[トップページに戻る]


留学記「大学院をミシガンで」

12月 < 2002年1月 > 2月


  • 2002−1−5(土)の夕方
    迎春 明けましておめでとうございます
     本年もどうぞ宜しくお願いします。この年末年始の間にカウンターの数字も14万を越えました。いつもご愛読ありがとうございます!

     メキシコ旅行から帰ってきた。もう、明後日から新学期が始まる。急いで勉強モードに切り替えねば。
     僕が住んでる寮(こんな建物です)では、冬休み中の寮費は1日8ドルの日割り計算で、寮を出てる間は払わなくてもいい。しかし、この旅行に出発するときに部屋の鍵をフロントに返すのを忘れて出てしまったので、この間も住んでた扱いになってしまった。72ドルもの大金を全く無駄にしてしまった。ガーン。
     なんと間抜けな自分。正月早々…。
     でも、過ぎたことをクヨクヨしても仕方がないので、忘れることにしよう。

     メキシコの話は明日あたりに…。

  • 2002−1−6(日)の夜
     メキシコは、初めて訪れたスペイン語圏の国で、また、もうアメリカは「外国」という気がしないし、カナダも似たようなものだったから、自分にとってすごく久しぶりの「外国」だった。
     筑波大で一緒だった友達が今メキシコ勤務してるので、彼のとこに泊めてもらって、別の友達も日本から来たので、3人で一週間暮らした。ホントに、筑波時代の友達と話してると楽しくて、落ち着く。卒業してからけっこう年月は経つんだけど、あの激しくて愉快な日々が最近のことのように思い出された。

    ■メキシコという国■
     「中進国」と形容されることが多いが、僕の感じたメキシコは、先進国と途上国の中間としての「中進」ではなく、先進国並の要素と途上国そのものの要素が一つの国の中に同時に存在してるというイメージだった。
     メキシコ・シティー中心街を歩くと、店の看板とか建物とかが、(言葉がスペイン語であることを除けば)ほとんどアメリカと同じくらいの綺麗さと清潔さに見えた。情報インフラとか、商業・通信の発達具合とか、ほとんど先進国のようだった。
     その反面、小学生くらいの女の子が道路で物売りをして歩いてる姿は、まさに途上国そのもの。乞食の数も多いし。
     というわけで、先進国そのままの生活レベルと生活スタイルを持ってる人々が相当数いる一方で、途上国並の一面もある、と。
     もちろん、どの途上国にも一握りの上級階級はいるわけだが、例えばインドなんかに比べると、メキシコの中級・上流社会はもっと大きそうだった。「一握り」ではなく、もっと大きな「先進国的社会」。で、生活水準の平均もインドなどよりはずっと上。
     まあ、メキシコの都会しか見てないので、田舎がどんな感じかはわからないけど。

    ■メキシコ・シティー■
     恐ろしく巨大な街だった。人口も2千万とからしいし。
     街がデカいので、市街地の地図も縮尺が小さくなり、地図では僅かに見える距離も、歩いたら相当な距離だったりした。地下鉄も10本近い路線が走ってるようだったが、そんなわけで、どの駅からも遠い場所がけっこうあった。
     どんな大都市も、中心街(商業の中心)はそんなに大きくなくて、その外側は住宅街だったりするわけだが、メキシコ・シティーは「中心街」にあたりそうな部分も異様に大きいようだった。

    ■言葉■
     予想以上に英語が通じなかった。スペイン語は勉強したことがなかったので、持っていった会話帳(ロンリープラネット社のもの)がとても役立った。
     英語が通じそうな人に対してでも、話し掛けるときはスペイン語で言うように心掛けた。これは僕の信念のようなものなのだが、例えば、日本で外国人が道を訊いたりする時にいきなり英語で話しかけてくるのは、けっこう失礼なことだと思う。日本語を勉強しろとは言わないが、「エイゴ、ワカリマスカ?」という一文を覚える程度のことがどうしてできないのか、その態度が凄く傲慢に感じるのだ。外国を訪れるときは、その国とその人々への尊敬の気持ちを失ってはいけないと思う。
     あと、現地語で話しかけると、相手の態度がもっとフレンドリーになる、というのは僕が世界中で感じたこと。まあ、当たり前のことだけど。現地の人との交流がもっと楽しくなる。

