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留学記「大学院をミシガンで」

8月 < 2001年9月 > 10月


  • 2001−9−1(土)の夜
     今日はけっこう涼しい。Tシャツ・短パン姿で自転車に乗ってたら鳥肌が立った。
     土曜の夜だというのに、夜10時過ぎまで研究室に篭ってた。昨日書いたMankiwの経済成長の章を苦労して読み終わった。教科書というのは、つまりその学問分野で既に明らかにされていることを体系的に紹介してるわけだが、さすがに経済学は政治学よりも断然体系化が進んでいるもので、政治学の教科書と比べると遥かにシステマチックな説明がなされていて、感心しながら読んだ。
     で、「〜〜の点については経済学者の意見は一致していない」とか「〜〜の要因はまだよくわかっていない」とかいう記述がたまに出てきていて、読者はこういうところで学界の論点・研究の最前線の位置を知るわけだなと思った。これも、体系化された学問ならではだ。
     政治学の中でも、僕の専門である比較政治学は、特に体系化が進んでない分野だと思う。大学院に入ってから使った教科書も、今思うとエッセイの寄せ集め風だったような気がする。(それでも、当時は日本から来てすぐだったので、大学院生向けの教科書というものが存在するということにまず驚いていた)
     いや別に、全ての学問分野が体系化されうるとか、体系化してる分野のほうが偉いとかいうつもりはないけど、ただ、大きな違いがあるもんだなぁ、という感想。あと、体系化されてる分野のほうが、その分野の研究者全体の生産効率は高いかもな、とか。

  • 2001−9−3(月)の昼前
     7月にパソコンのOSを再インストールしたときに、「後でやろう」と思ってたんだろう、LaTeXがまだインストールされてなかったのに気がついて、昨日の夜やった。しかし、やっぱりこれは簡単な作業ではない。昨夜だけでは終わらず、今日まで持ち越し。どうも理解してないことが多いようだけど、とりあえず前と同じように動くようにはなった。

  • 2001−9−4(火)の夜
     連休も終わり、学会に行ってた連中も戻ってきて、研究室周辺はいつもの賑やかさに戻った。学会帰りで妙に日焼けしてる連中がいたのでどうしたのか訊いたら、サンフランシスコで海岸に行ったり、プロ野球を見に行ったりしてたとか。何をしに行ってたのやら。
     今日は僕のクラスは休講なので、何も予定のない一日。ずっと文献を読んだりしていた。
     で、今日からソフトボールの秋期リーグが開幕。今日から5週間、毎週火曜の夜に2試合ずつやっていく。我が政治学研究科チームは、今シーズンからスポンサーがついた。ハリソンロードハウスという、キャンパス近くの飲み屋から$500を貰って、その代わりに店の名前の入ったTシャツを着てプレーするという仕組みである。このおかげで、登録費用とかの個人負担が相当に軽減されて、嬉しい限りだ。
     しかし、今日の僕は打撃も守備も絶不調。ひどい醜態をさらしてしまった。
     チーム自体も、2試合とも大敗を喫した。来週の試合に備えて、日曜日に練習をすることになった。頑張って調子を取り戻さなきゃ。

  • 2001−9−6(木)の夕方
     教えるほうのクラス、今日は、論証のプロセス・帰納法と演繹法・操作化の手法、などのテーマ。学生は全30人のうち27人が出席。今日から出席をとり始めた。
     OHPシートを8枚作って、どんな例を挙げるかもすべて講義ノートに書き込んで準備しておいた。なるべく分かりやすく、誤解を生まないような例を、と考えると、なかなか難しいものだった。
     でも、準備のかいあって、けっこううまく説明することができたと思う。みんな分かったような顔をしていたし。ふー、よかった。
     で、今日は久しぶりに早く寮に帰ってきた。ここ数日ずっと帰りが夜10時とか11時とかだったので、今日は休息しようと思って。

  • 2001−9−7(金)の夜
     教えるほうがどんどん面白くなってきてるんだけど、自分の研究も進めないことには本末転倒である。で、今日は5月以来眠ったままだった自分の研究プロジェクトに久しぶりに取り組んだ。
     これは先学期取ってた「比較行政」のクラスの課題として提出した論文なんだけど、学期末に大急ぎででっちあげた代物なので、文献レビューは超いい加減だし、論理展開にも相当の無理があった。教授と先輩からコメントをもらってたので、それを読み返して、関係する文献を読んだりして、手直しする方向を考えた。
     で、金曜の夜だというのに10時ころまで研究室にいた。でも、進む方向がおぼろげながら見えてきた気がする。

