- 2004−2−1(日)の夕方
ここ数日は、ちょっと壮絶だった。
「1月中に」と教授に指示されたプロポーザルの改訂作業、やはりギリギリまでかかってしまい、木曜の夜は午前3時半まで研究室にいて、翌朝は午前11時に研究室に戻ってきて、それから夜中までずっと取り組んで、今週2度目の研究室泊まりになった。でも4〜5時間くらいは寝たのでまあよかった。朝になって、バナナとパンとコーヒーで朝食。それが昨日で、1月の最終日。夜のバスケの前に終わらせようと思ってたのにやはり終わらず、8時からバスケ観戦へ。
バスケは好調のインディアナ大との対戦で、かなり疲れてたけど、もちろん試合中はずっと立ちっぱなしで応援。いつもよりは声は出さなかったけど。
←テレビにチラリと映った僕。画面右上の緑と白の物体。
試合は、デイヴィスが一人で32点を叩き出す大爆発で、快勝した。非常にチームの状態がよくなってきてるので、この先も期待できる。
勝ったので意気揚揚と研究室に戻ってきた。深夜零時に日付は変わって1月は終わってしまったが、朝までに送ればいいだろうと思って、ひたすら考えて書いた。結局、午前4時44分に教授にメールで送信した。ふいー。
まあ、内容的にはまだまだ詰まってないところがあるけど、この一週間くらいでかなり捗ったのは事実だ。教授がどんなコメントをくれるのかは分からないけど、とりあえず捗ったということだけでも良かった。
寝ないで仕事するのはつらいけど、長期的な健康を害さない限りでは、無理して頑張ったほうがいいんだろう。っていうか、それでもしないとこの博士論文は終わりそうにない。
- 2004−2−3(火)の深夜
先週ずっと博論と投稿論文にかかりっきりになってたので、RA(リサーチ・アシスタント)の仕事がほったらかしになっていた。しかし、そのRAの仕事での上司である教授と明日ミーティングすることになったので、今夜は大急ぎでその仕事を進めて、結局研究室に2時までいた。まあけっこう捗ったのでよかった。統計ソフトのプログラムを書く仕事なのだが、博論の仕事とはまったく違った種類の仕事だから、気分転換にちょうどいい。しかし、今夜はなぜか腹痛がして、歯をくいしばって耐え、腹をさすりながらの仕事になった。何か変なものを食べたかな?そういえばちょっと古くなったバナナを4本くらいも食ったけど、それだろうか…?
- 2004−2−4(水)の夜
正露丸を飲んで寝たら、朝になったら腹痛は治ってた。
その正露丸、棚をゴソゴソ探したら出てきたものだが、まだ封を開けないままに使用期限が切れていた。2003年12月までということだったので、まだ大丈夫だろうと思って飲んだ。大丈夫だったらしい。
教授とのミーティングは午後3時で、午前中からプログラミングの続きをやってたら、ちょうど間に合って完成した。仮分析の結果を持って行ったら喜ばれた。結果も面白いとのことで、更にこのプロジェクトを継続することになった。この先はベイズ統計を使う必要があるので、去年の夏にセントルイスで習ったときのノートを引っ張り出して復習しなきゃいかん…。
で、今夜はバスケ観戦へ。アイオワ大学を迎えての試合で、終始リードを保ったまま快勝した。退屈なくらいの安定した試合ぶり。ここ7試合で6勝という絶好調で、いよいよBIGTEN優勝が現実的になってきた。
- 2004−2−6(金)の夜
今朝は、大学院の後輩を空港へ送って行くためになんと5時半起床。空港からの帰り道、寮に帰って寝たい気持ちをなんとか抑え込んで、研究室へ行った。けっこう捗ったのでよかった。今日は長い1日だった。疲れた…。
- 2004−2−8(日)の夜
