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留学記「大学院をミシガンで」

11月 < 2003年12月 > 1月


  • 2003−12−1(月)の深夜
     11連休も今日で終わり。日本に一時帰国する日まで2週間を切った。
     僕が教えてる「アジアの政治」のクラスも残り2回。最後のテーマは中国の政治について。学生の興味をひくようなエピソードを探してたら、毛沢東の異様な私生活の様子を幾つか知ってビックリ。例えば彼は歯を磨く習慣がなく、お茶でうがいするだけだったので、歯茎はボロボロだったとか。あと彼は一切風呂に入らず、タオルで身体を拭かせるだけだったとか。彼が生涯で中国の外に出たのはモスクワを訪問した2回だけで、しかも彼は外国の文化などに一切興味がなく、ロシアバレエ観賞に招待されたのに途中で席を立って退出してしまったとか。彼の主治医が後に「人間の気持ちを持っていない人だった」と述懐したそうだが、本当に極端な人だったようだ。

  • 2003−12−2(火)の深夜
     1月からの春学期の仕事割り当てが発表されて、僕は今度は講義を担当せず、M准教授のRA(研究助手)を週20時間することになった。前から本人からその予定であることは聞かされていたけど、これで正式決定。
     主指導教授には「よかったじゃないか」と言われた。確かに僕は既に自分のクラスを2つも教えたんだから、「教育経験」はもうけっこう蓄積してるわけで、今度RAをすることはいいバランスになって、就職活動で有利になるだろう。M准教授はけっこう僕にも興味ある研究をしてるし。
     でも、今まで授業を教えることを実は楽しんできたので、1月から若い学生たちと触れ合う機会がなくなったらちょっと物足りないというか寂しい気持ちになるかもしれない。(じゃあ早く就職しろってことか!?)

  • 2003−12−3(水)の深夜
     バスケの非常に大きな一戦、デューク大学との対戦。デュークは大学バスケ界随一の名門であり、「名門」の地位を目指すスパルタンズにとっては、なにがなんでも勝ちたい極めて重要な試合。

     僕も気合いを入れて、初めての上半身ペイント。

     しかし、スパルタンズはとにかく最悪の試合をしてしまい、一方的に叩きのめされた。50−72という大差で敗北。前半だけで17ターンオーバーという、もうお笑い的な不甲斐なさ。全米の注目を集めたこの大事な試合で大変な醜態を晒してしまったし、しかも簡単には修正できなそうな大きな欠陥を露呈してしまった。そして、僅か3日後にはオクラホマ大学との対戦が控えてる。このチームはどうなってしまうんだろう…。

  • 2003−12−4(木)の深夜
     「アジアの政治」のクラス、今日は最後の講義。毛沢東以後の中国の政治について話した。さて、期末試験を作らなきゃ…。
     来学期はRAだし、来年度は6年生になるのでたぶんもう仕事は貰えないだろうから、これが僕がMSUで教える最後のクラスになる可能性が高い。さて、次に僕が教壇に立つのは、いつ、どこになるんだろう?日本になるか、アメリカになるか…。ちゃんと就職できるように、とにかく今は一生懸命論文に取り組むしかない。

  • 2003−12−6(土)の朝
     昨日の昼は、先学期に僕のクラスを取ってた学生と一緒に昼食を食べに行った。彼は学期中からとても熱心で、いつも興味をもった顔で僕の講義を聴いていた。数週前に、「来学期は何か教えないのか」とメールをもらって、何回かメールを交換してるうちに、「じゃあランチに行こう」という話になったもの。
     「Great classだった」とか「多くを学んだ」とか、僕のクラスのことをさんざん褒めてくれて、恥ずかしいくらい。政治の話とか、日本のこととか、僕の研究のこととか、いろいろ話して楽しかった。元教え子がこうして慕ってきてくれることほど嬉しいことは滅多にない。