  • 2001−9−8(土)の夜
     さて、今日はフットボールの開幕戦。チームカラーのアフロかつらをかぶって、大学院の仲間と勇んでスタジアムに向かった。僕は今年、初めてシーズンチケットを買ったので、今シーズンのホームゲームは全て観に行く予定である。
     今日の相手は格下のセントラルミシガン大学なので、勝って当然という試合で、結局勝ったのだが、どうにもこうにも、うちの試合内容が悪いの何の。
     パントを4回もブロックされるって、どうなってるの。しかも一人の選手に。で、そのうち2回はリターンタッチダウンになった。こんな馬鹿なことがあるか。
     他にも下らないミスが多くて、非常に胸糞の悪くなる試合だった。勝ったのに、全然気分よくない。試合が進むにつれて、応援席の雰囲気もどんどん悪くなっていった。
     一緒に行った人のうち、一人の先輩は最悪に口の悪い人で、ひどい試合内容に激怒して、さんざんなヤジを飛ばしていた。「Motherfucker!」とか「Jesus Christ!」とか、しかも超デカい声を響き渡らせて。近くの席の人達が眉をひそめるほどで、最後には前の席の知らない人に「もうちょっとリラックスしようよ」とか言われてた。
     僕は普段あまり汚い言葉は使わないんだけど、それでも今日はちょっと出た。その先輩ほどの汚さじゃないけど。

     確かにいいプレーはいくつかあったし、今シーズンの活躍を予感させる選手もいた。でも、今日の試合を観た感じでは、それらのいいプレーは個人の能力から出たような種類のプレーで、逆に今日出たミスは、チームとしての訓練が足りてないために出たようなミスだと思った。個人技に頼って、チームのシステムが機能しないようなことでは、これから対戦する強豪にかなうわけがない。コーチの責任は重大だ。去年からずっと思ってるんだけど、ヘッドコーチを代えるべきだ。

  • 2001−9−10(月)の夜
     今日は夜11時まで研究室篭り。明日の授業では、仮説の立て方・良い仮説の条件、などのテーマについて講義する。学部の2年生くらいが取るクラスだというのに、「ecological fallacy」のことなんかも扱うことになっている。そんなこと、僕は大学院に入ってから知ったというのに。
     僕は今まで、「学部は日本・院はアメリカ」という自分の辿った経路がベストの選択だったと考えてたんだけど、この件なんかを考えると、しっかりとステップを踏んで知識を蓄積してゆく教育を受けるには、学部もアメリカのほうがいいのかなぁ、とも思える。
     それでも、ひたすらに自分の興味の赴くままにいろんな世界をさまよえる、日本の大学の自由さもやはり素晴らしいとは思うけど。(アメリカの大学でそれをやったら、成績不良→退学ということにもなりかねないので)
     でも、逆に言うと、専攻をいつでも変えられ、転校も当たり前で、何歳になっても大学に戻ってきて普通に学生をやっていられるアメリカの方が自由度が高いとも言えるか…。
     アメリカの大学教育では学生の針路の自由さがシステム的に認められていて、日本の大学ではシステム自体が緩いから自由に行動できる、という感じなのかな?
     (日本の大学にも単位取得・卒業が非常に厳しい学校はもちろんあるわけだけど、上記のことは一般論として。)

  • 2001−9−11(火)の午後
     歴史に残る日になる。朝、いつものようにCNNをつけながら朝飯を食べたりEメールを読んだりしてたら、なんだかテレビが騒がしくなって、煙の上がるビルが映し出されていた。2機目の飛行機が突入する瞬間を生で観てしまった。
     それからしばらくテレビを見て、教授とのミーティングの約束があったので、学校に行った。10時20分ころ。
     そのあと、12時40分からの授業(教えるほう)の準備がまだ出来てなかったので、研究室で準備した。昼飯はカップラーメンを食べた。
     12時30分に教室に行ったら、教室備え付けのテレビに学生達が見入っていた。一人の学生が、「クレイジーな奴らがいるだろ。銃を持ってるかい?」と言ってきた。「持ってないよ。君は持ってるの?」と訊いたら、「ああ、いくつかね。用心はしたほうがいいのさ。」と言った。
     今日は出席を取らなかった。授業は普通にやった。
     寮に帰ってきたら、ロビーに大型テレビが出されて、多くの学生や職員達が見ていた。
     学長から全学生宛てにEメールが出されて、学内の警備体制が強化された、授業は平常通り、と書いてあった。
     寮の売店でビデオテープを買ってきて、ニュースを録画し始めた。

     イスラム過激派の犯行なのかなぁ。イスラム教という宗教自体は本来は全く暴力的でなんかないのに、こんなことがあると、さらに偏見が強まってしまうんだよね。悲しいことだ。

     どれだけの死傷者が出るんだろう。見当もつかない。経済とかにどれだけの影響が出るのか、想像もつかない。どこかから犯行声明が出たら、米国は何をするだろう。今日を境に歴史が大きく動くに違いない。
     合掌。

