- 2002−5−1(水)のお昼
48時間持ち帰りテスト、開始から約24時間経過。
3問から2つ選択して答える形式で、昨夜のうちに1つ終わらせたので(けっこう手抜きしつつ)、今日は2つ目に取り組んでいる。問題はかなりオーソドックスで、もうちょっとひねった問題が来るかと思っていたので逆にビックリした。1問目は投票行動について、例のミシガン学派以来の投票者の不一貫性とかそのあたり。2問目は議会分析の3つのアプローチ(distributive, informational, partisan)について。3問目は、政党形成の要因(有名なAldrichの本)とか、「政党の凋落」論・政党システムの再編成とかについて。僕は2・3問目をやっている。長く書くのは面倒なので、サラッと要点を押さえて早く済ませる予定。なんか、学会が終わったら燃えつきた感じで、気合いが入らない。あー、今から1週間後には新潟の実家でくつろいでるんだなぁ〜〜。早く帰りてえ。
- 2002−5−2(木)の夜
テストは、〆切10分前くらいに提出。結局かなり手抜きのモノになった。まあ、いいって。
とりあえず、これで今学期履修していた2科目両方の課題を全て終えた。で、この2科目を取ったことで、博士号取得に必要な授業は履修し終わった。まだこれからも聴講くらいはすると思うけど、とりあえず必要単位は揃った。入学から丸3年かけて、ついにコースワーク終了。あー、長かった、ここまで…。
あと4日で帰国の途につく。それまでに、自分の学生のペーパーとテストを採点して成績を出して、自分の研究のほうでちょっと進めておきたい仕事を片付けて、さらに帰国の荷物をまとめねばならない。でも、明日の夜は友達と夜遊びに繰り出す予定♪
よく一緒に昼飯に行ったりして仲良くしてる先輩が、今日は最高に幸せそうだった。奥さんの妊娠がわかって、「俺は父親になるんだ!」とのこと。めでたい!!
- 2002−5−4(土)のお昼
「陪審事務所」から郵便が届いて、ビックリ。なんと、俺に陪審員になれってか!?と驚いて開けてみたら、やはり外国人は資格なしらしい。
たしか運転免許の登録か何かから抽選して陪審員を選んでるからこういうことが起きるらしい。僕の場合は、送られてきた質問票の「米国市民ですか」の項でNOをチェックして送り返す必要があるとのこと。で、この質問票を10日以内に返送しなかったら、「法廷侮辱」のカドで、罰金や投獄の可能性もあるとのこと。
何ヶ月か前に、大学院の先輩が陪審員に選ばれて一週間だったか勤めたことがあって、そのときにいろいろ話を聞いたのだけど、有資格者(米国市民・18歳以上・英語ができる、など)で抽選で陪審員に選ばれた場合、正当な理由(例えば自営業で仕事を休めない、とか)なしでは拒否できないそうだ(70歳以上の人は拒否できるらしい)。
日本にはこの制度がないので、面白い。できれば陪審員をやってみたかったなー、なんて。
- 2002−5−5(日)の深夜
明日には日本に向けて出発するというのに、今日の夕方になってやっと採点が終わった。学生たちの最終成績を計算して、これで今学期の仕事は終了。
一人の女子学生が、ペーパーに手紙を添えていた。封筒には「採点が終わってから読んでください」と。おいおい、愛の告白かぁ?、とドギマギしてたんだけど、開けてみたら、こんな手紙が: ・・・このクラスの内容自体は好きじゃなかったけど、このクラスに対する貴方の努力と熱意(effort and enthusiasm)にはとても感謝しています。今まで、学生のことよりも大事なことがたくさんある、というような態度のTAを何人も見てきたけど、貴方はそうじゃなかったので、嬉しかったです。云々・・・。
学生にこう言ってもらえると、とても嬉しい。愛の告白よりも嬉しいかも?(笑)
僕は、自分の英語が下手なのは分かってるから、なんとかそれを工夫と熱意でカバーしようと、ずっと意識してやってきた。だから、それが学生に分かってもらえて、非常に報われた気分。
今夜はひたすら荷造り。徹夜になるかと心配してたけど、なんとか終わりそうだ。明日は、超有名な政治学者がはるばるサンディエゴからやってきて研究発表してくれる機会があるので、それに出てから、出発。次回更新は新潟から、たぶん木曜日です。
- 2002−5−9(木)の夜
11ヶ月ぶりの新潟は、ちょっと肌寒い天気。
エア・カナダを使ってトロント経由で日本に帰る予定だったのに、乗るはずの飛行機が突然キャンセルされて、ユナイテッド航空に振り替えられ、シカゴ経由で帰ってきた。シカゴで成田行きの飛行機に乗ったら、隣の席のアメリカ人のお爺さんが、僕のTシャツ(うちの大学の2000年バスケ全国優勝記念Tシャツ)を見て、「ミシガンステートか?俺もだ!52年前に卒業したんだ!」と言ってきて、びっくり!&嬉しくて、ガッチリ握手した。すごい偶然だ。機内では食事の時などに、大学の話をしたりして楽しかった。今は学生数4万4千くらいだが、彼が入学したときは4千人しかいなかったとか。
