- 2003−4−1(火)の午後
大学の本部ビルの前に人だかりができてるのを見かけて、近寄ってみたら、アファーマティブ・アクション(以下、AAと略す)賛成派の学生の集会だった。50人くらい(白人と黒人が半々くらい)が集まって、何人かの学生が交代で前に出てスピーチをしていた。「AAは必要だ」とか「AAに賛成しよう」とか書いたプラカードも掲げていた。
面白いのは、その集団から2mくらい後ろに、10人くらいの反対派学生(全員白人)が陣取って、「AAは政府が支援する人種差別だ」とか「AAは違憲だ」などのプラカードを掲げていた(別に集会を妨害するでもなく、ただ立ってるだけ)。
さまざまな考えの人が集まるこの国だが、AAの問題と妊娠中絶の問題については、特に世論が割れて、激しい論争になっているらしい。大学生にとって、AAの件は特に身近だろうし。
いま連邦最高裁で争われているAAの裁判は、お隣りのミシガン大学の入試方式をめぐっての問題であり、ミシガン大を訴えている原告の一人は元MSU学生らしい。ミシガン大学では入試の選考において、150点満点で志願者を評価する際に、非白人には一律に20点が加算されるという。大学側の主張では、このやり方によって大学が人種的に多様になり、それが良い教育的効果を持つというのだが、反対意見も多い。黒人の中にももちろん反対派はいる。確かに、一生懸命勉強して実力で志望校に合格したと思っている人が、「彼は黒人だから合格しやすかったんだろう」と周りから思われたら、それはかなり悲しいことだろう。また、今は60年代とは社会も変わってきていて、黒人の富裕層も普通に多い。その状況で、どうして貧しい白人の子供が裕福な黒人の子供よりも低い点を受けなければならないのか、という批判もある。
まあ僕には直接関係のない話であるが、観察してると興味深い。特に政治に関心のないような学生でも、AAの問題については自分の意見を持ってたりするようだし、こういう問題について議論したりすることが、学生たちの間で別にカッコ悪くもなんともないようだ。もし僕が自分のクラスでこの問題を持ち出して学生に自由に発言させたら、きっと止まらなくなるだろう。声の大きい者が利益を得る、自己主張してナンボのこの社会で育ってきた学生たちは、やはり日本の大学生とは相当に異なっている。
- 2003−4−3(木)の夜
明日から学会でシカゴ。シカゴはもう何度も行ってるので、慣れた街だ。今回は、生涯2度目の学会発表で、自分一人で書いた論文を発表するのは初めてだ。
ミシガンは東部時間で、シカゴ(イリノイ州)は中部時間なので、そんなに遠くないのに行ったら時計を1時間ずらさねばならない。しかも、滞在中に夏時間になるので、もうややこしい!
今日はなんだか頭が痛くて、発表の練習をしなきゃいけないのに、まだやってない。15分間で発表しなきゃいけないので、やはり練習しなきゃ。たった2泊とはいえ、荷物もまとめなきゃいけないし…。
次回更新はたぶん日曜です。
- 2003−4−6(日)の夜
シカゴから帰着。ふー、疲れた。
論文の発表はつつがなく終わった。パネルの会場はけっこう大きな部屋で、聴衆用のイスは70〜80個くらいもあった。しかし、発表者4人+司会兼討論者1人の5人がひな壇に並んだのに対し、見にきてた人は1人だけ。途中で3人くらい出たり入ったりしてたが、最後までいたのはその1人だけ。
そんなわけで、去年と同じように、リラックスした雰囲気のパネルになった。僕の発表順は最後で、緊張もせず、ごく普通に話せた。大したコメントは得られなかったが、パネル終了後、討論者の先生が僕の論文にコメントなどを書き込んだものを返してくれた。単純な文法ミスなども指摘されてて、恥ずかしい限り。でもその先生は、パネルが始まる前に挨拶したとき、「I enjoyed reading your paper.(君の論文を楽しく読んだよ)」と言ってくれたので、ある程度は気に入ってくれてたと思う。いろいろ加筆・修正するところはあるけど、この論文は出版まで持って行けそうな気がする。
- 2003−4−7(月)の午後
昨日の朝、シカゴのホテルでCNNを見てたら、イラクの病院の映像が流れていて、爆撃で脚を失ったイラク人がベッドに横たわっている姿を見た。昨夜、インターネットのニュースで、イラク人たちが大喜びでフセインの像を引きずり倒している写真を見た。前者では悲しくなったが、後者ではホッとした。物事には両面がある。