  • 2001−9−12(水)の夜 (11万ヒット達成しました)
     うちの大学の近くにあるモスクに、脅迫電話が何件もかかってきたとか。胸糞が悪くなる。さらに、米国各地でイスラム教徒への暴行事件が相次いでいるという。「テロは自由と民主主義への挑戦」と言うのなら、そういう卑劣なことも許してはいけない。一般のイスラム教徒には何の罪もないのであって、「アメリカの自由がテロとの戦争に勝利する」ためには、国内のそういう愚行をも止めねばならない。
     今日の新聞を保存しようと思って、今朝は新聞を探して歩いたが、みんな同じことを考えてるようで、どこも新聞は売り切れ。特にニューヨークタイムズが欲しかったんだけど、結局見つかったのは、ランシング・ステート・ジャーナルという地元紙だけ。
     明日の授業の準備をして夜10時まで研究室にいた。明日からいよいよコンピューター実習が始まる。まあ、仮説の立て方とかそういう抽象的なことを教えるよりは、パソコンの操作を教える方がずっと楽だろう。

  • 2001−9−13(木)の夜
     今日のクラス(教えるほう)は、コンピューター室での実習だった。今週以降は原則的に火曜は講義・木曜は実習という形式で進む。今日は、文献サーチのやり方とか、SPSSでの簡単な表・グラフ作りなどをやった。我が学生たちはけっこうみんな物分かりがよくて、予想よりも楽だった。相当に細かく指示を書いたハンドアウトを配ったので、一部のコンピューターが得意な学生は、僕が説明してないとこまで勝手に先に進んでいた。手がかからなくていい。
     でも、宿題の採点にけっこう時間がかかりそうだなぁ。

     あさってのうちの大学対ミズーリ大学のフットボールの試合は、いったんは決行に決まったのに、やはり交通の問題が解決できず、結局は延期になった。

     CNNテレビは、画面の下のほうで視聴者から寄せられた短いコメントを流し続けている。見てると、けっこう感情的に復讐を訴えてるものがあったりして、怖くなる。こういうときだからこそ冷静にならなきゃいけないのに。国際テロの黒幕を除去するために武力行使をすることにはそれなりの意義があると思うが、それが無関係な一般市民をも犠牲にするようなものになるのなら、同じ悲劇を繰り返すことになってしまう。人命の重さ、大切な人を失うことの悲しみ、そういうものを我々は思い知ったのではなかったのか?

  • 2001−9−14(金)の夜
     いろんなことが次々と延期や中止になっている。追悼の意味でのものもあるし、飛行機が飛ばない・郵便が届かないなどの現実的な理由で遅れざるをえないようなものある。明日が〆切だった来年の中西部政治学会の報告申し込みも一週間延びたし、うちの大学のアイスホッケーのシーズンチケットの受け取り日も一週間延期された。

     今日は全米で追悼の日ということになってたが、うちの大学でもいろいろあった。僕は昼過ぎにあった時計塔での会に行った。数百人が時計塔の周りに集まって、塔から流れてくる鐘楽の演奏を聴いた。立ってる人も座ってる人もいて、僕は芝生に腰を下ろしてたんだけど、米国国歌が流れ始めたらみんな立ち上がったので、僕も立った。日本だったら国歌が流れたら逆に座る人がいるのかなとか変なことを考えてしまった。日本における国旗・国歌の立場って、異常すぎる。
     ここ数日、寮の部屋のドアに国旗を貼ったりする人が増えている。貿易センタービル跡にも国旗が立てられてたし、今日の時計塔での集会にも小さな国旗を持ってきてる人がいた。日本で同じことをしたら右翼とか言われてしまうんだろうか。ハァ。

  • 2001−9−15(土)の夜
     CNNはテロ事件発生からずっと特別番組を流してるが、そのタイトルが初めは「America under Attack」だったのが、昨日あたりから「America's New War」に変わった。全米各地で星条旗が飛ぶように売れているという。明らかに戦争が始まるのである。
     犯罪者は処罰されねばならない。ハイジャックはもちろん犯罪だし、無関係の市民を多数殺害したのも当然、決して許されない犯罪である。今回のテロを指導した人や補助した人は、その罪の重さに見合うだけの罰を受けねばならない。「報復は報復を呼び無益だ」という意見もあるようけど、報復というより、処罰をすると考えれば(アメリカがそう考えているかどうは別として)、それは必要だと僕は考える。
     しかし、実際にどれだけができるかは、けっこう疑問である。アフガンの山岳地帯を転々と移動する人を捕まえるなんて、至難の技だろう。タリバンを首都から追い出すことは比較的簡単だろうけど、タリバンを完全に壊滅させることは、まあ無理だろう。タリバンが首都から追い出された後、どんな政権ができるだろう。国連主導で選挙をやるとして、民主政治を行おうと政党を立ち上げる政治勢力が、現れるんだろうか?できたとしても弱体政権になるだろう。しばらくしたらタリバンがまた首都まで進出してきたりして。結局、テロを根絶させることはできないだろう。
     いや、だからといってこのままで済ますことはできないけど。ただ、難しいということ。あと、アフガンの一般市民に犠牲者を出さないで欲しい。
     じゃあ、どうすればいいんだろう??