    ■人々■
     聞いてた通り、人々はとても陽気で、ノリがよさそうだった。「知らない人との間の距離」が近いように感じた。
     短期間の滞在で、しかも旅行者の目からの観察でその社会の何が分かるか、という気もするが、僕の感じたところで、各国の「知らない人との距離」を強引にランキングすると、遠い方から順に、

    日本>中国>アメリカ>メキシコ>インド

     という感じだろうか。日本はとにかく他人同士がよそよそしい。日本では知らない人と目が合ったら目を逸らすが、これはかなり寂しいことだと思う。中国も、他人同士の距離は遠いようだったが、電車の中での煙草分け合いの習慣は日本にはないし、何かのきっかけがあると一気に距離が縮まるようだった。
     インドは、すごい。例えば電車の中で新聞を読んでて、読み終わってそれを膝の上に置いて窓の外を見てたら、挨拶もしてなかった隣席の人が断りもせずにそれを手に取って読み始めるということがあった。観察したところ、それは全く普通の行為のようだった。
     いや、繰り返すけど、僕の強引で独断のランキングなので、いい加減だけど。

    ■ピラミッド■
     メキシコ・シティー郊外にあるテオチワカンのピラミッドは、世界で3番目に大きいピラミッドだそうで、なかなか見応えがあった。大きくて、美しい。今までにいろんな国々で見た観光名所の中でも、けっこう自分の中でランク高い。

    ■巨大な国旗■
     大統領府の目の前、ソカロ広場にはためく巨大なメキシコ国旗は、けっこうビックリするくらいの大きさだった。そういえば、遠くから見ただけで、近くまで行かなかったっけ。それは大失敗だ。

    ■闘牛■
     闘牛はサッカーと並ぶほど人気があるらしい。見に行ってみた。進行の様子や演出、観衆の熱狂ぶりなど、「興味深い」とは思ったけど、どうも闘牛そのものを楽しむまでの境地には至れなかった。闘牛士の一つ一つの動作に、観客は掛け声をかけたり喝采を浴びせたりしてたが、どういう動作がいい動きなのか、そういうことが全くチンプンカンプン。後でメキシコ人に訊いたところ、分かるようになるまで何年もかかるとか。ふむ。

    ■食べ物・飲み物■
     食べ物が旨い!アメリカにある「タコベル」なんて、同じ食べ物と言っていいのかとすら思う。道端の屋台で食べるモノも、どれも旨かった。そういえば、屋台でよく見かける「豚の皮」を食べよう食べようと思いつつ、つい食べそびれてしまった。(また行かなきゃ!?)
     飲み物、それはもちろんテキーラとビール。ストレートのテキーラと、スパイス入りのトマトジュース(サングリタというらしい)を別々のショットグラスに入れて並べて、交互に飲んだり、順番に口に入れて口中で混ぜて飲むのが、もう最高!帰りに空港の免税店でテキーラを買ってきたが、サングリタを買ってくるのはうっかり忘れてしまった。このへんで探してみよう。

     さて、こんなところかな。あー、楽しかった。素晴らしい旅行でした。HM君、どうもありがとう。(ここを読んでるはずなので)

  • 2002−1−7(月)の夜
     今日から新学期。今日は「米国議会」のクラスの第一回があった。担当のR教授はこの分野の大物である。先学期の終わり頃、このクラスに登録した学生達に教授からメールが届いて、「第一週からすぐ内容に入るので、冬休み中に本を一冊読んでおいてくれ」と。なかなかのストロングスタイルだ。
     その本とは、僕が生まれた年に出版された古典、David Mayhew. Congress: The Electoral Connection。メキシコからの帰りの飛行機の中で読み始めたのだが、ここ数日は風邪をひいてしまったこともあり、全部は読み切れないままで授業に臨んだ。シラバスを見て、けっこう寒くなった。なかなか強烈な量の課題文献である。買わなきゃいけない本が10冊。それと多数の論文。ふー。
     今学期はけっこうキツクなりそうだ。でも、今学期が終われば授業はもう取らなくていいので、最後の踏ん張り。
     明日は、教えるほうのクラスの第一回がある。