  • 2003−12−7(日)の朝
     昨日は、片道1時間以上も運転して、バスケ観戦に行ってきた。MSU−オクラホマ大学の試合が、デトロイト郊外の会場(NBAピストンズの本拠地)で行われたのである。前に一度、ピストンズの試合を観に行ったことがあるけど、そのときは2階席のずっと上の方だった。今回はコートの割と近くで、学生席なのでみんな叫んだりジャンプしたりの大騒ぎ。NBAの試合ではこんなにファンが騒ぐことはない。
     僅か3日前のさんざんな敗戦からどこまで回復できるかが今日の焦点だったが、立ち上がりはまた全然ダメで、辛うじてオクラホマの反則に助けられてFTで加点する展開。前半終了時にFG僅か7本というザマ。
     後半開始後もだんだん差を広げられ、最大15点差をつけられたが、そこから猛烈な追い上げを開始、終了6秒前についに追い付き、延長戦突入。5分間の延長戦、最後は微妙な反則の判定で結局負けてしまい、非常に残念だったが、でもいくつか収穫はある試合だった。この悔しさを次に繋げて欲しい。
     1週間後のケンタッキー大戦は今度はNFLライオンズの球場(フォード・フィールド)で、世界新記録となる75000人の観客を集めて行われる。新記録を勝利で飾りたいものだ。

  • 2003−12−7(日)の深夜
     期末試験の問題を作ってて、完成したのが朝の3時。もう一度チェックしてから印刷に回そう。で、寮に帰ってきてなんだかんだやってるうちに、今は朝の4時。いい加減そろそろ寝よう…。

  • 2003−12−9(火)の夜
     今日は期末テストをやった。答案を提出した後で何人もが握手してきた。親しくなった学生たちとも今日でお別れ。受験しなかった学生もいたけど、どうしちゃったんだろう?明日あたりになって「親が急病で…」とか何とか言って追試してくれとか言われたら嫌だな〜。まあ、そう言われても断ると思うけど、お互いに後味が悪いのは嫌だ。
     さっさと終わらせてしまいたいので、ガリガリと採点を終わらせて、全員の最終成績を計算。成績の平均もだいたいいい感じに収まった。学生全員にさっそくメールして成績を伝えた。もし間違いがあったりとかすると悪いので、大学本部に最終的に成績を報告するのは明日にしよう。成績報告をした後で修正するには非常に面倒な手続きが必要らしいので。
     その仕事が終わったのが午後4時半頃で、今日は仕事終了の記念に、さっさと寮に帰ってきた。夕飯前に寮に帰るなんて何ヶ月ぶりだろう!いや、普段も夕飯を食べに寮に帰ってくることはあるけど、食堂で食った後そのまま研究室に戻るので、自分の部屋に帰るわけじゃない。
     一休みした後、水泳に行ったらプールが異常に混んでたので、泳がずに帰ってきた。くそ。

  • 2003−12−10(水)の深夜
     今日は帰国に備えて必要なものを買いに行ったりとか、大学院の友達とランチに行ったりとか。
     夕方、自分のクラスの学生たちの最終成績を大学本部に提出。「提出」といってもペーパーワークは何もなく、WEB上での操作だけでいい(しかし、高齢のベテラン教授たちも本当にこうやってるんだろうか!?)。
     それで今学期の職務が完全に終了したので、相当久しぶりに、寮の自室で1人でビールを飲んだ。缶ビールたった一本でいい気持ちになって、寝転んでテレビで大学バスケ観戦しながらうたた寝したりした。あー、リラックス。
     でも、実はそんなにノンビリもしていられない。帰国中も博士論文の仕事を進めねばならないので、持ち帰る資料をコピーしたりとかしなきゃいかん。それは明日かな。

  • 2003−12−11(木)の深夜【42万アクセス到達しました】
     あと数日で日本かと思うとなんか変な感じ。毎度のことだけど、時差ボケになるかと思うと憂鬱だ。
     帰国に備えた準備というのはなかなか捗らないもので、スーツケースを出してきたのはいいけど、まだ何も詰め始めてない。明日で一気に進めよう…。

