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留学記「大学院をミシガンで」

12月 < 2004年1月 > 2月


  • 2004−1−1(木)の夜
    【迎春】明けましておめでとうございます【頌春】
     青空も見える良い天気の元旦。新潟の冬は鉛色の空が基本なので、これはちょっと変な感じ。
     初詣は、いつものように近所の小さな神社へ。

     朝8時半くらいだったが、参拝客はほんの数人で、中学時代の同級生のお祖父さんに再会したりする、非常にローカルな感じの初詣。
     親戚の家に遊びに行ったり、さっそく水泳に行ったりした。明日はスキーに行く。

  • 2004−1−2(金)の夜
     父と2人でスキーへ。うちの近くのスキー場が雪不足で閉鎖中なこともあり、片道2時間かけて、山形県の蔵王に行った。今週3度目の山形県!
     蔵王は僕が最も好きなスキー場である。今日は悪天候で視界が悪かったけど、それ以外は最高。スキーは5年ぶりだったけど、けっこう思うように滑れた。スキーの楽しさを思いっきり満喫した。
     最近はスノーボードばかりが多くてスキーは少数派だと聞いてたけど、今日の蔵王では約半々くらいで、まだスキー派も多いんだなと安心した。僕は一生スキー派で通すだろう。

  • 2004−1−3(土)の夜
     昨日のスキーのせいで筋肉痛。ふくらはぎあたりには、普段使わない筋肉が多いようだ。
     再渡米に備えて、日本から持っていきたいモノをいろいろ買いに行ったりした。それにしても、日本の店やレストランでの、店員のマニュアル的対応にはいつもうんざりさせられる。アメリカにいると、とてもよい接客をされることも、ひどく失礼な接客をされることもあるが、僕にとっては、マニュアル的接客は何よりも嫌だ。言葉は丁寧でも、実は全然丁寧じゃない。人間にロボットの真似をさせてるようで、とても気持ち悪い。日本社会の危機だと思う。

  • 2004−1−5(月)の朝
     いよいよ実家を発つ日になった。旨いものを食いまくって、読書と水泳をしまくって、スキーにも行って、でも自分の研究はほぼ全く進まなかった。大学に戻って教授に会うのがちょっと怖い…。
     今夜は成田で泊まって、明日再渡米する。11日まで家族と一緒に小旅行して、それからミシガンに戻る予定。飛行機事故が起きたときのために、乗る予定の飛行機の便名を書いておきます。

    6日:全日空2、ユナイテッド5891、デルタ1526。
    7日:アメリカン1879、アメリカン1735。
    10日:アメリカン628、アメリカン1960。
    11日:ユナイテッド923、ユナイテッド5244。

     ミシガンに戻ったら旅行記を載せるのでお楽しみに(笑)。

  • 2004−1−12(月)の夕方
     昨日の夜、1ヶ月ぶりにミシガンに帰ってきた。雪が積もってるし、寒い。その前日まで常夏のジャマイカにいたので、急激な気候の差で風邪をひかないか心配。

     今日は、用事を足しにちょっと外出した以外はずっと寮にいて、荷物を片付けたり洗濯したり。今日から新学期が始まったのだが、今学期は授業を教えなくていいので、学期初めの感覚がない。授業を教えない代わりに、M准教授の研究の手伝い(リサーチ・アシスタント…略してRA)を週20時間することになっているのだが、仕事の打ち合わせをしようとメールしたら、「木曜まで忙しいので、金曜に会おう」と返事があった。だから今週はほとんどフリー!さっさと荷物を片付けて、早く自分の研究を再開しよう。

     学術雑誌に投稿してた論文が、不採用になったと連絡がきた。先輩との共著論文なのだが、2人ともガックリ。まあ、政治学の世界で最高峰といわれるジャーナルに高望みして送ったので、不採用になるのは驚くほどのことではないが、やはり残念ではある。次はもうちょっと下のレベルのジャーナルに投稿すべきなのかもしれない。