  • 2002−1−8(火)の夜
     教えるほうのクラスの第一回。35人登録してるのに、28人しか来なかった。今日は連絡事項とかだけ。先学期の一回目は相当緊張したけど、もう慣れて、緊張もしなかった。
     先学期で取得した修士号の学位記を取りに行った。「準備できたから取りに来ていいよ」という葉書が昨日届いたので。大学の行政棟に行って、学生証を見せて、係の人に探して来てもらった。

     今学期履修する2つのクラスの1つ、「アメリカ政治入門」の第一回に行った。3年生は僕だけで、他は全部後輩。さすがに3年生にもなって入門は取らないか。一人の後輩に、「こんなとこで何やってるんだ」とつっこまれた。
     シラバスを見たら、そんなに大変そうではなかった。いや、もちろん相当量の課題文献だけど、その教授はもっと究極にムチャクチャな要求をしてきそうなイメージがあったので。
     教授曰く、「俺が大学院のときには、一学期の間に25冊読ませるようなクラスもあったけど、そこまでやると逆効果で、結局は大きいところが理解できずに終わっちゃうから、そういうことはしない。それに、文献に指定したら俺も読まなきゃならないけど、俺もそんなにたくさん再読したくないし」とのこと。あー、よかった。
     といっても、うちの大学院の平均的なクラスよりはずっと多い文献量である。今学期はかなり大変だ。本業の比較政治学はちょっとお休みして、アメリカ政治に浸ることになりそう。でも、比較政治学をやる人はアメリカ政治の文献にも精通しておくべき、と僕は強く思う。

  • 2002−1−10(木)の深夜
     風邪がだいたいよくなったので調子に乗って、昨夜は1時、今夜は0時ころまで研究室で勉強。今まであまり馴染みなかった、投票行動・投票率についての本や論文を読みまくる。「PB+D−C」で有名なライカー・オードシュック論文も、現物は初めて読んだ。かなりつまらなかった。「PB+D−C」の中の有名なD項は、「DUTY」のDだと思ってたけど、どうやら元々はABCDの4番目のDということらしい。いや、精読したわけじゃないので確かじゃないけど。
     うちのフットボールチームのエースRBであるT.J.ダケット選手が、4年生のシーズンを待たずにプロ入りすることになった。今日の記者会見で発表したもので、ドラフト1巡目後半で指名されるだろうとも言われている。うちのランオフェンスの大黒柱で、2ヶ月前のミシガン戦での超ミラクル劇的逆転TDパスを受けた選手でもある。スタジアムで彼の迫力あるプレーに酔い、拍手と歓声を数え切れないほど送った僕としては、彼が抜けることは寂しいが、しかし彼のNFLでの活躍を心から願う。
     しかし、これで来年はシーズンチケットを買わないことに決めた。クソ監督が再契約し、T.J.が抜けたチーム、魅力激減だ。

  • 2002−1−12(土)の午前中
     昨夜は金曜の夜だというのに、1:30すぎまで研究室で勉強。
     どうして学期初めからいきなりこんな状態かというと、来週火曜の「アメリカ政治入門」のクラスでショートペーパーを提出するつもりでやってるからである。そのクラスでは、学期中に4回、その週の文献を要約・分析・批判したショートペーパーを提出しなければならない。早いうちに一つ済ませてしまえば後から楽だから〜、と思ってやることにした。月曜の「米国議会」の文献も山ほど読まなきゃならんし、今週末は大変だー。

