- 2004−4−1(木)の朝
昨日、大学院の同僚2人と一緒に昼飯を食べに行った。ピザを注文して待ってたら、1人のウェートレスが客席のほうに出てきて、大声で、「誰か、タダのアイスクリーム欲しい〜〜?」と言った。最初「ハァ?」と思ったが、本当にもらえるようなので、手を上げた。
注文を間違えて盛りつけてしまったから、とのことだった。食事の前にデザートというのも変な話だが、せっかくタダでもらえるんだからと思って、喜んでそのアイスクリームを食べた。
アイスを食べ終わらないうちにピザも出てきて、アイスが融けるのもピザが冷めるのも嫌なので、並行して食べた。口の中が熱くなったり冷たくなったりして大変だった。
途中で様子を見にきたウェートレスさんが、僕らの食べかけのピザを見て、底のあたりがうまく焼けてないわね、と言って深刻な顔をした。僕らは文句を言ってないし、味も良かったのだが、なんとピザをタダにしてくれた!
結局僕らは、飲み物だけの料金でピザを食べ、さらに僕はアイスまでタダで食べることになった!店を出るとき、ウェートレスさんが「また来てね」と言ったので、「もちろんまた来る!」と言った。
しかし、食べ過ぎだったのか食べ合わせが悪かったのか、午後ずっと腹の調子が悪くて大変だった。どうしてもダルいので研究室の床に簡易マットを敷いて昼寝したりとかした。タダの食事が高くついたということか…?
- 2004−4−1(木)の深夜
忙しくなるとおろそかになることの1つがヒゲの手入れである。普段は1週間に1回を目安にしてるのだが、最近どうもバタバタしてて、自己新記録くらいの長さにまで伸びていた。手入れといっても、電動のヒゲ刈り機を使うので10分もかからない作業なのだが、不精者の僕のこと、それがなかなかできない。
で、今日やっとヒゲの手入れをした。それまでけっこう伸びてたので、手入れの前と後で写真を撮ってみた。
ほら、かなり違うでしょ?
こんな写真を撮ってる余裕があるならさっさと論文を書けとお思いですか?はい、その通りです…。
- 2004−4−2(金)の夜
学会発表論文のデータ分析にひたすら取り組んでいる。STATAのDOファイルの長さが700行とかになってしまって、「ちょっとこれは長すぎるな〜」と自分でも思ってたのだが、とうとう「これ以上長くはできない」というエラーメッセージが出てしまった。これは僕も初めて。
なんとかあと数日で完成させたい。今夜は早めに寝てゆっくり休んで、明日の朝は「分析を終わらせるまでは帰ってこない」くらいのつもりで研究室に向かう予定。
- 2004−4−5(月)の夜
分析はまだ終わってない。でも、実はちょっと余裕ができた。僕が発表するセッションの代表者にメールして、当日のフォーマットについて質問したら、今日届いた返事のメールで「ペーパーは来週の水曜までに送ってくれればいい」と言われたのである。フーッと一安心。
土曜の夜は研究室に泊まって、日曜はずっと一日中建物から一歩も出ないでひたすら作業していた。今朝の4時頃、一旦寮に帰って寝て、今日は昼前からまた研究室に行った。ちょっと時間の余裕もできたことだし、データの一部をもっと精度の高いデータに入れ替えようかと思う。手間はけっこうかかるだろうけど、この論文は博士論文のコアの部分になるので、妥協はしたくない。
- 2004−4−7(水)の深夜
昨日は夕方から深夜まで6時間くらいぶっ続けで図書館でデータ入力作業をしていた。途中かなり疲れて眠くなったけど、一気に終わらせたほうが気分がいいと思ってなんとか終わらせた。作業が終わったときは自然にガッツポーズがでた。
国際機関が出版してる統計年鑑とかは、説明書きが英・仏・西の3ヶ国語で記載してあったりすることがあるが、昨日僕が見てたやつでは、表の国名表記がフランス語のみで書いてあったりした。イタリアがItalie、スイスがSuisseとかは全然いいんだけど、Pays-Basという国が出てきたときには全く見当もつかなかった。表紙のすぐ後に載ってる国名対照表をみてオランダだと分かったけど、これには降参。あと、レバノンはフランス語ではLibanになるそうだ。まるで別の国みたい。
あー、とにかく早くこの論文を終わらせて一息つきたい…。
- 2004−4−10(土)の午前中