この戦争を巡って世界中で世論が割れているのと同様に、イラク人たちの気持ちも様々だろう。「自由がなくても、秘密警察にいつも見張られていても、家族みんなで細々と暮らしていられればいい」という人もいるだろうし、逆に、「こんな抑圧の下で暮らすのはもう嫌だ。米英軍に早くサダムを倒して欲しい」という人もいるに違いない。もちろんこれは、どっちの意見が正しいとかいう問題じゃない。
「独裁者がいようが自由がなかろうが、イラク国内のことはイラク人の問題であって、外国に干渉して欲しくない」という人も多いだろうし、「俺達イラク人が独裁者の下で苦しんできたのに、どうして諸外国は今まで助けてくれなかったんだ。自分たちだけ自由ならそれでいいのか」という人も少なからずいるだろう。肉親が秘密警察に連行されて拷問されて殺されたような人はイラクにたくさんいるだろうが、そういう人々には「内政不干渉」とか「国際法」とかの言葉は空虚に響くんじゃないだろうか(国際法に意味がないとか言ってるわけではもちろんない)。
どういう意見がイラクに多いのか、それは分からない。また、多数派の意見に世界が従うべきという問題でもない。ただ、僕がここで言いたいのは、一つの意思を持った人格であるかのように「イラク人」という言い方をするのはおかしいということ。「イラク人を独裁者から解放する」とか「イラク人は外国による統治を歓迎しないだろう」とか、どっちも偽善ったらしい。
さて、戦争は終わりそうになってきたが、いまイラクの人々はどんな気持ちで、それはこれからどう変わるだろうか?
- 2003−4−9(水)の深夜 【32万アクセス到達しました】
バグダッドが陥落し、フセイン政権が崩壊した。ここ数日の急激な展開は、たぶん世界の99%の人が思ったよりも早かったのではないか?僕もつい数日前までは、バグダッドの市街戦はたいへんに困難で長い戦闘になるのでは、と心配していた。
バグダッドの大きなフセイン像が倒されて、イラクの人々がそれを踏みつけて殴りつけて喜んでいた姿はかなり印象的だった。その様子を流したCNNの生中継を僕はビデオ録画した。おとといも書いたように、イラクにもいろんな意見の人がいるはずだから、メディアに映った人々がイラク人を代表してるわけじゃないことは理解している。しかしそれでも、ブッシュ大統領の写真にキスしたり、米兵に花を差し出したりしているイラクの人々の姿には、救われる思いがした。この戦争で犠牲になった人々にはたいへんに気の毒なことであったが、それでも、世界の脅威であった残虐な独裁体制が終わったこと自体については良い結果だったといえるだろうし、それを歓呼で迎えた少なからぬ市民たちにとっても、これは望ましい結果だっただろう。結果のマイナス面とプラス面のどちらが大きいか、それは見る人の立場やイデオロギーにもよるし、今後の展開も見てみないと分からない。イスラム諸国と西側諸国との関係は今後どうなるのか、米英と仏独露の対立はどうなるか、イラクにどんな政体ができるのか、アメリカの外交政策はどう変わるか、などなど不確実な要素はいろいろある。
一つ確かなことは、北朝鮮の独裁者が今頃、「次は自分か」という恐怖に包まれているだろうこと。これをきっかけに彼が軟化してくれれば何よりだが…。
- 2003−4−11(金)の昼前
たった今、第3回目のテストをやってきた。今回の問題はけっこう易しくしたので、平均点は上がると思う。あまり上がり過ぎてもまずいけど。これから採点。
今回は誰にも追試をしてあげなくてもいいようだから、よかった。問題を2つも作るのは非常に面倒くさい。
10日後に〆切のペーパーがあるのだが、学生の一人が「下書きを読んでコメント下さい」と言って持ってきた。熱心な学生を見ると非常に嬉しい。彼はテストでもいつも高得点だし。MSUの学生は、勉強する人としない人の差が非常に激しい。ミシガン州の州立大学ではミシガン大学がもちろんもっとも優秀なんだけど、向こうは学費が高いので、成績は足りてるけど経済的な事情で、ということでMSUに来る学生も多いようだ。その反対に、パーティーだけのために来てるような連中も多いので、とんでもない差ができる。学生の程度がバラバラだと、テスト問題を作るのも大変である。
- 2003−4−12(土)の午後