  • 2003−12−13(土)の午前中
     今日の昼過ぎに出発。ここから新潟の実家までは長くて盛り沢山の旅になる。
     まず、大学院の後輩M君の運転で2人でデトロイトに向かい、バスケのMSU−ケンタッキー大の試合を観戦。帰り道、デトロイト空港近くのホテルで下ろしてもらって、1人でそこに宿泊。明朝、デトロイト空港からワシントンDCのダレス空港を経由して成田へ飛ぶ。ワシントンDCでは乗り継ぎ時間が4時間近くもあるので、ロビーのベンチで寝るか本を読むかしよう。
     成田到着は月曜の午後3:25。そこからバスで筑波大へ。友達の部屋に泊めてもらって、大学時代に愛してやまなかった店で夕飯を食べる予定。当時バイトしてたバーは閉店してしまったので残念ながらもう行けない。
     火曜の午前中は、筑波大構内をウロウロして、先生のところに挨拶に行ったり、図書館で資料をコピーしたりするつもり。そしてその日の夜に新潟の実家到着。
     荷造りはだいたいできたんだけど、スーツケースが半分くらいしか詰まってなくて、どうしてこんなに荷物が少ないんだろうかと思案中。何か大事なものを忘れていないだろうか!?こんなに軽い荷物で日本に帰るのはきっと初めてだ。
     次回更新はたぶん水曜になります。

  • 2003−12−17(水)の昼前
     1年半ぶりの日本。でも、長旅の疲れと時差ボケが重なったのか、体調を崩してしまった。ゆっくり休んで治そう。

     13日のバスケの試合は、惜敗に終わった。フットボール場にバスケコートを特設して行われ、7万8千人以上の観客が集まった。僕が居た学生セクションは、フィールド上の総立ち見式の場所で、その中では最前列に居たけど、それでもコートからけっこう遠かったし、コートが高さ約1メートルの場所にあったので、試合の様子はほとんど見れなかった。試合の8割は大型スクリーンで見た感じ。こんな大きなイベントに参加できたのは良かったが、でも負けてしまって非常に残念だった。これで今シーズンは3勝4敗になり、たしか9年ぶりに勝率5割を下回ることになった。

  • 2003−12−18(木)の夜
     新潟の実家でノンビリ休養中。ゴロゴロしてばかりなので時差ボケは治ってないけど、体調はよくなった。明日から日曜日まで東京へ行ってくるので、次回更新はたぶん月曜になります。

  • 2003−12−22(月)の午後
     東京で飲みまくりの3日間を過ごし、昨夜新潟に帰ってきた。今日で帰国からちょうど一週間。これから1月5日までの2週間はずっと実家に篭って勉強する予定。
     さっき、親のクルマを借りてプールに行ってきたのだが、久しぶりに右ハンドル車を運転したら、かなり怖かった。交差点では、ウインカーを出そうとしてワイパーを回すし、間違った車線に入らないかとヒヤヒヤしっぱなしだし。
     新聞の番組欄を見たら、今夜は歌番組の特番があるようだったが、載ってた歌手の名前が全然分からなかった。日本でどんな歌が売れてるか全然興味なくなった(ただ、「佐賀県」という歌があるそうだけど、それはどんなものか聴いてみたい)。更に、アメリカでどんな歌が売れてるかも一切知らないし、どんどん自分は世間離れしてきた。
     自分が好きな音楽を聴いていられれば僕は幸せなので、何が売れているかには関心ない。それに、日本で最近売れているような歌は、聴いてみる前に、既に嫌いだと分かる。なんとなく。

  • 2003−12−23(火)の朝
     やはりまだ時差ボケが残ってるようで、早寝早起き生活。今朝も7時前に起きてきた。
     新聞のテレビ欄を見たら、「突入せよ!あさま山荘事件」という映画が今夜放送されるとのことで、これは観ようと思った。僕は、この原作(佐々淳行氏著)が10年くらい前に雑誌連載(たしか文藝春秋)されていたときに、毎月楽しみに読んでいたのだ。佐々氏がその前に連載した東大紛争についての話は、連載を毎月読み、単行本が出たときにはすぐに買った記憶がある。60年代後半から70年代初め頃の時代に僕はとても興味がある。

  • 2003−12−24(水)の昼前
     昨夜の映画は、映画としてはひどい駄作だった。まあ、あれを観た人のほとんどはドキュメンタリーのつもりで観たんだろうし、制作側もそういう客を想定していたんだろうから、あんなもんかもしれない。

     今日の午前中は運転免許の更新に行って来た。来年の5月が期限で、たぶん5月には帰ってくるとは思うけど、でも何かの都合で帰国しないこともありうるので、今のうちにやっておこうと。誕生日の1ヶ月前よりも早く更新手続きをするためには、出産・服役・海外旅行などの特殊な理由が必要で、それを証明する書類が必要になるのだが、僕の場合は「海外留学」ということで、大学が発行する"I-20"の紙を見せたらOKだった。更新手数料2950円。交通安全協会とかいうのにはもちろん加入しなかった。