  • 2001−9−16(日)の夜
     夕方、ソフトボールの練習に行っていた。4連敗中の我がチームは、今週こそ勝たねばならない。でも、どうも僕のバッティングは上達しない。むむむ。

     日本からの報道によると、政府は米国その他による武力行使作戦に対して補給や輸送などの「後方支援」を行う意向とのこと。またかよ。いい加減にしろよ、もう。
     その行動に賛成なのなら徹底的に協力すればいいし、反対なのなら非協力を貫けばいい。他の人が身を危険にさらして活動してるときに、「後ろから協力しますよ〜」なんて、最も軽蔑される態度じゃないか。
     いい加減、日本は目を覚まさねばならない。憲法9条ってのは、こういう世界・こういう日本になることを想定していなかったときに定められたものであって、明らかに時代に合っていない。例えば、東チモールの平和を維持するために自衛隊を送ることの何がいけないのか。世界と日本の状況をありのままに考えたら、今のままでいいはずがない。
     悲惨な戦争を反省することは大事なことだ。しかし、臆病になりすぎて冷静な判断ができなくなってしまってたのが戦後の日本人であった。軍備を持たないことをなぜか「平和主義」と呼ぶとか、他国の公正と信義に信頼して国を守るんだとか、冷静に考えればナンセンスだとすぐにわかることなんだけど、冷静に考えようとする人々の努力を、物事を極端にしか見られない勢力による「侵略戦争への第一歩」とか「軍靴の足音が聞こえる」とかの大合唱が掻き消してしまってきた。
     「憲法9条のおかげで戦後の日本は平和でいられた」なんていうトンチンカンなことが今でも言われる。冗談じゃない。緊迫した極東アジアの戦後史の中で日本が紛争に巻き込まれずにいられたのは、日米同盟・在日米軍・自衛隊のおかげである。軍備不保持を規定した憲法9条は、その成立のときから今まで、一貫して破られつづけているのであって、憲法が破られているという状態のまさにそのおかげで日本の平和は守られてきたのだ。憲法9条とは空想的な規定であって、それを文字通り実行していては日本の安全保障はありえなかった。さらに今、その憲法の制約のために、世界から軽蔑を受けるような行動しかとれないでいる。国家の最高法規である憲法と現実とがかけ離れている異常な状態を終わらせるためにも、憲法9条は改正されるべきである。

  • 2001−9−17(月)の夜
     何度も書きますが、ここに書く僕の政治的意見・信条は、僕が大学院で研究している政治学とは全く関係ありません。僕の研究テーマは、例えば「政治制度と経済成長率の関係」とかいうような、理論的・一般的なもので、政治的意見の入るようなものではありません。意見・信条はあくまで一人の市民としてのものであります。

     ところで、昨日書いた件については掲示板の方にちょっと補足を書いています。よかったらご覧下さい。あと、昨日の日記の最後の部分、表現をちょっと修正しました。本筋は変わっていません。