昨日はバスケのオハイオステート戦をテレビ観戦。非常に勢いに乗ってるスパルタンズは昨日も好調で、なんとFG率73.3%という記録的なシュート成功率で得点を重ね、84−70で快勝。例年のスパルタンズは強固なディフェンスと堅実なリバウンドが特徴だったのだが、今年は非常に攻撃的なチームになってきている。
これでMSUは2敗を堅持し、唯一の1敗だったウィスコンシンがノースウエスタンに破れたため2敗で両校が並んだのだが、うちのほうが試合数が1つ多いので、半ゲーム差でついにうちが首位に立った。次のイリノイ戦がまた大きな一戦になる。
今日は、研究室近くのコンピューター室で8台のマシンを使って統計分析を走らせた。2年くらい前に24台使ってやった分析の修正版なのだが、今回は当時よりも結果が速くでるので、そんなに多く使う必要がなくなったのである。たぶんこの2年の間にコンピューターが入れ替えられて速くなったんだろう。よかったよかった。分析結果もいい感じ。
- 2004−2−9(月)の深夜
夕方水泳へ。水泳にいつも行ってると、常連同士で顔見知りになったりするのだが、そうやって話すようになった人と今日は水泳の後で夕飯を食べに行った。けっこういい年のおじさんで、近くの中学校の先生だそうだ。
明日はバスケの重要な一戦、イリノイ大との試合がある。敵地での試合で、イリノイは本拠地で非常に強いので苦しい試合になりそう。昨年はイリノイでなんと40−70という大差で負けたので、今年はなんとか雪辱を期したい。これに勝てば、3年ぶりのBIGTEN優勝がかなり近づく。
その試合は明日夜9時から。大学院の仲間でスポーツバーに行って飲みながら観戦する予定。アフロかつらも被っていこうかな?
- 2004−2−11(水)の朝
昨夜はスポーツバーに行って、大学院の仲間5人(全部男というのが悲しい)でバスケ観戦。しかし、まったくいいところなく、51−75で完敗。イリノイはいいディフェンスをしたし、うちはザルのようなディフェンスをした。わずか3日で首位陥落。あーあ。
投稿論文の方は仕上げの作業に入ってる。今週末くらいには完成させて送ってしまいたい。早く博論の仕事も進めないといけないし…。
- 2004−2−12(木)の深夜
夜中の12時頃、どうも分析結果がよくなくて、頭をかきむしったりしてウンウン唸ってたんだけど、とりあえず帰ろうと思って、防寒着を着込んで家路についた。でも、200mくらい歩いたところで1つアイデアが浮かんだ。その場に立ち止まって、研究室に戻って試してみようか、それとも寮に帰って寝て明日やろうかと考えた。数秒間の逡巡の末、研究室に戻った。関連文献をパラパラ読んで、データのコーディングをして、コマンドを書いて、分析を走らせ始めるまで、約1時間半。分析はパソコンを夜通し走らせておくことにして、寮に帰ってきた。朝までには結果がでてるだろう。
寮に帰ってきて、本当はすぐに寝たかったんだけど、トイレ+シャワー+洗面台を共用してる隣人がシャワー中だったので、歯を磨くことができず、こうして日記の更新をしながら待っている。いま午前2時すぎ。隣人はどうもおかしな生活リズムをしてるらしく、ちょっと前に、午前4時半にシャワーを浴びてた。そのとき僕はもちろん寝てたのだが、その音で目が覚めてしまい、非常に憤慨した。でも文句を言いに行くのも億劫なので、今のところ我慢している。
- 2004−2−13(金)の深夜
今日は分析結果がどうなってるかドキドキしながら研究室に行ったのだが、夜通しかけて行った分析結果が、やはり思わしくないモノで、ガッカリ。ん〜、何が悪いんだろう?
