[トップページに戻る]


留学記「大学院をミシガンで」

5月 < 2001年6月 > 7月


  • 2001−6−6(水)の夜
     パソコンが修理から返ってきた。LCDケーブルという部品を交換したそうで、作業代と運送費を含めて、32135円だった。
     しかし、ハードディスクの駆動音が微妙に変わってるのはなぜだろう?

     この間の出来事からいくつか:
    ・27歳になった
     子供のころ、なんとなく標準的な結婚年齢は男27歳・女24歳と思い込んでたが、その年齢になった。まさか27歳の自分がまだ学生をやっていようとは、その当時は想像もしなかっただろう。
    ・話題の小泉首相ポスターを買った
     東京に行く用事があったので、ついでに永田町の自民党本部に行って買ってきた。問題もあるけど、僕は小泉政権を断固支持する。ポスターはアメリカに持って帰って研究室に貼る。自分の国の政治指導者を誇りに思えるって幸せだなと思った。
    ・母校の大学に行って、恩師に会ってきた
     先生は開口一番、「前田はホームページが有名だな」と。ビビった。さらに続けて、「うちの娘も読んでたぞ」 な、なんと…。
    ・『翔ぶが如く』は3巻の途中まで読んだ
     考えたことがいくつかあるけど、後日書きましょう。
    ・ネパールの政変
     政変と言うのは行政府の長(ネパールの場合は首相)の座を巡って行われるのが普通だけど、実際の政治権力を持たない君主の座がこんな風に変動したりとか陰謀説が囁かれたりとか、すごく異様というか、う〜んネパール、って感じ。ネパールに実際行ってみて一番面白いと思ったのが、日本で言うお地蔵様みたいな小さな祠とか仏像・神像とかが街のいたるところにあって(10mおきにあったりとか!)、それぞれちゃんとお供え物が捧げてあったりして、すごく信仰心の厚い人々なんだな、と。こういう国の政変はやはりちょっと違うものなのかも。
    ・コシヒカリのアイスクリームを食べた
     これが強烈に不味い。なんでこんなものを売りに出すのか全く不可解。しかも、ラベルを見たら、コシヒカリは10%しか使ってない。たった1割のものが全体をぶち壊すなんてことがあるもんだなぁ。
    ・『新しい歴史教科書』を買った
     読後感想を後日書きます。
    ・田中真紀子外相
     もう更迭しかない。新潟県の恥、日本国のガン、小泉政権の疫病神。できれば切腹してもらいたいけど、切腹は侍の特権なので、女性がするわけにはいかないか。

     その他にもいろいろあるので、思い出したらその都度書きましょう。

  • 2001−6−7(木)の昼間
     サッカーのコンフェデ杯を観てて、どうにも気になるのが、日本代表選手たちの髪の毛の色。金色とか茶色とか。
     ヨーロッパの国の代表が白人で、カメルーンの選手が褐色の肌に巻き毛の髪で、それと同じように、日本を代表する選手たちにはどうか黄色の肌と黒い髪で闘ってもらいたい。あの茶髪や金髪を見てると、白人崇拝みたいな根性が見えるようで、非常に気に入らない。日本代表のくせに西洋人の真似をしてるなんて、恥だ。
     自己主張をすることは大いに結構だ。でも、その主張する「自己」が白人崇拝の猿真似精神とは、あまりに情けない。
     僕はアメリカに留学してアメリカ式の政治学を勉強してるわけだけど、「和魂洋才」を目指してるつもりだ。どういうことかというと、小手先だけ(髪の毛の色だけ)洋風になるんじゃなくて、外国の進んでるものを自分の中に取り込んで、それでいて黒髪で勝負するということ。
     完全に外国人になって、「洋魂洋才」になるというのも一つの選択肢であろう。完全にそこまでやるならば。あのサッカー選手たちの何がカッコ悪いかって、そこまでも行ききれず、毛の色を変えるだけで中途半端、結局は猿真似に終わっちゃってるのだ。カッコ悪いったらカッコ悪い。