     ちなみに、今学期の時間割はこんな感じです:
    月・15:00-17:50「米国議会」
    火・10:20-11:40「政治分析方法論入門」、12:40-15:30「アメリカ政治入門」
    水・休み
    木・10:20-11:40「政治分析方法論入門」、14:00-16:00オフィスアワー
    金・休み

     火・木の「政治分析方法論入門」は自分が教えるクラスで、「議会」と「アメリカ政治」は自分が履修するもの。教えるほうは、先学期と同じクラスなので、準備はかなり楽になるけど、履修するほうは、うちのプログラムの中でもかなりキツイほうだ。頑張ろう頑張ろう。

  • 2002−1−12(土)の午後
     忙しいとか言っておいて、でもバスケは観に行く自分。
     今日はウィスコンシン大を迎えての試合。なんとかここで不調から立ち直らねばならない重要な一戦。しかし…。
     接戦の末、負けてしまった。残り0.2秒での逆転シュートは、時間切れの裁定。結局、1点差での惜敗となった。残り8秒での同点フリースローを外した一年生のアンダーソンは、今ごろ泣いているだろうか。ここから立ち直って大きくなって欲しい。
     これで、全国最長の本拠地連勝記録が53でストップした。また、カンファレンス5連覇の夢はこれで極めて難しくなった。それどころか、こんなことでは全国トーナメント出場すら危ない。どうなってしまうんだ、スパルタンズ。

  • 2002−1−13(日)の夜
     明後日の「アメリカ政治入門」に提出するペーパーにひたすら取り組む。読まねばならない指定文献は、単著3冊の一部分ずつと論文6本。合わせて200ページ近いが、これでもこのクラスの他の週よりはまだまだ少ないほうだ。
     大学院生活も3年目になって、大事なとこだけを選んで斜め読みするようなこともできるようになってきたが(特に統計実証型の論文を読むとき)、もし1年生のときにこのクラスを取ってたら大変だっただろうなーと、このペーパーに取り組みながら何度も思った。実際、今の1年生達もたくさんこのクラスを履修してるが、線形回帰を習い始めたばかりの彼らが最尤法を使った論文を読むのは大変だろうと思う。
     課題のペーパーでは指定文献を批判的に検討する必要があるので、アラ探しをしながら読んでゆくのだが(あまり良い態度ではないとも思うが…)、批判できそうな点を見つけたときに、「2年前の自分ならこの問題には気づかなかっただろうなー」と思うことが何度もあった。いや全く、1年生のときだったら、このクラスは単位取得さえ危なかったかもしれない。
     そう考えると、大学院で自分は進歩したんだな、と嬉しい気持ちにもなる。さてさて、後輩達の前で恥をかかないよう、あと2日頑張ろう。

  • 2002−1−15(火)の午後
     ふー、終わった。
     結局、日曜の夜は午前2:40まで研究室でペーパー書き。寮に帰って5時間くらい寝て、また活動開始。で、昨夜はそのまま朝の4時まで研究室でペーパー書いて、ようやく完成。出来はいまいちだが、とにかくできた。で、4時間くらい寝て、今朝は教えるほうのクラスがあったので行って、講義。まあ普通にできた。それから「アメリカ政治入門」のクラスへ。ペーパーを書くためにしっかり文献を読んでたので、けっこう発言もできた。最後はちょっと眠くなったけど。
     ペーパーにどんなコメントがついて返ってくるか、ドキドキ。

  • 2002−1−16(水)の夜
     バスケ、今日はパデュー大学を迎えての試合。土曜日の衝撃的敗戦から立ち直るためにも、また、僅かに残るカンファレス優勝への望みをつなぐためにも、どうしても負けられない一戦である。
     降りしきる雪の中、ブレズリンセンターに向かった。歩きながら、気がつくと応援歌を口ずさんでいる自分がいた。
     試合は、リードしては追いつかれての繰り返し。いいシュートが決まることもあるし、下らないミスを連発したりもした。一年生が3人も先発する若いチームだけあって、なかなか波が大きく、安定しない。
     土曜日の試合で幻の逆転シュートを放ったケルビン・トーバート(通称"KT")が今日は自己最高の18点をあげる活躍で、結局は65−56で勝利した。いい試合だった。絶叫しまくりの応援で喉が涸れたけど、満足。このまま波に乗れ!