それにしても、この投稿論文もいい加減にそろそろ片付けてしまわないと…。当初は1月中に完成して再投稿する予定だったのが、もう2月も半分だ。。
- 2004−2−14(土)の深夜
バスケ、今日はミネソタ大を迎えての試合。ミネソタのクリス・ハンフリーズは、一年生ながら得点とリバウンドで現在BigTen1位を独走する怪物。近い将来プロ入りするだろう。
今日の試合、うちは内容は悪かったが、最後は69-58で勝った。シーズン終盤の今の時期になると、全ての試合が非常に重要な、「サバイバル」という感じになってくる。勝つはずの試合を取りこぼすことは許されない。BigTenでは、ウィスコンシンが2敗、うちとイリノイが3敗、他は全部5敗以上ということで、優勝争いはほぼ3校に絞られた。来週のイリノイ対ウィスコンシンの一戦が非常に重要である。残りスケジュール的には、うちが一番楽である。3年ぶりのBigTen優勝に向けて、頑張れスパルタンズ!!
- 2004−2−15(日)の深夜
日曜日の今日も、午前11時から深夜零時半まで研究室にいた。でもどうも集中力が低く、しかも眠くなって居眠りしたりとかで、なかなか仕事も進まず。
「1月末までに」と教授に言われて必死で書いたモノについて、やっと今日になって教授からコメントをもらった。Eメールで手短に「GOOD」だと言われ、他の教授たち(僕の博論審査委員は他に4人いる)にも送れとの指示。彼はいつも忙しい人だが、最近は特に忙しいらしい。普段はすぐくれるコメントが、今回は半月もかかった。
- 2004−2−16(月)の深夜
うちの政治学科の先輩で今年度就職活動をしていた4人が、全て就職決定したそうだ。ちなみに全員アメリカ人。今年はそんなに高レベルな大学には誰も決まらなかったが、それでも全員が就職決定というのは素晴らしいことだ。
僕も博士論文を進めつつ、その先のことも考えねばならない。僕は日本でもアメリカでも、雇ってくれる大学があったらどこへでも行くつもり。もちろん、研究環境がよくて、目の輝いた学生を指導できる大学に勤められたら最高だけど、この就職難の中で、しかも業績もないのに、選り好みをできる立場じゃないのは分かっている。とりあえずは就職することが何より大事だ。
先月あたりから、定期的に求人情報を見るようにしているのだが(インターネットで調べられる)、昨日、某南部の州立大学で、僕の専攻分野に合ってて、しかも「博士論文が終わってなくてもいい」という条件の募集があるのをみつけた。今年の秋学期からのポスト。
かなり興味を持ったのだが、指導教授に相談したら、「やめとけ」と言われた。博論が終わってなくても、と書いてあっても、それはほとんど終わった人のことを指してるんだから、僕のようにまだ取りかかりの段階の人は無理だろうとのこと。それに、博論がたいして進んでもいない僕について良い推薦状を書くのも難しいから、とも。なるほど。
ちゃんと就職するためには、今やってる投稿論文をなんとかジャーナルに載せ、博士論文をちゃんと進めることが必要だ。頑張ろう。今日は投稿論文のほうがけっこう捗ったし、夕方水泳に行ってガシガシ泳いできたので、いい気分。
- 2004−2−17(火)の深夜
パデューを撃破!!