  • 2001−6−10(日)の夜
     さて、話題の『新しい歴史教科書』について。
     この教科書論争についてはずっと関心を持ってたけど、読まずにあれこれ言うのはよくないと思ってたから今まで何も言わずにいた。大学院の後輩の韓国人が僕と論争したそうな様子だったけど、知らぬ振りをしていた。
     で、今回、一般に発売されたから喜んで買ってきて、さらに、教科書検定での検定意見と中韓からの修正要求が掲載されてる『正論』の7月号も買ってきた。
     で、比較対象として、手元には平成元年検定の教育出版による歴史教科書がある。たしか僕も中学時代にこの会社のを使った気がするけど、ちょっと読んでみて驚いた。冒頭の「歴史的分野の学習をはじめるにあたって」のページに、こんな記述があるのだ。

     「世界の歴史は、人が人として生きるための、人権の確立へ向かってのあゆみであったということができます。人と人との間の不当な差別をなくし、人々や国々の間の平等を実現することをめざして、歴史の学習をすすめていきましょう。」

     歴史の単線史観というか、目的論史観というんだろうか、とにかく、冗談じゃない。(念のため、僕が差別に賛成とかそういうことじゃなくて、人類の歴史が一つの方向へ目的を持つかのように進んできたとするのが噴飯なのである。また、歴史の学習の目的が差別撤廃とか平等とかであるはずがない。これじゃあ共産国の教科書だ。)
     『新しい〜』のほうはどうか。冒頭の「歴史を学ぶとは」のページ:

     「王の巨大墳墓の建設に、多数の人間が強制的にかり出された古代の事実に、現代の善悪の尺度を当てはめることは、歴史を考える立場からはあまり大きな意味がない。歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。」

     まったくその通り。拍手を送りたい。
     あと、教育出版のほうの最後のページは、こう締めくくられている:

     「わが国は、第2次世界大戦を最後に、これまでどの国とも直接に戦争をすることなくあゆんできた。核戦争のおそれはたえないが、戦争の放棄を宣言した日本国憲法と非核三原則を守って、世界の平和と諸国民の平等な発展のために、ささやかな力をだしあうことを誓って、この歴史の教科書をとじることにしよう。」

     卒倒しそうになった。「ささやかな力をだしあう」って言葉に虫酸が走る。何で、歴史の学習の最後にみんなで誓いを立てなきゃいかんのだ!?
     誓いを立てることが愚かしい以上に、誓いの内容が恐ろしいではないか。これじゃ政治教育だ。さらに言えばイデオロギー教育だ。
     中学生のときの自分は疑問にも思わなかったけど(っていうか、むしろこういう言葉に感動して奮い立ってたかもしれない)、既存の歴史教科書は相当に左翼勢力や進歩史観に傾いていたようだ。それが、『新しい歴史教科書』が出てきた背景なんだろう。

     続きは明日(たぶん)。

  • 2001−6−11(月)の夜
     誤解のないようにお願いしたいのですが、僕がここに書くような政治的意見や歴史観などは、僕が大学院で勉強している政治学とは全く関係ありません。僕の学問は、「科学的・学術的」な政治学をめざしていますし、実際に分析しているテーマ類も、意見や信条が入る余地のない種類の事柄です。この教科書問題についても、趣味というか一般教養的な関心から調べており、自分が政治学専攻であることとは関係ありません。

    − − − − −

     『新しい歴史教科書』をめぐる報道・論説の中で話題になってたことの一つに、神話の扱いがあった。
     歴史教科書の1ページ目が神話から始まるとしたら、それは相当に問題だと思うが(でも韓国の教科書はそうなってるんだろうなぁ)、読んでみたらそうではなかった。人類の起源や縄文・弥生文化、大和朝廷による統一などが記述されたあとで「神武天皇の東征伝承」がわずか1ページ、しかも『古事記』『日本書紀』に残る伝承と明記した上で載っている。何も問題ではないと思う。
     そのちょっと後に、大和武尊と弟橘媛について2ページ、そのしばらく後に、イザナキ・イザナミ・天照大神・スサノオについて4ページ載っている。恥ずかしながら僕はこれらの神話についてほとんど知らなかった。で、これは日本人として知っておいていい教養だと思った。教えるとしたら国語か歴史か、たぶん歴史のほうがいいだろう。だから、僕はこの点について、『新しい歴史教科書』に賛成。