  • 2002−1−17(木)の夜
     先学期に僕のクラスにいた学生からメールが来て、推薦状を書いて欲しいとのこと。
     けっこうビックリした。院生が学部生に推薦状を書くということ自体は珍しいことではないが、まさか、こんなに英語が下手な僕に書いてくれと頼んでくる人がいるとは!
     今まで、推薦状書きに忙しくしてる先輩たちを見て、大変だなぁ、自分はしたくないなぁ、なんて思ってたんだけど、いざ頼まれてみたら、けっこう嬉しいものだった(笑)。
     自分も、大学院に入るとき、推薦状を書いてくれた先生方にお世話になったわけだし、それの恩返しは今度は自分が学生に推薦状を書くことで果すという感じかな。
     まあ、頼まれたものは、大学院への推薦状とかではなくて学内でのチューターの仕事に応募するためのものであって、そんなに重要なものではなさそうだけど、とにかく、生まれて初めて書く推薦状、なんかワクワクしてきた。

  • 2002−1−19(土)の深夜
     今週は、火曜にペーパーを出した後、どうも研究がはかどらず低調だったので、このままでは自己嫌悪に陥りそうな気がして、今日は気合いを入れて仕事した。けっこうはかどった。土曜で、さらにNFLのプレーオフもやってるからか、研究室に来てる同僚は少なく、静か。
     っていうか、平日の夜とか週末とかに研究室に来る連中はけっこうメンバーが固定している。僕はもちろんその一人。金曜や土曜の夜も皆勤(苦笑)。

  • 2002−1−20(日)の夜
     うちの大学の大学院生が今日、Meningococcal disease(髄膜炎菌疾患?)で亡くなったそうだ(大学の公式発表)
     なんか、毎年このニュースを聞くような気がする。ああ怖い。これ以上感染者がでなきゃいいけど。去年か一昨年は、これの予防注射を受けるために長い列に並んだ記憶があるけど、また今回もやるのかなぁ…?

  • 2002−1−21(月)の夜
     今日は「キング牧師の日」で授業はお休み。
     昨日書いた伝染病の件、今のところ他の症例は見つかっていないらしい。亡くなったのは、25歳の大学院一年目の学生だったという。痛ましい。本人と家族はどんなにか無念だったであろう。僕も大学院に入ったときは25歳だったなぁ…。
     地元紙の報道によると、この病気は毎年、全米で3000件、ミシガン州内で100件ほど発生し、致死率は10〜15%とのこと。
     あと、僕は2年前に注射を受けたので安全らしい。

  • 2002−1−22(火)の夜
     あまりにも、あまりにも痛い一敗…。
     バスケ、今日はアイオワ大学との一戦で、会場は向こうなので、テレビ観戦 with 缶ビール2本。
     どちらにとっても、どうしても負けられない一戦だった。両校とも、カンファレンスの優勝候補に挙げられながら、序盤のつまづきのせいで優勝戦線から離脱一歩手前まで追い込まれているのだ。そういえば、大学院受験のときはアイオワにも出願したんだった。不合格通知が真っ先に届いた大学だっけ。なおさら負けられない。
     試合開始から終了までずっと接戦の、まさに息が詰まる戦いだった。しかし、ウールフの負傷欠場、バリンジャーとアナガニエの反則退場があまりにも痛かった。後半の途中でテイラーのシュートが突然入らなくなるし。結局、4点差で負けた。ターンオーバーは相変わらず多いし、チームの若さと層の薄さを改めて痛感されられる敗戦となってしまった。
     これで、カンファレンス5連覇への道は、黄色信号。または赤の点滅状態。奇跡の逆転優勝のためには、もう一試合も落とせない。次のミシガン戦は手堅く勝つとして、その次のイリノリ戦が山だ。