     −−−−−−−−−−−−−−−−−

     アメリカはどうして嫌われるのか。これについては、海外に出る前はよく理解できなかった。っていうか、アメリカが世界中で嫌われまくってるという事実すら知らなかった。
     6年前、インドを旅行していたとき、ある街でインド人の大学生と知り合って、しばらく雑談した。お互い大学生ということで話がはずんで、そのうち政治の話にもなった。インドが核兵器を持っているということについて、彼は「インドは核を捨てるべきだと思う?」と僕に訊いてきた。特に深くも考えず、「そう思うよ」と僕は答えた。それに対して彼はこう言った。「自分の意見では、世界の国がみんな一緒に核を捨てるべきだと思う。アメリカは持ちつづけるのにインドに止めろと言うのはおかしい。」
     なるほど、と思った。アメリカが核を捨てるなんて想像もつかなくて、そういう考え方も想像つかなかった。まあ、現実的に考えればアメリカが核を捨てることはないわけで、それを前提とすれば、インドが核を持つよりは持たない方が世界平和のためにはいいんだけど、当事者であるインド人には、まず「アメリカの傲慢・不正」が許せないんだろう。
     パキスタンでも、アメリカを批判する意見をたくさん聞いた。パキスタンは、ソ連のアフガン進駐中は、対ソ最前線国家としてアメリカの強い支援を受けた国であるが、ソ連が崩壊したらさっさとその援助を打ち切られてしまった。「利用され、捨てられた」という気持ちになるのも無理もないかもしれない。
     インドやパキスタンだけじゃない。だいたいどこの国に行っても、「アメリカは嫌な国だ。強いからって自分勝手に振る舞っている」という声を聞いた。あと、「文化が軽薄だ」という声も多かった。
     僕からすると、アメリカの力の優越が戦後世界の平和維持に役立ってきたと見えるわけだけど、そうは見ない人々が世界では大多数なのだ。特に、イスラエルへの肩入れは、反イスラエルの人から見ると、耐えられないほどの不正に感じられるのだろう。
     狂った独裁者が世界のどこかでとんでもないこと(虐殺とかミサイル発射とか)をしかねない今の世界で、アメリカの軍事力の存在が果たしてる役割は大きいと思う。しかし、もちろん反発も大きい。ある勢力を助ければその敵は怒るわけだし、ある勢力を叩けばその仲間はみんな怒る。敵を作りやすい立場である。とにかく、日本やアメリカに住んでいると忘れがちだが、アメリカは世界で嫌われている。
     アメリカは、どうも感情的に「新しい戦争」に突入しようとしているように見える。しかし、おとといのところで書いたように、短期的にある勢力を弱めることは出来ても、テロを根絶することは出来ないだろう。攻撃を受けた地域での住民レベルでの反米感情は更に強まる。その結果、さらに恐ろしいテロ攻撃が襲ってくるかもしれない。
     自分がアメリカ大統領だったらどうするだろう?このまま黙っていても対米テロが収まるはずはないし、かと言ってテロ組織を叩いても再報復が来るだろうし、なんとも難しい立場だ…。

  • 2001−9−18(火)の深夜
     教えてる方のクラス、今日のテーマは、社会科学における統計的手法の役割・変数の分類・パーセント・比率・度数分布・グラフの種類、など。今日のクラスはいまいちうまくいかなかった。学生達の顔がすごく退屈そうに見えて、そうなると凄く焦ってしまって、もっとうまくいかなくなった。準備がちょっと足りなかったこともあるし、内容が本質的に面白くないということもあるかもしれない。離散型変数と連続型変数とか、さまざまな用語と定義の連続で、これは自分でも面白くないと思う(苦笑)。
     英語が下手な分だけ創意工夫でカバーしようと思って、いろいろ面白そうな例とか身近に感じられそうな例とかを使うようにして工夫してるんだけど、今日はどうもうまくいかなかった。居眠りしてる学生が1人増えると、こっちの焦りは3倍増す。自分が学部生のころはよく居眠りしてたものだけど、居眠りしてる学生の存在が教える側に与えるインパクトがここまで大きいなんて、思いもしなかったよなぁ。
     学生達の名前を早く覚えようと頑張ってるんだけど、今日で10人(3分の1)までは顔と名前が一致した。アメリカ人の名前はどうも覚えにくい。

     ソフトボールの試合、今日も2試合やったんだけど、1試合目はなんと約30対0という屈辱的大敗を喫した。しかも4イニングくらいで。屈辱的を越えて、笑っちゃうような負けっぷりだ。
     それで、開幕以来5連敗になってしまった我がチームだが、2試合目は打線が好調で、14−5で勝利した。今シーズン初勝利!!!僕の貢献といえば内野安打1本だけだったけど、チームが勝ったのでいい気分。試合後に飲みに行ったので、寮に帰ってきたのは日付が変わる直前くらい。明日の授業の文献は全然読んでない…。