     さらに続く。

  • 2001−6−12(火)の昼前
     引き続き歴史教科書について。
     一般論として、どの国の歴史にも栄光の部分と恥の部分とがあるだろう。で、僕が思うには、恥ずかしい過去を隠蔽することがよくないのと同じように、栄光をわざと隠すのも愚かしい行為だ。我々は祖国の歴史、先人たちの歩んだ道について、その誇らしい部分については正当に誇りを持つべきだ。…って、書いてみるとなんとも当たり前のことなんだけど、それが当たり前でなかったあたりに、これまでの歴史教育がマトモでなかったことが現れている。なんだか、日本のことを卑下して日本の過去を罵倒することこそが、「進歩的」な人の態度であるかのような風潮がこの国にはあるような気がする。恥ずかしながら僕も昔はそうだった。でも、アジア・オセアニアの多くの国を訪ね歩き、世界中から人が集まるアメリカの大学に学ぶうちに、僕はこの日本ローカルの観念から自由になってきたのかもしれない。良いことに誇りを持ち、悪いことを反省する、と、極めて当然なことが、日本ではこれまで当然ではなかった。「祖国に誇り」を持つことは右翼だとか、歴史の全否定こそが正当な態度だとか、そんな空気が、残念ながら今でもこの国に流れている(さらに悲しいことに、この異常な状態が徐々に改善されて来てることを名付けて「右傾化」と呼ぶ人々がいる)。
     例えば日露戦争の勝利などは、日本の歴史の中でも第一級の栄光だと思う(これは朝鮮半島への侵略などではなく、ロシアの脅威への対抗戦争。もちろん、戦場になった地域の人々には気の毒だけど、残念ながらそういう時代だった)。日本海海戦について、教育出版の教科書は「海軍は、日本海海戦でロシア艦隊をやぶった」としか書いてないが、『新しい歴史教科書』は6行に渡って記述していて、その後半部は、「東郷平八郎司令長官率いる日本の連合艦隊は、兵員の高い士気とたくみな戦術でバルチック艦隊を全滅させ、世界の海戦史に残る驚異的な勝利をおさめた」となっている。これくらいの強調は当然だと思うね。
     祖国に誇りを持つということは極めて自然の感情である。ただ問題なのは、それが行き過ぎると、偏狭な自民族中心主義になりかねないことだ。それはイカン。
     『新しい歴史教科書』には、この点でちょっと首をかしげる部分がある。例えば、口絵5ページには、法隆寺五重塔塑像の解説として、「釈迦の死を悲しむ姿だが、これほど強い感情を表現した像は、世界にも類をみない」とあるが、本当かなぁ?なにか根拠があるんだろうか?この表現はちょっとしっくりこない。
     祖国に誇りを持つことは重要で当然のことなんだけど、それが、根拠もなく、日本に関することは無条件に賛美、外国のことは見下す、というふうになってしまっては病気だ。そのへんのバランスって、簡単そうに見えて、実はそんなに簡単なことじゃないだろう。

     まだ続く。

  • 2001−6−13(水)の午後
     さらに引き続き歴史教科書について。
     昨日のとこで、日露戦争の勝利は日本史における栄光だったと書いた。では、昭和の戦争はどうか。これについて僕は以下のように考えている。
     当時の日本の間違いの最も大きな3つは、(1)統帥権の独立によって、政府が軍をコントロールできなかった、(2)戦略軽視・戦闘能力重視(岡崎久彦『戦略的思考とは何か』中公新書)、(3)極端な精神主義と人命軽視、だったと思う。
     それはさておき、対英米開戦に至ったのは、ABCD包囲網の中で石油がなくなりそうになって南方の資源が欲しくなったからなわけだけど、もともとなぜそんなに資源が必要になったかといえば、日中戦争が泥沼化してたからだ。三国同盟ももともとは日中戦争解決のため(ドイツと組んで英仏ソの蒋介石支援を妨げてもらう目的)だったんだから、日中戦争に入っていったせいでズルズルとアリジゴクに落ちるように追い詰められていったのだと考えられる。その日中戦争は、近衛内閣が陸軍の意向に押されて全面戦争になったものだそうだし、更にさかのぼれば、張作霖爆殺と満州事変も軍部が政府の意向に逆らって起こしたものだった。そのころに選択を誤ったために、だんだんとその先で日本の選択肢が減り、針路が破局へと向かっていったわけだ。
     そう考えると、対英米戦がアジア解放戦争だったというのはどうしても信じられない。結果的にアジア諸国の独立が早くなったのは確かだろうが、もともとは資源を求めて南下したのだから、資源さえ持ってたら(又は要らなかったら)、日本がそっちへ行くこともなかったのでは?だったら、結果的にアジア諸国の独立を助けたことになっていても、それは日本が誇れる類いのものじゃない。
     司馬遼太郎氏がどこかに書いてたように、日露戦争後の日本は、勢力拡大を止めて小さく落ち着いていたらよかったんじゃないかな。その点、戦略のミスだったと思う。

