。MSUから車で1時間くらいなので、僕以外の全員は車で毎日通学するのだが、僕は、往復2時間がもったいないし、アナーバー市に住んでみるのも面白そうだと思ったので、ミシガン大学の宿泊施設に住むことにした。
部屋は2人用だがそれぞれの部屋には鍵がかかるので、個室みたいな感じ。2人の共用部分には台所がある(トイレ・シャワーは廊下にあって、フロア全員の共用になる)。僕の相棒は、ヘンドリック(だったかな?)というスウェーデンから来た会計学の学生。すごくよさそうな人だ。
さて、どんな日々が待ってるのだろう?
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