     ジャマイカの話はたぶん明日あたり…。

  • 2004−1−13(火)の昼
     家族旅行は、5日に新潟を出発し、その晩は成田でホテル泊。翌朝、飛行機でアメリカに向かった。ワシントンDCで入国手続きをし、その日はそれからアトランタ経由でニューオーリンズに向かうことになっていたのだが、アトランタ行きの便がなんと3時間も遅れた。だから乗り継ぎ便には間に合わなくなり、その次の便に振り替えてもらった。夕方にはニューオーリンズに着く予定だったのに、そのせいで夜になった。しかも、3つのスーツケースのうち1つが出てこなくて、もうさんざん。ホテル到着が遅くなったので、ジャズを聴きに行くのは中止し、とりあえず南部料理だけ食べに行って、その晩は寝た。
     その翌朝はなんと5時前に起床、飛行機でジャマイカへ向かった。ジャマイカでは3泊したのだが、北東部の小さな町、ポートアントニオの安宿に2泊、首都キングストンに1泊した。北西部の高級リゾート地には最初から興味なかった。海岸のリゾートであればグァムもサイパンもあるんだから、はるばるジャマイカまで来る意味がない。それに、ジャマイカの文化とかのほうに興味があったし。


    これがジャマイカの典型的な定食。ごはんには空豆が混ぜてある。Red Stripeというビールは、ちょっとクセがあるが、慣れたら旨かった。


    ジャマイカの名物料理・ジャークチキン。このまな板は木の切り株である。ジャークチキン発祥の地であり、今でも一番旨いモノが食えるというボストンベイという町で食べた。


    川を竹製いかだで下るツアー。原生林の中を下って行くので景色は最高。綺麗な野鳥もたくさん見た。途中に急流もなく、2時間もずっといかだに乗ってるだけなので、スリルもなくてちょっと退屈だなー、と初めは思ったが、そんなセカセカした考えじゃダメだと反省した。ノンビリといかだに揺られて景色を楽しむ心の余裕を持ちたいものだと思った。


    島の東部にあるReach Fallsという滝では、滝壷に入ることができる。ものすごい水量だった。

     南国ジャマイカの人々は非常に明るく、おおらかな感じだった。夜は2時くらいまで外からレゲエ音楽が聞こえてきた。田舎町ポートアントニオでは、町の真ん中にある時計塔の時計が止まってるし、人々が道を歩くスピードは非常に遅いし、時間がゆっくり流れてる国という印象を持った。

     ジャマイカから、マイアミ経由でワシントンDCに戻ったのだが、マイアミ空港での入国審査に時間がかかって、乗り継ぎ便を逃してしまった。しかし、次の便にうまく振り替えてもらえて、しかもファーストクラスに乗れた。席は広くてフカフカ、離陸前にまず水が出てくるし、食事ではサラダを食べ終わった後に肉が出てくるし、ビールもワインも飲み放題。何より、ファーストクラスは乗客が少ないので、サービスが行き届いていて、しかも速い。
     ワシントンDCで最後の1泊。翌朝は早起きして、ホワイトハウスやリンカーンメモリアルまで散歩した。空港で家族を見送った後、1人でミシガンに帰ってきた。下痢と疲労は持ち帰ったが、とても楽しかった。

  • 2004−1−14(水)の夜
     久しぶりのバスケ観戦。我がスパルタンズはひどい不調の真っ只中にいて、なんとここまで5勝7敗というふがいない成績になっている。格下のペンステートが相手で、しかもホームでの対戦なので、ここで勝って勢いに乗りたいところである。
     しかし僕は久しぶりだったので、いつもかぶってるアフロかつらを忘れて行ってしまった。嫌な予感がしたのだが、それは杞憂に終わった。試合開始直後から一気に差をつけ、終始リードを保ったまま、76−58で快勝。課題だったディフェンスとリバウンドにも回復の兆しが見えた。土曜日、宿敵のミシガンとの試合があるが、連勝して波に乗りたい。今年のBIG10はレベルが低いので、優勝の望みも十分にある。

  • 2004−1−15(木)の朝
     昨日の午後、研究室にいたら僕の指導教授がやってきて、1ヶ月ぶりの対面になった。

     教授「日本はどうだった?」
     僕「ええ、とてもよかったです。1年半ぶりの帰国だったので、家族と一緒に時間を過ごせてよかったです」(家族との時間、ということで論文が進んでないことを暗に示唆したつもり。このセリフは前から準備していた。)
     教授「そうか、それはよかった。で、論文のほうはどうなってる?」
     僕(いきなり核心に来るとは思ってなかった)「え…、あ…、はい、これからかなりスピードアップしないといけないです。」(とっさに思いついたセリフ)

     教授はそれ以上はつっこんでこなかった。そんなことだろうなと思ってたのかもしれない。あとは、不採用になった論文を次はどこに送るかとか、就職活動の話とかをした。博士論文は11月に完成して口頭試問する予定になった。さて、相当に頑張らないといかん…。