     だから、日中戦争については、それをしないという選択も可能だったと思うので、やっぱりあれは無用な侵略戦争だった。その過程で残虐行為が行われたのも事実なんだろうから(被害の規模については学術的研究を期待する)、それは日本が悪かった。しかし、アメリカに対する戦争は、(それは無茶・無理・無謀だったわけだが、でも)日・米のどっちが善でどっちが悪という問題ではない。対等な国と国との普通の戦争。だから、勝った方が負けた方を裁いた東京裁判はやはり問題だったと思う。
     東京裁判を疑問視するとすぐに「侵略を美化するのか!」なんて頭から湯気を出す人がいると思うが、こうやって、中国などに対する問題とアメリカに対する問題とは分けて考えるべきだろう。

     教科書の評価から話がそれたけど、次回は本筋に戻って、この件について完結。

  • 2001−6−14(木)の朝
     歴史教科書の評価の話に戻る。
     『新しい歴史教科書』の近現代のページを読んでみて、報道されてたイメージとは全然違うなと思った。大逆事件のことなんか、書いてないんじゃないかと思ってた。三・一独立運動や五・四運動、関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件についてもちゃんと書いてある。この教科書をめぐる報道は相当に意図のこもったものだったのでは?現物を読んでみてよかった。
     でも、ヤバイと思う部分もある。特に、書いてることの事実に間違いはなくても、サッと読んだら誤解しそうな表現、また、書き手の側が特定の誤解を読者に与えようと意図してることがうかがわれる表現も見られる。例えば、

     「日本の指導者の中には、戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いておくほうがよいという考えも強かった。しかしこれらの地域の人々が日本に寄せる期待にこたえるため、日本は1943(昭和18)年、ビルマ、フィリピンを独立させ、また、自由インド仮政府を承認した。」(280ページ)

     そりゃ、ビルマ・フィルピンを独立させたのは事実としても、こんなふうに書いたら、日本の指導下の政権であったことが伝わらないかもしれないだろう。日本の行動を美化して暗い側面を隠す意図が見える。書き手は、「事実に誤りはない」と胸を張るんだろうが。(といっても、同様の手口は反対側の教科書にももちろんあるわけだが)
     公平を期すために記すと、そのすぐ後にちゃんとこういう記述もある:

     「しかし、大東亜共栄圏のもとでは、日本語教育や神社参拝が強要されたので、現地の人の反発が強まった。また、戦局が悪化し、日本軍によって現地の人々が過酷な労働に従事させられる場合もしばしばおきた。そして、フィリピンやマレーなどのように、連合軍と結んだ抗日ゲリラ活動がさかんになる地域も出てきた。日本はこれにきびしく対処し、また日本軍によって死傷する人々の数も多数にのぼった。」(281ページ)

     この記述は正当だと思う。大東亜共栄圏という単語にカギカッコがついてたらもっとよかったけど。

     ともあれ、『新しい歴史教科書』は、全体を読んでみたところ、報道されてたような「軍国主義」とか「皇国史観」とかではないと思う。著者たちの実際の信念がどうかは別として、出来あがったこの教科書は、特におかしくはない。
     もちろん、長所も短所も両方ある。それはどの教科書にも言えることだ。長所も短所もひっくるめて、僕の判断では、検定で不合格にすべきようなものでは決してないし、6月10日の項で紹介したようなトンデモナイ教科書よりは総合的に勝っているとも考える。

     一番恐ろしいと思うのは、この教科書を使用することになった中学校で、マルクス史観の教員が「この教科書は全て間違いだ」とか生徒に話すであろうこと。教師と教科書との間で混乱する生徒たちが気の毒だ。教科書の質を高めることと同時に、教員の質も高めることも必要であり、その両方が揃ってこそ、「歴史教育」の質が高まるのだといえる。教育問題を教科書問題に矮小化するのは誤りで、本質を見失っている。教科書さえ変えれば教育が変わるなんてのは、とんでもない楽観であり、問題はもっともっと根深い。