     毎日テレビのことを書いてる気がするけど、今夜は「テレビ報道50年スペシャル、史上初!歴史を揺るがせた大ニュース…ランキング100」というのが面白そうだ。といっても、何か仕事でもしながらチラチラ見る程度で十分なモノだと思うけど。

  • 2003−12−25(木)の午後
     右足の脛のところに原因不明の水ぶくれのようなものができて、今日で4日目。年末年始になると医療関係が閉まってしまうのでその前にと思って、今日の午後、皮膚科の医院へ行って来た。僕は保険証が無いので、自費診療になってしまう。だからできれば一回で終わらせて欲しいと医師に頼んだら、苦笑しながらそうしてくれた。別に悪性のものではなく、たぶんコタツで低温火傷したんだろうと言われた。塗り薬と合わせて4900円。思ったより安く済んでホッとした。
     今夜は何も面白そうなテレビがないようだ。いい加減ちゃんと勉強しろということか??

  • 2003−12−26(金)の夜
     今日は新潟市まで遊びに行って来た。大学時代の友達がはるばる群馬から遊びにきてくれたので、新潟市で落ち合ったのである。旨い昼飯を食って、港のほうまで観光に行った。今年新しくできたビルの31階展望室に登って大喜び。やはり僕は高いところが大好きだ。
     新潟駅の西側連絡通路に、ホームレスの段ボール村ができていたのにビックリ。数年前までは全くなかったのに。日本が不況だという事実がハッキリと目に見えた。

  • 2003−12−27(土)の午後
     父がデジタルビデオカメラを買ってきたので、僕のパソコンにも繋いで遊ぼうとしたんだけど、最低でPentiumIII 500MHz必要とのことで、僕のPentium266MHzの愛機では逆立ちしたって無理なようだから諦めた。もうすぐ購入から丸5年になるこのパソコン、Windows98搭載・メモリは64M・HDDは4GBという、今では骨董品的な代物である。いつまで使い続けられるか楽しみなくらいだ。(研究室で使ってる学校のパソコンは更に古いんだ、そういえば!)

     ここ2週間くらいチビチビと読んでいた三島由紀夫『金閣寺』を読み終わった。なんとまあ恐ろしい名文。「どうしてそんな表現を思いつくんだ!」とガーンとくるような表現が一ページに一回くらいも出てきて、読むのに体力を使うほどだった。こういうのを読むと、自分はある程度文章が上手いと思ってたのがアホらしくなってくる。

     今夜はNHK総合で9:55から放送の「NHKスペシャルアンコール・『映像の世紀』第6〜7集」が楽しみ。昨日と一昨日の夜、同じシリーズの第4集と第5集を観て、とても面白かった。20世紀の大きな出来事の映像をまとめた番組で、松岡洋右の国際連盟脱退時の演説とか、ヒトラーの演説とか、写真では何度も見たことある場面も、音声付き動画で見るとやはり全然違うものだ。今夜はガンジーや毛沢東の映像も出るらしい。ガンジーの声ってどんななんだろう?ワクワク。

  • 2003−12−28(日)の午後
     今日は散髪に行って来た。普段アメリカでは14ドルのところに行ってるのだが、ここでは3800円。2倍以上する。でも技術は高いと思う。顔剃りと耳掃除までしてくれるし。