機内では、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んでた。凄い本だ。なぜもっと早く読まなかったんだ。まるで90年代の北朝鮮を見て書いたかのような部分とかがあり、ゾクゾクした。「解説」によると著者は熱烈な大衆礼賛者だったそうだが、僕が読んで感じたのは、大衆(ここでは頭の悪い動物たち)がエリートにうまく言い包められてしまうことの悲しさだった。大衆自身のレベルの低さが、扇動者による操作を可能にしてしまうのだ…。(馬の「ボクサー」の何と悲しい姿よ)
あと、独裁者の豚「ナポレオン」が、犬たちが産んだ子供を親から引き離して育てるところが、かなり印象的だった。「[ナポレオン]のいうところによると、もうおとなになってしまっている連中に何かしてやることよりも、若い世代を教育することの方がもっと重要だった」というところ、これは、魯迅が「狂人日記」の中で「まだ"伝統"に毒されていない子供を救え」と叫び、ポルポト派政権下のカンボジアを描いた映画「キリング・フィールド」の中で"毒された"大人が"毒されていない"子供たちに敬礼させられるシーンと、全く対応している。社会を操作・改造しようとする過程ではこういうことが起きる。
それから、「ナポレオン」のやり方に疑問を唱えようとする者をシュプレヒコールの合唱で黙らせてしまう羊たちは、司馬遼太郎『翔ぶが如く』に出てくる誰かを思い出させた。辺見十郎太だったかな?
機内で配られたニューヨークタイムズを読んでて、フランスのシラクとジョスパンが握手してる写真を見て、ふと、石原慎太郎を嫌う人は彼をルペンだと思ってて、慎太郎を支持する人は彼をシラク(またはドゴール)だと思ってるのでは、と思った。
昨日の夜遅く帰ってきたんだけど、今日はさっそく水泳に行ってきた。11ヶ月ぶり。大学にもプールはあるんだから、向こうでも泳ぎたいものだ。コースワークも終わったことだし、これからは何とか時間を作って適度な運動をするように心掛けよう。研究においても、先立つものは体力だ。
- 2002−5−10(金)の夜
日本に帰ってやりたかったことの1つは、晩酌しながらのナイター観戦。しかも、愛する阪神が憎き巨人を破る試合を観るのは、格別!
さて、明日の朝から20日(月)まで出かけてくるので、更新はお休みになります。横浜の親戚の家に居候しながら、東京で学会に出席したり、友達に会ったり、盛り沢山の10日間の予定。
あさってのオフ会、多くの読者の皆さんにお会いできるのを楽しみにしてます!(写真をウェブに載せられたりはしないので、安心してお越し下さい・笑)
- 2002−5−20(月)の夜
無事、新潟に帰ってきました。めちゃくちゃ盛り沢山の10日間でした。今日は疲れてるので、明日ちゃんと更新します。
- 2002−5−21(火)の夜
怒涛の10日間で疲れきったので、今朝はゆっくり寝てた。ようやく時差ボケも治ったようだ。
5月の日本はもっと暖かいと思ってたのに、意外に寒くて残念だ。毎年この時期に帰ってくる理由の一つは気候なんだけど。
先週の水曜、母校の筑波大に行ってきた。毎年帰る度に行ってるのだけど、つくばに行くと必ず食べに行く店がある。「ランラン」という店。僕の筑波大時代はこの店なしには語れない。洗面器のような大きさのどんぶりに入った巨大などんぶり料理が売りの店で、名物メニューはその名もズバリ、「BIG丼」。
これがBIG丼。
BIG丼の「特盛り」を完食することは、大食い自慢の筑波大生にとってのステータスでもある。昔は僕も特盛りを食べたものだが、今では普通盛りで十分。それでもかなりデカい。で、大学一年生から食べ続けているこれを何歳まで食えるか、ということで、毎年通っているのである。いや、もちろん、味も素晴らしいのだが。
で、

今年も完食。27歳でこれを食える人は多くないだろう。ふっふっふ。
- 2002−5−22(水)の夜
僕が6年間通った荒川町立保内小学校は、建て替え工事中。
この世代ではけっこう珍しいかもしれないが、僕は小中学校の9年間を木造校舎で過ごした。中学校は僕が卒業してすぐくらいに鉄筋校舎になったが、小学校は古い校舎が今まで残ってた。それがついに建て替えられるのだ。

これが旧校舎の裏側。かなりボロボロだ。写真右側の方の1階が、僕が2年生の時の教室付近。写真左側に見えるのが「第2体育館」、略して「2体」。体育館の手前にあるのが、主に低学年児童が使うトイレなのだが、なんとこれは男女共用トイレだった(と思う。今はどうか分からないけど。)