この戦争について、賛成・反対のさまざまな意見を聞いたし、どっちの側にも説得力のある意見はあったと思う。でも、アホな意見もたくさんあった。
フセイン政権崩壊を喜ぶイラクの人々の映像を見て、その笑顔に対してまず素直に「そうか、彼らは嬉しいのか。よかったねぇ。」と思うのが普通の感情だと思うのだが、まずイデオロギーが先にある人たちは、物事を自分の色眼鏡を通してしか見られない。米英軍の行動を全否定することがすでに条件反射的行動になってしまっている人は、「この映像はアメリカの宣伝用に作られたものに決まってる」とか「実はこの人たちは少数派に過ぎないはずだ」と、先に結論を作ってから、自分の結論に合う記事を必死にインターネットで探す。見つけてホッとする。
そういう人たちは、この先、隠されていた化学兵器が見つかったとしても、そのニュースを詳しく読む前からすでに「アメリカの陰謀に決まってる。でっちあげに違いない」と決め込み、「でっちあげらしい」という記事を見つけるまで探すんだろう。
結論が先に決まってて、状況が変わっても絶対に結論を変える気がないような議論なんて、有害だ。「アメリカは戦争目的をコロコロ変えた」と批判する人が、実は戦争批判の根拠をコロコロ変えていたりする。「戦争反対」という既定の結論をサポートするような情報や意見を聞いたらなんでもいいから受け入れていたような人は、アメリカがなりふり構わず戦争目的を正当化しようとしていた様子と、姿勢において大差ないんじゃないか。
そういう人は主張にも一貫性がなかったりする。「どんなにイラクの人が喜んでも、外国の軍隊がイラクの政権を武力で倒すのは間違いだ」という意見がある。その主張にはそれはそれで説得力はあるが、僕の予想では、そう思ってる人のうちのある程度の数の人が実は、第二次大戦で日本の軍部政権が連合軍に倒されたことについては良かったと思ってるのではないかな。「イラクの政治に外国は干渉すべきでない」という意見と、「連合軍が日本を軍国主義から解放してくれた」という見方は矛盾してるわけだが、日本のいわゆる進歩的知識人・左翼の人々は、平気でそういうことを言いそうだ。あーあ。
- 2003−4−13(日)の夜
あー、それにしても、神奈川県知事選で田嶋陽子候補が落選してくれて本当によかった。日本から届くニュースは暗いものが多いが、久しぶりにホッと胸をなでおろすニュースだった。女性の社会的地位向上は重要な問題だと思うが、あの人が知事になってもその面で成果を上げられたとは思わないし、逆にとんでもない損失と混乱を神奈川と日本にもたらしてただろうと思う。
東京の慎太郎について、僕は彼の国政復帰を前は期待してたが、今は意見が変わって、彼には都知事のままでいて欲しいと思う。彼の言うことには共感するところも多いが、「それは行き過ぎだろう」ってことも多い。だから、彼が首相になるのはちょっと怖い気もする。都知事の立場から国政によい緊張感と方向性を与えてくれるのが、いま僕が彼に期待すること。
第3回テストは、平均点83点だった。今までよりもずっとよくなった。問題を簡単にしたのもあるけど、いよいよ必死になってちゃんと勉強した形跡の見える学生も多く、僕は満足。
- 2003−4−14(月)の夜
今朝のクラスでテスト返却。期末テストのことなどの連絡事項の後、今日の授業はインドの政治について。大好きな国なだけに力が入る。インドを旅行したときのことも話して、右手で食事し、左手でケツを拭くとかのことを話して大爆笑を得た。そんなふうに脱線しまくってたら、かなり進行予定から遅れてしまい、さらに最後にクイズをするのを忘れてしまった。ま、仕方ない。
- 2003−4−17(木)の昼前
なんと今月2回目の学会報告をしに、明日から日曜までテキサス州サンアントニオに行ってくる。この学会の役員をすることになった先輩(今は別の大学の助教授)に勧められて報告することになったものなのだが、半分以上はサンアントニオに行ってみたいという観光目的。その先輩も、その目的で僕に勧めてきたようなものだし。
旅行ガイドブックを見たら、「テキサス人には2つの故郷がある−−自分の街とサンアントニオ」なんて書いてるし、誰にきいてもいい街だという。スペイン語を話す人が人口の半分以上を占めるというし、もともとスペイン人宣教師によって造られた街だそうだ。僕はアメリカの南のほうには行ったことがないので、非常に楽しみだ。
- 2003−4−21(月)の午後