  • 2002−1−24(木)の夜
     今日は、とても悲しいことがあった。
     MSUユニオンの地下にあるカフェテリアは、安くてけっこう旨いし、研究室から近いので、たまに昼飯を食べに行くのだが、今学期はたまたま今まで行く機会がなかった。で、今日は久しぶりに行ってみた。
     そこには名物シェフのお爺さんがいて、いつもニコニコして、大きな声で客に話しかけたり、とても楽しい人で、どんなに疲れてるときでも、そのシェフの顔を見るだけで元気になるような存在だった。
     しかし、今日はいなかった。休みかなー、とチラッと思ったのだが、カウンターにお知らせが表示してあって、なんと、昨年12月23日に亡くなったとのことだった。62歳。
     猛烈に驚いて、大きな声を出して、しばらくそのお知らせの前から動けなかった。そこで働いてる人たちも、悲しい顔で、「そうなんだよ…」と言ってきた。
     去年の秋頃はけっこう頻繁に昼飯を食いに行ってたこともあり、シェフは僕の顔を覚えてくれて、いつも行く度に、超大きな声で、目を大きく開いておどけた調子で、「Hello there!! How are you!?」と言ってきて、僕が「Good」と言うと、「Wonderful!!」と言ってくれたものだった。今日はどれが美味しいの?と訊くと、「Oh, everything!!」と決まって言った。じゃあ、そのチキンを頂戴、とか言うと、感動したような顔になって、「あ〜、それはエクセレントな選択だよ!」と首を振るようにして言う。僕が面白がって、「エクセレント?」と訊き返すと、シェフもふざけて、「ファンタスティックだよ!」とか言った。あの顔と声で「エンジョイ!」と言いながら皿を渡してもらうと、本当に食事が旨くなった。そして、全てのお客に対して、そんなハイテンションで、最高の笑顔とユーモアで応対していた。こんな楽しいお爺さんはどんな家庭を持ってるんだろう、とか思ったことも何度もあった。あんな名物になるほどの接客態度を毎日ずっと続けるというのは相当のことだ、といつも感心していた。まったく元気だったのに、なんで、突然…。
     あー、悲しくてしょうがない。お葬式にも行きたいくらいに大好きな人だった。こんなことが世の中には起こるんだ。こんなに辛い無常の世を、我々は生きなければならない。

  • 2002−1−26(土)の朝
     昨日は、生まれて初めてアイスホッケーを観に行った。アメリカで、3大プロスポーツと言えばフットボール・野球・バスケだが、3大大学スポーツはフットボール・バスケ・ホッケーである。(大学の野球はなぜか人気がない)
     で、僕は今シーズン、フットボールとバスケはシーズンチケットを買って観に行ってたが、ホッケーは別に興味もなくて、行ってなかった。しかし昨日、先輩の一人が用事で行けないということで、代わりに行くかと言われ、「何でも経験してみる」主義の僕としては、大喜びで行くことにした。
     実際、うちのホッケーチームは強豪で、去年は全米ベスト4、今年も今のところランキング5位か何からしい。もう23年間も指揮をとっているロン・メイソン監督は、大学ホッケー史上最多の通算勝利数を更新し続けているそうだ。
     昨日はオハイオステートを迎えての試合。試合開始前に両チームの選手が氷上に整列して、選手紹介と国家斉唱があった。両軍の選手全員が白人で、けっこう違和感があった。フットボールもバスケも、黒人が多いので。聞いてはいたが、本当に白人中心の種目である(黒人選手もたまにはいるらしい)。
     テレビで観ると面白くもなんともないホッケーだが、実際に会場で観たら、とても面白かった。凄い迫力。選手同士が激突する音とか、ゴーリーがシュートを身体で受けとめる時の「バツッ」という音とか、思わず声が出るほど興奮しながら観ていた。試合がなかなか止まらず、息つく暇もないのが、また興奮を誘う。(その代わり、観てて疲れるかもしれない)
     結局、3−1で快勝した。大満足だった。来年はシーズンチケット買おうかな?