これが、建築中の新校舎。立派な校舎になりそうだ。
田代まさし芸能界復帰。記者会見のニュースをスポーツ新聞で読んだのだが、「家族を養うため」とかいう理由を挙げていたそうだ。最悪。
芸能界に復帰するのかそれ以外の職に就くのかは全く彼の判断であり、その自分の行動の理由に家族を使うってのは、あまりにもカッコ悪く、情けなく、みっともない。「家族を養う」というのはもちろん重大な責任であるわけだが、たとえそれが理由だとしても、少なくともそれを自分の行動の正当化に使って、それを他人の前で口にすべきじゃない、マトモな大人なら。
- 2002−5−24(金)の夜
気がつけば、日本にいるのもあと10日になってしまった。日本に帰ってきたらすぐ東京方面に10日も行ってて、そこから新潟に帰ってきたらメールが160件も溜まってて、それの整理すらまだできていないというドタバタ状態。日本ではゆっくりと数学の勉強でもしようかと思ってたのに、持ってきた教科書を開いてすらいない。実家にいると、一日があっという間に過ぎるような気がする。
明日の朝、再び東京に行って、大学時代の友達の結婚披露宴に出る。27歳にもなって、ちゃんとした結婚式に出るのは初めて。それなのに祝辞を頼まれてしまって、う〜、今夜これから考えるか…。
- 2002−5−27(月)の昼ころ
土曜に東京で友達の結婚披露宴に出て、その晩はそのまま3時頃まで騒いでた。昨日(日曜)は別の友達連中と会って遊んで、昨夜遅くになって新潟に帰ってきた。過密スケジュールのせいか、風邪をひいてしまったようだ。今日はゆっくり休もう。
それにしても、土曜の結婚式は素晴らしかった。東京湾を船で2時間巡りながらの船上披露宴で、食事も酒も猛烈に旨く、演出も良かった。参加した友達はみんな感化されて、「俺も船でやろう」とか言ってた。僕も非常に結婚式したくなった(まず相手を見つけないことには…)。
そうそう、金曜に、「メールが160件溜まった」とか書いたけど、それは返信を要するようなメールがそんなにあるという意味ではなく、そのうち大多数は、毎日届くメールマガジンとかです。そんなに忙しい生活をしてるわけじゃありません(笑)。
- 2002−5−28(火)の夕方
28歳の誕生日を明日に控えて、風邪のせいで気分が沈みまくり。風邪をひいたのは久しぶりだなぁ〜。ハナミズが滝のように流れ、ティッシュの消費量が莫大。
27歳の一年間は、まあいろいろあったけど、自分で授業を教え始めたことが最大の変化だっただろうか。「教える」ことの難しさと面白さを知った。あと、初の学会発表を無事に乗りきって、授業を全部取り終わり、研究者への道をある程度は順調に進んできた。
28歳の抱負は、明日。(とりあえずは風邪を治したい)
- 2002−5−29(水)の夜
今日で28歳。親がケーキを買ってきてくれた。

この年にしてバースデーケーキというのも、ちょっと気恥ずかしいような…。長いロウソクは1本が10年分ということで、長2本&短8本で28歳という意味らしい。ちなみに、写真左側に写ってるのは酔っぱらった父の手。
もちろん、ケーキを食べる前に、ビール(わざわざ買ってきた、量り売りの生ビール)と日本酒(なんと3種類)で宴会。うちの家族は晩酌の為に生きてるような人々なので…。
さて、20代もあと2年限りだ。
筑波大時代のある先生の言葉で、今でもよく思い出すのが、「20代の後半というのは、人間が体力的にもその他の面でも、最も精力的に物事に取り組める時期だから、この時期にどれだけやれるかで、その人の人生の多くが決まる」というもの。実際ここ数年、僕は馬力にまかせてひたすら勉強に打ち込んできたし、ある程度はその成果もでてきている。逆に、19歳から22歳くらいまでの僕は、とにかく様々なことに悩んで、その答えを求めて、図書館とか海外とかを駆け巡っていた。その時期があったおかげだろうか、ここ数年の僕は自分の進路に疑問を持つこともなく、ひたすら真っ直ぐ走ることができてきている。で、最高に順調にゆけば、あと2年で博士号が取れる。今後2年間の頑張り次第で、博士号が取れるかどうか、就職できるかどうか、どれだけの水準の研究者になれるのか、など、自分の人生の多くが決まるはずだ。う〜、頑張らねば、なぁー。
- 2002−5−31(金)の昼
昨夜は、友達と遊びに行ってきた。小・中学校時代の友達で、今でも実家に帰る度に遊んでいる。僕がウェブのオフ会をやったりしてると話したら、非常に羨ましがってた。
早いもので、あさってには再渡米。今日の午後に、スーツケースを成田まで宅急便で送る。今日の午前中はその荷物整理に大忙しだった。なんとかできた。フー。