     日本とアメリカの生活を比べてどっちが好きかと訊かれることがあるけど、やはり両方にいいところがある。和食の味ではもちろん日本だけど、ステーキとかサンドイッチとかなら、アメリカで食べた方がずっと旨い。日本で新幹線に乗ると、その正確な運行と快適さに、「日本って凄いなー」と思うけど、運転免許の更新に行って、収入証紙とかいうわけ分からないもので料金を払わされたりすると、「日本って非合理的だなー」と呆れる。
     あと、外出中に便意を催したとき、日本の和式便所は非常に嬉しい。便器が汚れていたって、和式だったら抵抗なく使える。アメリカだとトイレはもちろん洋式なので、公衆便所で大便をするのは非常に抵抗ある。前に書いたことがあるけど、小便に使う人が便座を立てないままで立って小便するので、便座には他人の小便がよく付着している。そんなとこに座るのは気持ち悪い。その代わり、アメリカのトイレにはどこでもたいてい(99%以上)、手を拭く紙タオルや手を乾かすドライヤーが設置してあるので、ハンカチを持ち歩く必要がない。不精者の僕にはそれがとても嬉しい。
     そんな感じで、日本が勝ってる点もあるし、アメリカが勝ってる点もある。その中で僕が日本について最も嫌いなのは、タバコを吸う人が多いことと禁煙の場所が少ないことだ。アメリカだと、喫煙者は非常に少ないし、特に教育レベルの高い人には喫煙者は極めて稀だから、大学院のような社会で暮らしてると普段はタバコを見ることすらあまりない。それに公共の場所はどこでも禁煙だから、僕のようなタバコ嫌いには最高の生活環境である。
     今日は床屋で散髪してもらってるとき、順番待ちの客がタバコを吸い始めて、「あー、日本のここが嫌いだ」と思った。本当に心の底から嫌だ。

  • 2003−12−29(月)の夜
     今日は特急電車で北へ向かい、山形県酒田市を訪れた。民主党の前衆議院議員・齋藤淳さんにお会いしてきたのである。齋藤さんは政治家に転身する前はアメリカで政治学の大学院生をされていたので、その関係で面識があった。今日は年末のお忙しい中で時間を割いてもらい、4年ぶりの再会になった。
     酒田市内をいろいろ案内してもらい、酒田の旨いラーメンを食べながら日本政治の現状と未来について話し合った。僕が遠いアメリカから、片手間的に日本政治の現況を眺めているのと違い、実際の政治の世界に身を置く齋藤さんはさすがに視点が鋭く、熱い情熱がほとばしっていた。また、会話の途中にいろいろな数字がポンポンと出てくるのには舌を巻いた。
     刺激を受けるところが多く、とても有意義な1日になった。

  • 2003−12−30(火)の夜
     今日は小中学校時代の友達2人と、山形県方面へ遊びに行った。昨日行ったのはうちから北の方角だが、今日は東へ。はるばる山形市まで行って、そのへんの本屋に入って「旨いラーメン屋ガイド」みたいな本を立ち読みして、よさそうなラーメン屋の目星を付け、その店に食べに行った。けっこう旨かった。
     それから上山温泉に行って、「足湯」に入った。

     で、帰ってきた。出発から帰着まで7時間半くらいかかったけど、その間ずっと中学校時代の笑い話とかで盛り上がってた。楽しい1日だった。

  • 2003−12−31(水)の午後
     今日は大晦日。5年ぶりの日本での年越しになった。一年前はシアトル、その前はメキシコ、その前はワシントンDC、その前はミシガンで年を越したのだが、やはり新潟で家族と一緒にいるとノンビリして落ち着ける。
     今年の新潟は暖冬で、家の周りは全く雪がない。子供の頃は雪が多かったので、外で雪合戦したりとか、喜んで雪と遊んでいたものだけど、その頃が懐かしいなー。

     今年、2003年は、1年間に2つの授業を教え、それに莫大な時間を費やした年だった。去年までも自分で授業を教えていたけど、授業内容は教授が決め、テスト問題は教授が作り、そのクラスの最終的な責任は教授が負ってくれていた。それが、今年の2つのクラスは、教科書も進行予定も評価基準も、全て自分で決めて、完全に自分が「インストラクター」として授業を受け持った。それはもちろん大きな挑戦で、準備に非常に多くの時間を費やしたけど、学生たちからの評価もよかったし、まずまずうまく行ったと思う。講義の技術などで改善すべき課題も多く見つかったけど、でも自分のやったことに誇りを持てる。
     その代わり、自分の研究にはあまり時間を割けず、そっちでは遅れをとってしまった。当初は5年間で博士号を取るのを目標にしてたけど、その計画が破綻し、6年計画になってしまった。時間の使い方がやはりまずかったと思う。
     来年は、いよいよ博士論文に全力投球すべきときだ。ぜひとも来年12月までに博士号を取得したい。それが今のところの大きな目標。さて、来年の今頃、自分はどうなっているだろう!?
     では皆さん、よいお年を。


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