  • 2001−6−15(金)の昼前
     9万ヒット達成しました!どうもありがとうございます。

     夏休みのノンビリ日本滞在もあと一週間になってしまった。まだ食ってないものはないかとか考え中。
     明日は、県内の某小学校に出向いて、児童たちに「国際交流」についてお話しすることになっている。6年前のバックパック旅行のときの写真を見せながら、外国・異文化ってものに興味を持たせるような話をしたい。
     しかし、小学生と話したことなんてしばらくないので、どのくらいのレベルで話せばいいのか、それが難しい。しかも、一年生と六年生の間には理解力や語彙に相当の差があるわけで、どこに合わせていいのか、それも難しい。さて。

  • 2001−6−16(土)の夜
     昨日書いたように、今日は県内某小学校に行ってきた。全校児童13人という、超・小規模校で、でも、綺麗な山村で、いいところだった。
     「国際交流」についての僕の講話は、まずウルドゥー語で書かれた僕のネームプレートを見せて、「これは何でしょう。絵ですか、字ですか?」の問いから始めた。我ながらいい導入だったと思う。
     それから、いろんな国の写真を見せて、人々の暮らしなどについて話した。

     「この人達は猿を食べるそうです」(ブータンのドォーヤ族)
     子供「かわいそう〜」
     「この国では男の人もスカートをはいてます」(トンガ)
     子供「気持ち悪〜い。おかま〜」
     「この国では、トイレで手でおしりを拭きます」(インド)
     子供「キャーッ!」

     と、期待通りの反応が返ってきて、面白かった。そんな感じに、衣食住すべてに日本とは違った生活スタイルの人々が世界にはいて、日本で当然のことが世界ではそうでもないんだということを話した。
     質問もたくさん出て、子供たちの反応はよかった。終わった後の休み時間には子供たちが僕のまわりに集まってきて、なついてくれた。本当に素直でのびのびとした子供たちで、心が洗われる気がした。日本に帰ってきてから、電車のなかで床に座る高校生とかに暗い気持ちにさせられてたこともあり、日本を離れる前にこの子たちに会って、本当によかった。

  • 2001−6−18(月)の夕方
     昨日と今日は梅雨の中休みで、新潟県はいい天気。
     実家で過ごすのはあと明日限りになってしまった。今日はいつものように水泳に行って、午後は友達とゲームセンターに行ってきた。消防士になって放水で火事を消すゲームがあって(実際にホース型のものを手に持って操作する)、「こんなゲームまであるのか…」と驚いたけど、やってみたら凄く面白かった。
     今回の再渡米では、宅急便でスーツケースを成田まで運んでもらうんだけど、明日の午後に家まで取りにきてもらうので、今夜は荷造りをしなきゃ。と言っても荷物はけっこう少ないんだけど。

  • 2001−6−19(火)の夜
     ついに、実家で過ごす最後の夜になった。
     明日の朝に家を出て、明日の夜は千葉にいる友達のとこに泊めてもらって、あさって(木曜)の午後4時に成田を離陸する予定。
     スーツケースはもう宅急便で空港に送ってしまったので、明日は小さな荷物で家を出られる。宅急便の料金は1990円。これだけ払えば重いスーツケースをはるばる運ばなくて済むかと思うと、安すぎるくらいだ。
     今日は、携帯電話の解約に行って、床屋に行って、水泳にも行った。

     去年の5〜6月に帰国したときは、毎日ちょっとずつ数学の勉強をしたりしたけど、今年はもっとずっとノンビリ暮らしていた。休養と気分転換が今の自分には真剣に必要だと思ってたこともあるし、怠け根性が表に出てきてたこともある、かな?
     まあ、来週火曜からはまたICPSRのサマープログラムが始まるので、ガンガン勉強に追いまくられる日々が再スタートだ。武者震いするぞ。