今日の相手はパデュー大学。先月敵地で破れてる相手で、難敵である。BigTen優勝戦線に留まるためには、この関門を突破しなきゃいけない。
この重要な一戦に、僕も気合いを入れて久しぶりに顔ペイントした。

試合は、こっちが基本的にリードし続けながら、どうしても差を広げられない展開。残り20秒ほどで僅か3点差という、ハラハラする接戦になった。
そんなとき、僕がテレビに映った。

タイムアウトの間に、応援歌に合わせて拍手をしながら真剣に祈ってたときの僕の姿が、約2秒間、全米に中継された。
この、僕が祈ってたときのフリースローが見事に決まって、62−55で逃げ切りに成功した。今日も「サバイバル」に成功し、さあ、残り4試合。
- 2004−2−19(木)の深夜【45万アクセス到達しました】
今日は、車で1時間ちょっとのとこにある、ミシガン大学(Univ of Michigan)に行って来た。博論のための資料集めで、うちの図書館にないモノをコピーするため。図書館間貸借サービスを使ってもいいんだけど、本棚のあたりをブラブラ歩いて面白そうな本を見つける楽しみもあるし、なにより、毎日毎日ずっと研究室にいる単調な日々に、たまに変化をつけたほうがいいかと思って。
欲しかった資料は全部は揃わなかったけど、まあまあの収穫はあった。また明日からは単調な日々(明後日はバスケ)。
- 2004−2−21(土)の午前中
投稿論文の作業が仕上げ段階に入っていて、昨夜は午前2時半まで研究室で論文書き。
パーティー大学として知られているMSUのことであるから、金曜の昨夜はキャンパス内外のあちこちで学生たちは盛り上がっていたことだろう。以前は、金曜の夜に研究室に篭ってる自分の状況を虚しく思ったりとか、逆に「自分って頑張ってるなー」なんていう俗物的満足感にチラリと浸ったりしたものだけど、今はもうそれが当たり前になってしまって、もはや何も感じなくなった。
週に1回は休みの日を作ったほうが、能率がよくなって結局は仕事が捗る・・・という話も聞くけど、それを実行してみようとする勇気がない。
- 2004−2−21(土)の深夜
バスケ、今日はノースウエスタン大学を迎えての対戦。今日は顔ペイントはやめておいたが、アフロかつらはやはり被っていった。前半はイマイチだったが、後半は徐々に差を広げ、順当勝ち。
残り3試合。BigTen優勝レースは、今のところ、うち・ウィスコンシン・イリノイの3校が3敗で並んでいる。試合数が一番多いうちが一応首位になってるが、残りスケジュールが一番楽なのはイリノイであり、優勝に一番近いと言える。うちとウィスコンシンは直接対決を残しているので、それが大一番になる。まあ、残り3試合全勝すれば、少なくとも同率優勝(英語で"co-champion"という。1校だけで優勝すると"outright champion"になる)は確定するのだから、とにかく一戦一戦を確実に勝っていくのみである。ここ2試合はディフェンスがけっこう機能してるので、いい傾向だ。次は火曜日。
今夜は大学院の後輩がアパートで小さな飲み会をするというので、行った。僕を含めて9人集まって、スポーツの話とか食べ物の話とかアパートの話とか生命保険の話とか学部の秘書の話とか移民政策の話とかイギリスの議会の話とかシャワーカーテンの話とか食肉の解体の話とか年金の話とかいろいろ、ビールを飲みながらグダグダ話した。昔は、アメリカ人だけが集まってるところでは、みんなの話してる内容が聞き取れず、全く会話についていけなかったものだが、最近は話題によってはなんとかついていけるようになった(テレビ番組とか有名人の話題になるとまったく理解不能になるが)。話が理解できずに楽しくなくても、そういう場所にはなるべく参加するようにしてたお陰だろう。ちょっと冗談を言ってみんなを笑わせたりすると、心の中でガッツポーズ。
- 2004−2−23(月)の夜
大学のアジア研究センター主催の特別セミナーに出席してきた。去年博士号を取ったばかりだという若い女性研究者による研究発表で、「日本の低下する出生率と景気づく性産業」というタイトル。大きな教室でのレクチャーかと思って行ったら、会場は会議室のようなところで、聞きに来たのは7人だけ。内容は、日本で出生率が低下してるとか、性風俗産業が多様化してるとか、去年の「スーフリ」事件のこととか、政治家の問題発言のこととか。
こういう、「海外事情紹介」的な研究発表は、僕がやってる種の政治学では絶対にあり得ないわけだが、この人は歴史学専攻だそうで、分野が違えばこういうこともありなのかな、と思って聞いていた。
興味深かったのは、日本が減少する労働力を補って現在の経済システムを維持するためには、年間60万人の移民を受け入れる必要がある、と国連が推定しているのだそうだ。60万人とは凄い数だ。
セミナー終了後に講師の人とちょっと話す機会があったので、「政党は票を失うのが怖くて、移民受け入れ政策を言い出すことがなかなかできないだろう」と僕の見通しを話したら、彼女は不同意で、政治家が古い体質を持ってるのに対して、日本の一般国民はもっと開明的だから、移民受け入れ政策はそんなに選挙で不利にはならないと思う、と。彼女が日本で会った人々はみんな進歩的な考えを持っていたし、日本が「単一民族社会」の夢想を捨てて「いろんな文化が混じり合う社会」になることは十分に可能だろう、とのこと。結局は、僕は日本の農村部出身、彼女が滞在してたのは日本の都市部、その差で認識が異なるんだろう、という話になった。
詳しいことはよく分からないが、本当に移民を受け入れないと経済システムを維持できないのだとすると、日本が移民社会になるのは必然の道なんだろう。僕はヨーロッパに行ったことはないけど、「ロンドンのバス運転手はたいていターバンを巻いている」とか言われるように、アジア・アフリカからヨーロッパへの移民はかなりの数いるそうだ。アメリカは昔から移民社会だけど、どの先進国もそうなっていく運命なんだろうか?