テキサス州サンアントニオで学会発表(南西部政治学会)してきた。発表自体は無難にいった。討論者は僕の前の指導教授で今はテキサス州の大学に移籍された先生だったのだが、彼はこの論文を非常に気に入ってくれて、「APSR(政治学で最高のジャーナル)に送れ!」と言ってくれた。でも、別のパネリストからはけっこう核心をつく厳しい意見ももらった。聴衆の数は、これまでに僕がした学会発表の中では最大の5人(!)。
テキサス州で政治学の大学院生をやっている水口くんとMくんもサンアントニオに来てくれて、3人でホテルに泊まった。3人で市内観光に行ったり、メキシコ料理を食ってビールを飲んだり、テキサス大学サンアントニオ校を見に行ったり、いろいろ楽しかった。

これが有名なアラモ砦。思ったより小さかった。
帰りの飛行機の中では喉が痛くなって大変だった。風邪をひいたかもしれない。昨夜9時ころに帰ってきたのだが、今朝はまた講義。出発前に講義ノートを作っていったのでよかったけど、それでもひどく疲れた。
水口くんと一緒に撮った変な写真を数時間限定で公開します。(終了しました)
- 2003−4−25(金)の午後
ふー、終わった…。
今日が学期末最後の授業だった。第38回目。長かったけど、ついにここまで辿りついた。今週は風邪で体調が悪いのに、課題の採点と講義準備で目の回る日々だった。
あとは来週水曜に期末試験をやって成績をつければお終い。夏休み!(でもやることは山のようにある)
このクラスを教えたのはすごく大変で、膨大な時間をとられたけど、でも、いい経験だった。アメリカの大学で実際に授業を受け持って教えるなんて、そう滅多にある機会じゃない。シラバスもテスト問題も全て自分で作って、学生の文句にもいちいち対応して、38回の講義と4回の試験を全部やった。
僕が教えた内容が学生達の頭にどれほど残るかは分からないけど、少なくとも彼らの成績票には僕のつけた成績がずっと残るわけで、学生時代の成績が一生ついてまわるこの社会においてはそれは大きなことだ。彼らは高い授業料を払ってこのクラスを受講したのだし(アメリカでは親の援助を受けずに大学に通う学生がとても多いらしい)、僕の責任は重大だった。その責任に見合う仕事ができたかどうか、さて、授業評価の結果を見るのが楽しみだ。
- 2003−4−27(日)の夕方
風邪をひいてから一週間、どうにもセキが止まらない…、となると、いま話題の新型肺炎か!?と心配になったけど、熱が出てないから大丈夫だろう。
でも、このご時世、人前でセキをすると嫌な思いをさせそうだ。早く治さねば…。
僕の所属する政治学部大学院課程では、毎年度「院生会」の会長・副会長らが選挙で選ばれるのだが、来年度は僕が副会長になることになった。別にやりたいわけではなかったんだけど、今年度で卒業する先輩たちの間で、副会長を僕にやらせることに話がまとまり、「たいした仕事はない」ということで説得され、引き受けたというわけ。会長は後輩のマイク君。
で、先に根回しが終わった後に形式だけの選挙。立候補や推薦の受け付けがあったけど、他に誰の名前も挙がらず、マイクも僕も信任投票ということになった。もちろん当選。
マイクと2人で、「恐怖政治を布こうぜ」と冗談を言い合ってるのだが、まあ実際の話、僕も5年生になるわけだし、これまで院生連中を引っ張ってきた先輩達が卒業することもあり、僕らが学部内にいいムードを作っていかなくちゃいけない。
- 2003−4−29(火)の夜
明日が僕のクラスの期末試験。問題はもう印刷したし、もう特にすることはない。マークシート式でやるので、終わってからも採点の必要すらないし、今学期は終わったも同然。
僕のクラスでは、4回のテストのうち最も悪い1つはカウントされないというルールにしているので、今までの3回で高得点を取った一部の学生は、明日の期末テストを受けなくても既にA(4.0)が確定している。そういう連中はもちろん期末を受ける必要がないので、明日は来なくていい。
僕はテスト前日に「図書館にいるから質問あったら持って来い」タイムをやるのだが、今日はたった2人しか来なかった。しかもそのうち1人(女の子)は明日の期末受けない組なんだけど、「他のテスト勉強で図書館に来たから寄ってみたの」とのことで、ちょっと雑談して帰っていった。「今学期とったクラスの中で一番いいクラスだったよ!ありがとう!」と言って握手して行った。ふひひ。