  • 2001−6−21(木)の夜
     とりあえず、ミシガンに帰りついた。成田からデトロイトまでは順調、デトロイトからの乗り継ぎ便が大雨のせいで遅れたけど、まあ、とにかく無事に戻ってきた。
     眠いけど、今夜はなるべく我慢して起きていよう。そうでないと、夜中の2時とかに起きてしまって、いつまでも時差調整ができない。
     明日と明後日はいろいろ片付けたりして、日曜日にアナーバーのミシガン大学に向かう。来週から4週間はゲーム理論のお勉強。やるぞぉ。

  • 2001−6−23(土)の午後
     時差ボケで苦しい。朝は4時とかに目覚めて眠れないし(身体は疲れてて眠りたいのに、脳が眠りに入ってくれない)、昼間に眠くなるし。うー。
     昨日も今日もいい天気だ。ちょっと前まで凄く暑かったらしいけど、今はちょうどいい気候。アナーバーでもこんな感じならいいなぁ。
     今夜と明日の午前中は、アナーバーに持っていく荷物を整理しなきゃいけない。あー、面倒くさい。

  • 2001−6−24(日)の夜
     今日はお引越し。といっても、4週間だけの仮住まいだけど。
     去年に続いて、今年もICPSRにやってきた。うちの大学から1時間ちょっとなので、同じくこれに参加するうちの同級生や後輩はみんな通学するようだが、僕は今年も現地に泊まり込みで受講することにした。そのほうが時間を有意義に使えると思うし。
     部屋を片付けたりしてたら夜になった。机の電灯の電球が切れてたので、フロントデスクに行って電球をもらってきた。その帰り、建物の外で、緑色に光る蛍に遭遇。そういえば、去年も見たなぁ、これ。
     明日は登録のみで、明後日から授業開始。

  • 2001−6−25(月)の夜
     授業登録へ。ゲーム理論を履修し、回帰分析のクラスを復習のために聴講することにした。
     トラベラーズ・チェック(T/C)を現金にしようと思って近くの銀行に行ったら、写真入りの身分証明書2種類の提示を求められ、さらに指紋を取られた。今まで10ヶ国くらいでT/Cを現金化したことがあるけど、指紋を取られたのは初めてだ。その銀行に口座を持ってたらそれは必要なかったらしいけど。
     教科書を買いに行った。Morrow(1994),Game Theory for Political Scientistsが古本で$29.65。Gibbons(1992),Game Theory for Applied Economistsは古本がなくて、新品$31.95。あと、授業とは関係ないけど、前から欲しいと思ってたHamilton(1992),Regression with Graphicsの古本があったので購入。$77.50(←古本でこの値段!)。高いねぇ、本って。まあ、それだけの価値があると思うから買うんだけど。

  • 2001−6−28(木)の夜
     授業開始から3日が経過。
     毎日、午前中にゲーム理論を2時間、午後に回帰分析を2時間やっている。それに加えて、一昨日は夜に回帰分析の補講が2時間あったし、昨日と今日の夜には視覚化(良いグラフの作り方とか)の特別講義が2時間ずつあったので、これまで3日間、毎日6時間ずつも授業に出ていた。疲れる〜。
     去年もそうだったけど、教室の過剰冷房にはホトホト困ってしまう。今日の回帰分析の時間なんか、骨まで冷え切ってしまい、苦しくてたまらなかった。これのせいで余計に疲れてるかも。
     ゲーム理論は、いまのところまだ問題なく理解できている。でも、先生も言ってるけど、この先どんどん難しくなりそう。
     回帰分析は、復習のつもりで聴講してるんだけど、自分が忘れちゃってたところや、ちゃんと理解してなかったことなどに気づかされて、非常によい。大学院の友達に、「いまさら回帰の基礎(しかも行列を使わない)なんかやって退屈じゃない?」とか言われるけど、最尤法や時系列などまでやった後でもう1度基本に返って最小二乗法の講義を聴くのは、けっこう意義のある学び方じゃないかと思う。
     自分の理解を確実にするという目的もあるし、あと、自分がこれを教えることになったらどう説明するかについても非常に参考になる。実際、先生も「君たちの中には将来これを教えることになる人も多いと思うが、この箇所は非常に質問がでるところだぞ」とか言ってくれて、ふむふむと考えさせられる。それにしてもこの先生の説明は猛烈に上手であり、学ぶところが多い。