  • 2004−1−15(木)の夜
     今日は、こっちに戻ってきて初めて水泳に行った。調子は上々。日本滞在中に、父のビデオカメラで自分のフォームを録画してもらってチェックしたので、自分の泳ぎ方で直すべきところも分かった。

     4月にシカゴで開かれる中西部政治学会で発表することになってるのだが、それに参加する費用の補助が300ドルもらえることになった。くれるのは、うちの大学全体の大学院生組織であるCOGSという団体。基本的に毎学期先着順にもらえるお金(ただし1人1回限り)なので、月曜の朝一番に申し込みに行ったのである。日曜の夜に帰ってきてまだ疲れてたのに早起きしたかいがあった。前までは学部からも学会参加費の補助が貰えてたのだが、学部の苦しい財政状況を反映して、それはなくなってしまった。

  • 2004−1−16(金)の夜
     夜11時頃まで図書館でデータ探しをしてた。明日はバスケ観戦に行くので今日のうちに仕事を進めておこうと思って。
     去年の冬も寒かったが、今年も寒い!寮から研究室まで徒歩10分の道のりでも歩くのが苦痛になる。摂氏マイナス15度とかになるんだから、やってられない。僕の水泳道具はいつもクルマに積んであるのだが、シャンプーまで凍ってしまった。

  • 2004−1−17(土)の夜
     宿敵のミシガン大学とバスケで対戦。前半途中までは接戦だったが、後半はずっとリードを保ったまま快勝!
     寮に帰ってきて、シャノン・ブラウンの豪快なダンクをもう一度見ようと思って、録画しておいたビデオをみたら、そのすぐ後に自分が映ってた。

    (画面の一番下で拍手してるのが僕。一緒に観に行ってる友達は得点表示の陰になってしまってる・笑)

     これで7勝7敗、勝率5割を回復した。今日は試合内容もまずまずだったし、ようやくチームの歯車が回り始めた感じだ。この後、敵地での3連戦があるのだが、最悪でも2勝1敗で乗り切りたい。

  • 2004−1−18(日)の深夜
     明日はマーチン・ルーサー・キング記念日で大学の授業は全て休講。だからこの週末は3連休である。でも、僕は今学期は授業を取ってもいないし教えてもいないので、曜日の感覚がなく、平日も週末も変わらない。実際、明日が休みというのも一昨日あたりまで知らなかった(笑)。
     そんなわけで、週末の間も相変わらず研究室に篭っている。昨夜は2時まで、今夜は11時半まで。11月に博論完成という具体的な目標ができたし、RAの仕事も始まったので、することは山ほどある。

  • 2004−1−20(火)の深夜
     博士論文を進めなきゃいけないんだけど、でもジャーナルから却下された投稿論文を、今度は別のジャーナルに送る作業の方も早くやらなきゃならない。却下されたときにもらったコメントに添って論文を修正するつもりなのだが、ずっと前にコンピューターを20台とか使ってやった悪夢のデータ分析をまたやり直さねばならない感じになってきた…。そんなこんなで今夜は深夜1時半まで研究室篭り。

  • 2004−1−21(水)の夜
     曜日の感覚がない今学期、バスケだけが日々のメリハリという感じになってきた。今の時期は、週に2試合、火または水に1つと、土または日に1つある。
     今日はノースウエスタン大との対戦。敵地での試合なのでテレビ観戦。なんと今シーズンはまだ敵地での試合に1つも勝ってない我がスパルタンズだが、最近の好調の勢いをそのままに、73−61で快勝。エイガーが前半に3点シュートを6本も決め、前半はエイガーとヒルの得点だけでノースウエスタンの得点を上回るというとんでもない状態だった。これで、今シーズン初の3連勝!次のパデュー戦が今シーズンの大きなヤマになりそうだ。

  • 2004−1−23(金)の夜
     投稿論文のほうをまず片付けてからまた博士論文の仕事に戻ろうかと思ってたんだけど、昨日、指導教授に「博論の方も早くやらなきゃだめだ!」と怒られた。
     昨年10月にプロポーザルの口頭試問をやったときに、詳細をもっと詰めないとダメだと教授達に言われて、修正版のプロポーザルを書くように要求されてたのだが、その修正版はまだ完成していない。それを、「今月末までに書いて俺に渡せ」と指導教授に期限を決められた。あと一週間くらいしかない!彼の表情と口調が厳しかったので、素直に「はい」と答えたのだが、考えてみればけっこう大変だ。投稿論文のほうも、今月末に別のジャーナルに送ることを目標にしているので、並行して進めなければならない感じだ。RAの仕事もあるし…。
     その指導教授の研究室は僕の研究室より1つ上の階にあるのだが、彼はたまに(週一回くらい?)フラリと僕の部屋に来て仕事の進み方を尋ねてくる。最近は彼の訪問(足音でだいたい分かる)がけっこう怖いくらいになってきてるのだが、でも、そうやって気にかけてもらえるのはありがたいことだ。彼としても、たまに適度なプレッシャーを与えることが僕のためになると思ってるのだろう。
     書いたものを読んでくれと頼むといつも素早くコメントをくれるし、こんな先生に指導してもらえる僕は幸せ者だ。