  • 2001−9−19(水)の夜
     雨になった。服を雨に濡らして教室に入ってきた教授が、「ミシガンの天気だねぇ」と苦笑しながら言った。

     再び憲法問題について。
     実をいうと、僕は19か20歳のころまで、「憲法9条は世界に誇るべき素晴らしい条項だ」と信じて疑わなかった。高校生のときに湾岸戦争が起こったが、絶対に自衛隊を海外に出してはいけないと主張した。それどころか、自衛隊は憲法違反だから廃止すべきだと本気で思っていた。
     中学・高校時代の自分は、憲法改正を言う人は全員異常な人々で、日本を再び侵略戦争に導こうとしている危険な連中だと固く信じていた。戦争の悲惨さを理解できない愚か者がそんな主張をするんだと思い込んでいた。いま思うと、物事を深く考えるということをせず、ひたすら思考停止していたのだと思う。(例えばこんなことがあった。自衛隊は廃止すべきだと友人相手に主張していて、「ソ連が攻めてきたらどうするんだ」と訊かれ、「そうしたら俺は武器を取って闘うよ」と答えた。「それが自衛ってことじゃないか」と言い返されて、何も反論できなかった。)
     大学に入ってから、いろんなことについて悩み、考えるということが非常に増えた。その間に、憲法についての考え方も少しずつ変わっていった。まず辿りついた最初の到達点は、「護憲」という主張は、「変えちゃいけない/変えさせない」という消極的なものではなく、どんな憲法が我が国にとって最適なのかを常時検討した上で、他のどんな案よりも現行の条文が優れているという結論に基づいた積極的な主張でなくてはならない、ということ。言い方を変えると、仮に憲法が他の形に改正されたときに、「元の条文のほうが優れている」と言って再改正を主張するだけの論拠がなくては、護憲論というのは単なる守旧論に成り下がってしまうのだ。憲法論というのは国家のあり方・針路をデザインする議論であり、我が国をとりまく状況が国内的にも国際的にも変化を続けている以上、どんな憲法を持つべきかを常に考え続けることは絶対に必要であり、その議論の結果、もしも現行憲法が最適だという積極的な結論になるならばそれでいいが、単に「変えない」ということに価値を置くことは間違いである。また、そのことの帰結として、「憲法で禁止されてるから〜〜はすべきでない」という議論はしてはいけないと考えた。
     その後、上記の点を足場にして、さらに考えた。どういう思考の経路を辿ったのかは覚えてないが(当時の日記帳を見れば詳しく書いてると思うが、いま手元にないので)、たしか長い葛藤の末、憲法9条は改正すべきという意見を持つに至った。
     (たぶん続く)

  • 2001−9−20(木)の夜
     教えてる方のクラス、今日はコンピューター実習の2回目。また詳細なハンドアウトを配ったので、学生たちもちゃんと出来てた。でも、先週のハンドアウトも持参して授業に来て欲しいなぁ。
     学内で献血をやってたので、行った。そのために昨日あたりからちゃんと栄養を採るように心掛けて、準備万端で行ったのだが、「予約がないとダメ」と言われてしまった。そんなこと聞いてないよぉ。

     憲法問題の続き。
     昨日書いたように、僕は少年時代は強硬な護憲派だったが、大学生になってから考えに考え、悩みに悩んだ末に改憲論に辿りついた。その過程の中で、自分の結論が出る直前あたりは、相当に精神的に苦しいものがあった。というのは、長い間、「改憲論者はすべて悪人・軍国主義者」というイメージを持ち続けていたため、その思い込みの惰性で、自分が改憲派になることが自分で許せなかったのである。理屈でいくと改憲論が正しいと分かるのだが、心情的に、それが悪の道にしか見えなかったのだ。
     そのとき、「このままでは自分はダメになる〜」という今思うと恥ずかしいフレーズを頭の中で叫びながら本屋に走ったことを今でも覚えている。あれはつくばセンター近くの西武デパートに入ってる本屋だった。いわゆる「護憲派」の本を2冊買った。1冊は浅井基文氏の本だった。もう1冊は思い出せない(青いハードカバーの表紙だったなぁ…)。そのときの僕は、自分が改憲論に傾いてゆくことを「自分がダメになる」のだと考え、護憲派の本を「自分を救う本」として読もうとしたのだった。
     でも結局は、その2冊を読んでも(どっちも精読はしなかった気がするんだけど…)、自分の改憲論は変わらなかった。その結果、自分が小学校以来持ち続けてきた信念について、最終的に踏ん切りがついた。世界が変わって見えるような気がしたし、今までに自分が見てきたものも全て色が変わって思い出されるような気がした。「転向」は苦しいものだったが、でも自分の新しい考えに誇りが持てた。
     (まだ続く)

  • 2001−9−21(金)の夜
     おととい書いた、「変えない」こと自体を価値にしてはいけないという意見については、現行憲法の「歯止め的効用」を重視する立場からの反論があるだろう。つまり、憲法が改正されるとどんどん軍事国家になってゆくことを心配し、現行憲法の条文自体を良いとは思わないが、右傾化への牽制として存在させておこう、という主張である。
     こういう態度に対して、岡崎久彦氏は次のように論じている。

     …天秤の妥当な点はここだ、と本人が判断していながら、それよりも左の方にぶら下がって、国全体のバランスをとろうという考えです。妥当な点にいる人からは「お前の立場は非論理的だ」と指摘される、インテリとしては堪え難いはずの精神的屈辱にあえて堪えながら国全体のバランスをとる役割を果す−−そう考えればノーブルな態度といえるかもしれませんが、そういうことを言っていたのでは、いつまでたっても論理の整合性を軸とする国民の合意ができないではありませんか。やはり、皆が本当に正しいと信ずることだけを発言することによって、おのずから客観的妥当性のある国民的合意もでき、その中にこそ真のデモクラシーによる歯止めもできるのでしょう。(中略)「自分はインテリだから大丈夫だが、他の人はすぐ右傾化する」というエリート意識で独善的に情報操作をすると、かえって大局を誤るおそれがあります。(『戦略的思考とは何か』1983年。5〜6ページ)