  • 2002−1−28(月)の朝
     金曜に初めてアイスホッケーの試合を観たわけだが、この週末はタイムリーなニュースが流れた。ホッケーチームのメイソン監督が今季限りで退任して、大学のアスレチック・ディレクターに就任する見込みだそうだ。今日の記者会見で発表されるとのこと。
     アスレチック・ディレクターというのは、大学のスポーツ関係を統括する大変な重職で、ディレクターの手腕次第で、長期的には各スポーツチームの成績が良くも悪くもなる。今のディレクターがこの6月で引退を表明しているので、大学執行部はここしばらく必死になって後任を探していて、良い人を見つけるために経営者人材コンサルティング会社と契約していたほどだった。で、ついにメイソン監督に白羽の矢が立ったというわけ。
     うちのような、スポーツに力を入れている大学にとっては、スポーツチームの浮沈は非常に重要な関心事である。チームが活躍すると大学の知名度・人気が上がるし、卒業生などからの寄付金は増えるし、大学の名前入りグッズ・衣類の売上げからの収入(かなり莫大な額)も上昇する。だから、アスレチック・ディレクターに有能な人を置くことはとにかく重要なことである。
     今日の記者会見で、マクファーソン学長がメイソン監督の推薦を発表し、来月13日の大学評議会で承認される運びになるらしい。(ちなみに、うちは州立大学なので、評議員は州民の直接選挙で選ばれる。定員8人で、任期8年。2年ごとに2人ずつ改選。)

     最近、こういう大学の組織形態とかにけっこう興味がある。日本の大学とはかなり違ってて面白い。

  • 2002−1−30(水)の昼前
     田中外相クビ。ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい。
     本当は半年も前に更迭してても当然で、遅きに失した感もあるが、それでも、これ以上あの非常識・無軌道な異常言動に国益を損なわれずに済むのは良いことだ。後任は誰だろう?それが大事。
     教えてるクラス、昨日は予定してた分が時間内に終われなかった。返却した宿題へのコメントとか新しい課題の指示とかを話すのに時間を多く割きすぎたようだ。どうにも、時間配分というのは難しい。終われなかった分の続きは明日のクラスに持ち越し。

  • 2002−1−30(水)の深夜
     今夜はバスケのミシガン大戦があった。宿敵との戦いである。
     昨日の未明に、うちの大学のシンボルの像が何者かに青・黄色(ミシガン大の色)に塗られるという事件が起きた。「何者か」と言っても、ミシガン大の学生に決まってるわけだけど。
     そんなこともあり、また、11月のフットボールのあの劇的な試合のこともあり、今夜の試合は特別な意味を帯びてきた。
     僕と僕の同僚達は、いつも以上に野次を飛ばしまくった。近くに子供がいたら言えないような言葉で、さんざんにミシガンの選手やコーチを罵倒しまくった。
     試合は結局ワンサイドゲームになって、71−44の完勝・大勝・圧勝。完膚なきまでに叩き潰した。ガッハッハ、いい気持ち。

     田中真紀子がどうしてダメなのかについて、ちょっと長めの批判を書こうかと思ったけど、もう遅くなって疲れたのでやめた。おやすみなさい。

  • 2002−1−31(木)の夜
     昨夜から今朝にかけて大雪が降って、いきなり15cmくらいも積もった。昨日まで自転車に乗れたのに、今日は一面の雪景色。
     このへんが、故郷の新潟と違うところだ。これでミシガンの冬は3度目なのだが、ここでは、雪はたまにドカッと降って、それからしばらく降らない、という感じ。降るときは恐ろしく集中的に降るが、降らないときは全然降らない。新潟では、もっと断続的に、ダラダラと降る。

     教えてるほうのクラス、今日はコンピューター実習の第2回。降雪のせいで、出席率が悪かった。今日で、35人の学生のうち17人までは顔と名前が一致するようになった。頑張って早く全員覚えるぞ。


12月 < > 2月

留学記目次へ


[トップページに戻る]