     さてしかし、今月末までは必死で頑張らないと…。

  • 2004−1−24(土)の深夜
     今日は低調だった。「頑張らなきゃ」とか「頑張るぞ」と言うだけだったら誰にでもできるんだから、問題は実際に頑張れるかどうかだ。もっと集中力を高めて仕事しないとな〜〜。

  • 2004−1−25(日)の深夜
     今日はバスケの重要な一戦、パデュー大学との対決。両校ともに一敗で並んでいて、勝ったほうが首位グループに残れる。かなり気合いを入れてテレビ観戦していたが、延長までもつれた末に惜敗。大ショック。

     ここしばらく、恐ろしく寒い。僕がミシガンに来て以来もっとも寒い気がする。昨日の最低気温はなんと華氏マイナス16度(摂氏マイナス27度)!このサイトによると、この街の観測史上最低気温は華氏マイナス20度とのことだから、もう史上稀なほどの寒さだったことになる。
     寒いので、降った雪もなかなか消えない。雪や水たまりの中をもザクザク歩けるように、ゴム長靴を購入して($13)、愛用している。

     ゴム長靴をはいて雪と戯れて遊んだ子供時代が懐かしく思い出される。この長靴は周りの日本人にもアメリカ人にも大ウケ。

  • 2004−1−26(月)の夜
     書くのを忘れてたけど、先日ついに映画「ラスト・サムライ」を観に行った。
     期待してたのとはちょっと違ったけど、でも娯楽映画として観れば、けっこうよい映画だったと思う。戦闘シーンは大変に迫力あったし、いい演技といい場面がいくつもあって、もう1度観に行ってもいいくらいだ(たった$5.50だし)。特に、最初に侍が現れる場面は圧巻。
     でも、ハァ?と思う嫌な場面もいくつかあって、特に最後のあたりは興ざめの連続だったし、絶賛はできない。あくまで娯楽映画であって、深いテーマをしっかり描き出せてはいないと思ったし。まあ、日本の歴史を知らないアメリカ人のために、ある程度の単純化は必要だったんだろうけど。
     (…なーんて偉ぶったことを書いてるけど、普段の僕は、映画は単純に喜んで観るほうで、「タイタニック」とか「インディペンデンス・デイ」のような、一般には「単純過ぎる」と批判される映画でも喜んで観て単純に感動してるような人です。)

  • 2004−1−28(水)の夜
     昨夜は久しぶりに研究室で泊まってしまった。ひたすら博士論文のことを考えてたら朝4時くらいになって、それから雪の中を帰るのも面倒くさいと思って、そこで数時間仮眠。研究室同室のK君の机の上には何も荷物がないので、そこに横になった。
     朝になって、コーヒーとチョコレートで朝食。そのまままた博士論文のことを考えて、夜、34時間くらいぶりに寮に帰ってきた。

     で、テレビでバスケ観戦。敵地3連戦の最終戦となるミネソタ大学との試合で、ミネソタの怪物1年生・ハンフリーズをどう防ぐかが課題だったのだが、けっこういいようにやられてしまって、前半は一方的な展開になり、最大で23点差をつけられた。
     しかし、前半の終わり頃から我がスパルタンズは猛追を開始、後半の途中で同点に追いつき、さらにリードを奪った。
     最終盤にはまたリードを奪われたが、残り2秒で3点差を追う大ピンチから、エイガーが奇跡のブザービーター3点シュートを決め、延長戦に突入!
     延長でも、何度もヤバイところまで追い込まれたが、残り5秒で反則をもらったデイヴィスが落ち着いてフリースローを2本とも決めて逆転。そのまま79−78で逃げきり、奇跡の大逆転勝利!!!
     敵地でのこの勝利は非常に大きい。先日のパデュー戦が大変にショックな終わり方をしたので、その嫌な雰囲気を断ち切る意味でも、この1勝は絶対に必要だった。さて、次は首位を走るインディアナ大学との対戦…。


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