数号前のThe Economist誌に、移民を社会に受け入れるにあたって、イギリスとフランスは全く違うアプローチを取っている、という記事があって、面白く読んだ。どの国でも、新しく入ってくる移民と、受け入れ側の社会との関係は難しい問題に違いない。下手をすると両者の間で衝突が起きたり、移民排斥を掲げる政党が勢力を伸ばすような現象が起きる。日本の場合どうなるか…?
僕の場合、自分がもしかしてアメリカで就職してアメリカに住むことになるかも、と考えると、アジア諸国から日本で働きたいという人がたくさん集まってくることは普通に理解できる。しかし僕自身、初めてアメリカに来たとき、いろいろな場所で英語とスペイン語が併記されてるのを見て、「日本でこんな感じに日本語と中国語が併記されるようになったら嫌だなー」と思ったものだ(6年半前のこと)。
たぶん僕も含めて、多くの日本人の心の中にはやはり、「単一民族社会」の夢にしがみ付きたい思いはあるんだろう。それがアナクロだと理屈で分かっても、心情的なレベルで。
それは、幕末から明治初め頃にあった、「攘夷」とか「士族の心意気を保持する」とかいう感情に似てるのかもしれない。刀とか髷とか、武士の誇りとかそういうものへの愛着と、逆らえない時代の変化との板挟みの間で、後ろ髪を引かれつつ当時の日本社会は変化を遂げたのだと思うが、さて今回は日本社会はどう反応するんだろうか。
The Economist誌は去年の8月7日号での論説の中で、イギリスでの増加する移民はイギリスの経済によい影響を与えてると論じ、最後に、"And, economics aside, foreigners make the place infinitely more fun"(経済のことは別にして、外人はその場所を無限にもっと面白くする)と締めくくった。僕はこの一文に衝撃を受けた。そう言ってしまえるってすごいことだ。
そうなれば素晴らしい。僕の故郷の新潟で近い将来、日本人家庭とそのお隣の中国人家庭が互いに食事に招待しあったりして楽しく交流する姿は、今の僕には想像つきにくいが、さて…?
- 2004−2−24(火)の午後
今年も、税金関係の手続きをしなきゃいけない時期がやってきた。これまでは毎年、留学生向けのお助けサービスを利用してたのだが、(1)去年からそれが有料になった、(2)去年の書類を見本にしてやれば自分でできそうな気がした、の2つの理由から、今年は自分でやってみることにした。自分の税金がどうやって計算されてるのかにも興味あったし。
アメリカに住む外国人は、居住者・非居住者の2つのグループに分けられて、それぞれ税金の仕組みも違う。僕の場合は、97年に初めて留学生ビザで渡米したので、2002年からは居住者という扱いになっている。だから税金関係の書類もそれ以前よりはけっこう簡素になっている。
結局3時間半もかかってしまったが、一応書類は完成した。間違いがないかどうかは分からないけど、たぶん大丈夫な気がする。
【まとめ】2003年の僕の収入(大学からの給料と銀行からの利子)は、12822ドル。
・連邦の税は、そこから種々の控除が引かれて、5022ドルが課税所得ということになり、税率は10%で、503ドルが僕が連邦政府に支払うお金。
・州の税は、9722ドルが課税所得になり、税率4%だから389ドル。
合計すると、総所得のうち約7%、約10万円を連邦または州に納付するということだ。これは、高いのだろうか安いのだろうか??