     氏の言う国民的合意というのが結局実際にありうるものなのか、そのへんは疑問だが、「皆が本当に正しいと信ずることだけを発言する」ことが結局は「真のデモクラシーによる歯止め」に繋がるということには大賛成である。現実と乖離している条項を歯止めとして使うとか、天秤操作とか、そういうひねくれたやり方でなく、正面から真っ直ぐに国家のあり方を議論することに日本人は慣れたほうがいい。日本の民主主義の発展のためにはそれがいいと僕は信じる。それに、現行憲法の負の効用(例えば集団的自衛権が今は封じられていること)が「歯止め的効用」を遥かに上回っているように僕には思われる。
     (この件については次回で完結)

  • 2001−9−22(土)の夜
     書き忘れてたけど、昨日、大学院の同期7人で集まって昼食に行った。3年目にもなると、なかなか会う機会がなくなる人もいるので、久しぶりに集まろうと僕が呼びかけて実現したもので、7人全員が集まったので嬉しかった。そのうち1人は進路変更で今年から所属を変えたが、あとの6人はまだ「政治学博士」を目指している。お互いの話や、やっぱりテロ事件の話をしたり、楽しい食事会だった。
     今日はフットボールの、ノートルダム大学との試合。会場はノートルダムのほうで、先輩の何人かははるばる車で観戦に行ったが、僕はその余裕はなくて、宿題の採点をしたりしながらテレビ観戦。ディフェンスがどうも頼りなかったが、結局は勝った。17−10。これでランキングも25位圏内に入るだろう。

     長々と書いてきた憲法問題については、そろそろ終わりにしたい。まとめとして、憲法9条の何が問題かを箇条書きにしてみよう。
     (1)思考停止の呪文であること。「軍備を持たなければ平和でいられる」「戦争放棄を宣言したら戦争をしないでいられる」というのは夢想に過ぎないのであって、その意味で、現行憲法は「非軍備憲法」ではあっても「平和憲法」ではない。平和維持のためにはもっと現実的で冷静な国民的努力が必要であるのに、多くの日本人は現行憲法を「平和憲法」と呼ぶことで思考停止に陥り、夢想を続けてきた。平和を欲するならばそれだけの努力(思考も行動も)が必要なのであって、夢から覚めて、歴史と国際情勢の正しい理解に基づく現実的な平和建設の努力を始めよう。
     (2)無責任体制を作っている。政府が「憲法の制約があるので〜〜は出来ません」というとき、政府は憲法を言い訳として使い、行動しないことの責任を憲法に転嫁している。そう言い訳しながら憲法改正を実際に提起しなかったら言行不一致であり、外国からは日本政府の意図と行動がバラバラに見える。そんな政府は信用を失う。
     (3)憲法と現実のズレ。憲法を素直に読めば、自衛のための戦力を保持することも違憲としか読めない。それを、実際には自衛隊が必要だからという現実的要請に応えるために曲芸的な解釈を行っているのが現状である。しかし、そんな無理な姿勢を続けていることは国家の品位を汚すと僕は考える。また、諸外国から顔の見えない国、何を考えているかわからない国と見られることの一因にもなっているだろう。もっと、ピシッと一本筋の通った姿勢の国を作りたい。
     (4)国際社会での責任分担を妨げている。陳腐な言葉ではあるが、「一国平和主義」ではいけない。日本が過去の侵略戦争を本当に反省して、国際平和を真剣に希求するならば、紛争の災禍に苦しむ他国の人々の役に立てるようにもっと努力すべきに違いない。例えば、国連東チモール暫定行政機構に軍人や警官を派遣している国は50ヶ国にのぼり、その中には例えばネパール・モザンビーク・ベナン・サモア・バヌアツのような経済的に貧しい国や小国も含まれている。もはや、国際社会でのこの種の助け合いは当然の役割分担であるといえる。ところが、日本の自衛隊が海外でのこの種の活動に参加する際には未だに憲法との絡みで制約があったり、不毛な憲法解釈議論があったりする。もういい加減にしよう。

     こんなところかな。書き始めたら止まらなくなって、ここ数日はこれを書くのに相当の時間を費やしてしまった。僕もいい加減にして、大学院生としての本分に戻ろう。

  • 2001−9−24(月)の朝
     新しい一週間の始まり。この週末は自分の研究の方をちょっと進めたけど、明日教えるほうのクラスの準備がまだまだ出来てない。今夜はそれで忙しくなりそう。
     昨日はソフトボールの練習があったが、始めて10分くらいしたら雨が降ってきて、雨に濡れながら自転車で寮に帰った。何しに行ったのやら…。