  • 2001−6−29(金)の夜
     今日でICPSRの一週目が終了。今日は夕方に歓迎レセプションがあって、タダ飯につられて行った。去年も来てた人にけっこう会った。名前を覚えてなくても顔だけ覚えてたりして、「あ!去年も来てたよね!」とか言い合ったり。
     食べ物はタダだけど、アルコールは有料で、だから水だけ飲んでたんだけど、それではどうも盛り上がらなくて、2時間くらいで帰った。そのころにはけっこう人が減ってたし。
     そんなわけで、金曜の夜ながら、住居に帰って洗濯したり。ゲーム理論の宿題にも取りかかろうかな。

  • 2001−6−29(金)の深夜
     さて、ゲーム理論をちゃんと勉強し始めてみると、まだそんなにやったわけでもないのに、「これはすげぇ!」とワクワクしてくる。政治学の分析ツールとして、すごく有用そうである。
     でも、批判されることの多いアプローチであり、誤解されてることもすごく多い(まあ、数学を利用することの副産物的コストかもしれないけど)。
     よく言われるのは、「非現実的」ということ。確かに、ゲーム理論を初めとする演繹的アプローチでは、「強い仮定」を最初に置いて分析を始める。このことについて、「政治現象は複雑で多様な要因から起きているのだから、それを単純化してしまったら政治は理解できない」とか言われる。しかし、現象を説明するということは、その現象の原因と結果を複雑な現実の中から浮かび上がらせることに他ならないのであって、複雑なものを複雑なままに描き出していったら、それは「叙述」にはなるけど「説明」にはならない。「政治学」が「政治事情」とは違う以上、我々が目指すのは「説明」に他ならないのだ。(もちろん、政治哲学などの分野にはこれはあてはまらないし、政治「史」研究の分野では叙述も重要なのだろう。その点については何の異論もない)
     理論というのは全て現実の単純化を伴うのであって、だから、「お前の理論は単純すぎる!」というのは批判にも何にもならない。むしろ、複雑な事象を単純に説明できたら(「できたら」の部分が重要)、それは最高の理論である。現象をザクッと切ってみせる尖鋭な理論を探してる人に「現実の複雑さを無視するな」なんて言うのは、ハンドボール選手がサッカー選手に「ちゃんと手を使え!」と言ってるようなものだろ。
     だから、分析の前提になる仮定を批判するなんてのはナンセンスであって、問題は、その分析から得られた結論が面白い/役に立つ/高い説明力を持つかどうかである。ここで、「実際に現実を説明できていないじゃないか」と言うのが、Green & Shapiro (1994), Pathologies of Rational Choice Theoryの批判である(僕の記憶が正しければ)。
     それに対する再反論は、「説明できてるものもちゃんとあるじゃん」というものもあるし、「学問は分業の世界なんだから、演繹的モデル立てをやる人とそれを経験的に検証する人は別であっていい。後者の作業が遅れてても、前者が仕事を止める必要はない」ということもある。また、僕が特に強く思うのは、「演繹モデルが現実と合わなくても、その違いがどこから来るかを再検討することで新しい洞察・着想が得られることがある」ということである。Shepsle & Bonchek (1997), Analyzing Politicsの中に「discovery tool」という言葉が出てきて、僕は何重にも下線を引いた。そうやって、表層に現れてきた事象だけを観察していては気がつかなかったようなことへの発想を導いてくれる(こともある)ことが、演繹的アプローチの大きな魅力であり、僕の考えでは、直接に現象の説明を目指すことよりもこっちの意義の方が大きいのではないかと思うくらいである。

     僕の基本的スタンスは、「いろんなアプローチがあっていいし、有用な限りで何でも使うべき」ということである(もちろん、有用性の下がったアプローチは当然廃れてゆくし、異なるアプローチ間の競争は切磋琢磨になるので奨励されるべき)。そんなわけで、今はゲーム理論の有用性に何の疑問も持たないので、あと3週間しっかり勉強する。

     なんだかエキサイトして長くなっちゃった。宿題には当然手をつけてない。

     ゲーム理論について最後にもう一つ。「政治現象を説明するという本来の目的を見失って、極端な形式主義・数学コンクール・ハイテク自慢大会になっている」という批判については、そうなったらよくないと本当に思うので、肝に銘じなきゃいけないと思う。日本の恩師の先生に、「骨太のところを忘れるな」と言われたのはこの意味だったんだろう。


5月 < > 7月

留学記目次へ


[トップページに戻る]