- 2004−2−24(火)の深夜
劇的逆転勝ち!!
BigTen優勝への大きな関門となる、敵地でのミシガン大学戦。去年は惜敗したカードであり、宿敵同士でもあり、どうしても負けられない一戦だった。
しかし、前半はどうもピリッとせず、リバウンド取られまくり。8点差をつけられて折り返した。
後半に入って、なんとか逆転して欲しいと願いながら観戦していたが、どうしても差は縮まらない。残り11分、敵の3点シュートが決まって12点差になった。
喜びに沸くミシガンのベンチ。
もうダメなのか…、と僕は思った。ここで負けると、BigTen優勝はかなり遠ざかる。
しかし、その直後からスパルタンズの猛追が始まった。この後の約4分間、ミシガンが3点取る間になんと13点を入れた。
3点シュートを決めた後の、鬼気迫るブラウンの表情。
3点シュートを決めて、吠えるトーバート。
この後は互角の攻防が続き、残り3分23秒、アンダーソンのレイアップでついに逆転に成功、63−61。

そして、残り41秒で、ヒルの会心の3点シュートが決まった!

これで5点差。僕はもう涙を流さんばかりで、寮の狭い自室の中で、立ったり座ったり叫んだりしていた。結局、これで試合は決まった。
この劇的勝利で、3敗キープ&首位堅持。次のペンステート戦は順当に勝つとして、最終戦のウィスコンシン戦が、ついに天王山になる。もうゴールは目前だ!!
- 2004−2−27(金)の午前中
オウム麻原教祖に死刑判決。実はつい最近、大学院の同僚に、「あの、日本で地下鉄に毒ガスを撒いた、ヒゲの教祖は今どうしてるんだ?」と訊かれたことがあった。まだ裁判やってるよ、と答えたら非常に驚いて、「なんでそんなに時間かかるんだ?これがヒューストン(テキサス州)だったらとっくに死刑執行されてるぞ」と言ってて、その言い方が僕にはとても面白かった。テキサス州は非常に死刑が多い州であるし、また、このへんの中西部では、アメリカの中の異質の場所を表すときに「テキサス」という固有名詞が使われることがあるようだ。
ちなみに、ミシガン州には死刑はないが、最近その見直し(死刑復活)の動きもあるようだ。
実は僕は麻原裁判に行ったことがある。99年にミシガンに来る前、「渡米前に日本でやっておきたいこと」リストを作って実行していたのだが、麻原を見ることはその1つだった。
当時は何千人も傍聴券を求めて並ぶという時期ではなかったが、それでも倍率は2倍程度で、4回行ってやっと入ることができた。
これがその傍聴券
その日の麻原は、奇声をあげることもなく、おとなしくうつむいて座ってた。その日は元弟子が証人で来ていて、事件についての詳細を話していた。そのうち僕は退屈になって、居眠りしそうになった。昼休みの休憩になって、そのまま午後の部には戻らなかった。でもまあ、裁判を見たことも麻原を見たことも、いい経験になったと思う。
- 2004−2−28(土)の午後
バスケ、今日はペンステートと対戦。まったく相手にせず、25点差で圧勝。これで今季初の5連勝。シーズン前半のBigTen外の対戦では5勝6敗と負け越したチームが、BigTen公式戦が始まってからは12勝3敗という絶好調で、1月上旬を境に全く別のチームとして蘇った感じである。
火曜日に、BigTen公式戦の最終戦となるウィスコンシンとの決戦がある。これに勝つか、またはイリノイが残り2試合のうちどちらかに負けると、スパルタンズの3年ぶりBigTen優勝が決まる。でもイリノイは負けそうにないので、うちはウィスコンシンをなんとか破りたい。ウィスコンシンは強敵だが、こっちの本拠地での対戦だから、勝機は十分にあるはずだ。