  • 2001−9−25(火)の夜
     とても寒くなった。朝、自転車に乗ってたら手がかじかんで、痛くて堪らなかった。
     教えてるほうのクラス、今日は操作化の手法と問題点について、validityとreliabilityの話とか。授業自体はけっこううまくいったのだが、出席を取るのを忘れてしまった。
     今日はソフトボールの試合の予定で、しかし雨が降ったりやんだりの天気だったので、中止だと思ってた。しかし、なんと決行されることになった。寒くて息が白かったし、試合中はずっと雨が降り続いてた。もうヤケクソで、いつもよりも声を出して、気合いを入れてやった。そうでもないと凍えそうだったし。
     その気合いのおかげか、第1打席でライト前に2点タイムリーヒットを打った。初打点だ。僕はその後ベンチに下がったのでこの一打席だけ。ということは今日は打率10割だ…。
     ただでさえ寒いのに、雨が絶え間なく降りしきっていて、もう身体の芯から冷え切ってしまった。その試合は結局、13−8で敗北。幸いにも2試合目は中止になった。
     例のようにチームの連中で飲みに行った。僕はなんとか身体を温めようと、ウイスキーのお湯割りを注文したが、他のみんなはビールを喜んで飲んでいた。やはりアメリカ人の体力にはついていけない…。

  • 2001−9−27(木)の夜
     今日はちょっと暖かくなった。同級生が「今週初めて青空を見たんじゃないか」と言ってた。そうかも。
     教えてるほうのクラス、今日はコンピューター実習の第3回。SPSSのRECODE機能を教えた。といっても、僕は自分ではSPSSを使わないので、この機能の使い方はいままで知らなかったんだけど。学生たちはほとんどうまくできてた。
     今日で、自分の学生たちの3分の2までは顔と名前が一致するようになった。残り10人。しかし、ここからが難しそうだ。なんとかあと一週間か二週間で全員の顔を覚えよう。

  • 2001−9−29(土)の夜
     すごくいい天気だった。今週のフットボールの試合はノースウエスタン大学とで、敵地でのゲームなので僕はテレビ観戦。いつものように、研究室近くの空き教室(詳しく言うと、134 North Kedzieという教室。どうでもいいか。)のテレビで、ちょっと仕事をしたりしながら観た。途中で眠くなったので、2Qの途中から4Qの初めころまでは研究室に帰って別の仕事をしていた。
     なんと、4Qの最後4分間くらいで、逆転・再逆転・再々逆転・再々々逆転という超劇的な試合になった。最後は残り5秒で決勝FGを決められてしまって、僅か一点差で、今季初敗北を喫した。
     これ以上ないほどの悔しい、頭にくる負け方だ。下らないミスが多すぎ。どうして、エクストラポイントを2回も連続で外すんだ。信じられない。
     僕のまわりでは、ウイリアムス監督がダメだということで意見が一致している。早く監督を交代させなきゃ、このチームはどうしようもない。あー、せっかくシーズンチケットを買ったというのに、応援する気も薄れてしまう…。

  • 2001−9−30(日)の夜
     今日も快晴。ソフトボールの練習があった。打撃練習で、ちょっと軽めのバットを使ってみたら、すごくうまく打てた。あさっての試合では今日使ったバットで打ってみよう。腕力が弱いのを自分で認めるようで悔しいけど、まあ、自分に合った重さのバットを使うってのは基本だしね。

     なんだか最近はソフトボールとかフットボールのことばかり書いてる気がする…。
     まあ、今学期は「人間らしい生活」というのを一つのテーマにしているので。今までは、あまりにも息抜きもなく、運動もせず、徹夜はしまくり、という酷い生活を送っていて、精神的にも肉体的にも自分を痛めてきてたわけで、これではさすがにいけない、と。で、今学期は履修してる授業がゼロということもあり、まともな生活を取り戻そうと考えていた。ソフトボールにはけっこう時間を取られてるけど、息抜きと運動の一石二鳥になるのでいい。
     今学期はまだ徹夜をしてない。睡眠時間は、満足にとまではいかないものの、けっこうマトモな時間を取れている。勉強・仕事に使う時間は、教えてるクラスに6割・聴講してるクラスに2割・自分の研究に2割、という感じの配分になっている。新しい研究テーマが最近けっこう浮かんできてるんだけど、突き詰めて考える時間がなかなか取れない。でも、教えるほうの仕事は特に責任が重大だから、手抜きなしで真剣にやらねば。


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