今までに書いたどの論文よりも難産している。一昨日は朝4時まで、昨日は零時頃まで研究室に篭ってた。でも、ついにデータ分析が終了。これから本文の執筆に入るが、博論プロポーザルから多くを使いまわせるので、そんなに大変ではないだろう。月曜あたりには完成させたいものだ。今日の午後は大学の日本人会主催のドッジボール会があるとのことで、非常に行きたかったのだが、それはさすがに無理そうだなぁ…。
- 2004−4−11(日)の昼過ぎ
イラクの日本人人質事件をうけて自民党の額賀政調会長が講演で、海外危険地域について現在は「退避勧告」を出すまでしかできないのを、「強制的渡航禁止」できるようにする法改正を検討したいと発言したそうだ(リンク)。
僕はそれには反対だ。命を懸けてでも何かしたいという人には、自己責任においてそれをする自由があると思う。その行動が他人に被害を及ぼすようなものでない限り、国が規制するのは筋が違う。例えば10数年前に、風船で空に浮かんで太平洋を越えようとして飛び立ってそのまま行方不明になった人がいたけど、それがどんなに無謀なことでも、大人が自分の判断でする限りにおいて、それは本人の自由だと考える。
ただし、海外危険地帯については、その風船おじさんの話ほど単純ではない。犯罪組織に金銭を奪われればその金が新たな犯罪を呼ぶわけだし、「日本人はいいカモだ」と思わせてしまったら、後からその場所を訪れる日本人に迷惑をかけてしまう。でも、政府が一律に渡航を禁止するのは方向が違うと思う。
禁止はしない、だけど危険情報はできる限り提供する、他人に迷惑をかけないようにして、後は自己責任で行ってきて、というのが政府のあるべき姿勢だと僕は考える。これはつまり、国民を子供扱いしないということ(そういえば、これは小沢一郎『日本改造計画』冒頭にでてくるグランドキャニオンの話と似てる)。
で、大人扱いされる国民は、本当に自己責任の心構えを持って行動しなきゃいけない。子供を大人としては扱えないから。「退避勧告」を無視してでもそこに行きたい理由があるなら、それによって起きた結果について国は責任を負う必要はないし、本人も事件の際に国に救けて欲しいとか思っちゃいけないと思う。(まあ、国は救出のための努力はするべきだと思うが。)
国民が自立した大人の態度を取れないなら、結局は国民自らが政府による子供扱いを招いてしまうわけだ。国民の程度が低かったら、その国民の支持によって存在している政府は、政権の延命のために国民のレベルに迎合するはめになるから。上記の「強制的渡航禁止」論が出てくるのは、つまりそういうことだろう。
…この多忙中に掲示板で議論になるのは避けたいので、この件については書かないでおこうかと思ってたんだけど、ついつい書いてしまった(笑)。御意見のある方はメールで下さい。
- 2004−4−12(月)の夜
どこだったかのウェブサイトで読んで「なるほど!」と思った話。北朝鮮に拉致された日本人については冷淡な態度をとってた知識人やコメンテーター達が、けっこう今回の問題では「救出最優先」「人命尊重」と叫んでいる、と。確かにその傾向が強いと思う。つまり、彼らにとってはイデオロギーに基づいた主張がまず先にあって、それに合致する限りにおいて「人命」とかの主張を行ってるわけだ。
ということは、例えば右翼団体の人が尖閣諸島のあたりに行ってて、そこに侵入してきた中国の船に拉致されて行ったとしたら、そういう人々はきっと「自業自得」とか言うんだろう。その絵は非常に想像できる。いわゆる「進歩的知識人」たちの支離滅裂さは今に始まったことじゃないけど、本当にアホらしい。
- 2004−4−13(火)の深夜
学会へ出発する前夜になった。昨日の午後になってから分析に大きな欠陥があるのを発見し、それから大慌てで分析をやり直し、時間をかけて作った表も作りなおし、本文の説明も大幅に書き替え、というドタバタになった。一応今夜になって一通り完成したけど、突貫作業がバレバレの出来になった。
明日は、同期入学の同僚で、何度もここに登場した韓国人のW君が博士論文の口頭試問を行う。その後、彼と一緒に僕のクルマでシカゴへ向かう。シカゴではちょっとリラックスしたいものだ。
- 2004−4−18(日)の深夜
4泊のシカゴ滞在を終えて帰ってきた。往復の運転は疲れたけど、とても楽しかった。毎日毎日飲んだし、チャイナタウンに2回、コリアンタウンに2回行ったし、シカゴ風の厚いピザも当然食べたし、日系の大きなスーパーマーケットに行っていろいろ買い物してきたし、もう最高。うちの卒業生で今は他の大学で教えてる人たちとか、去年の夏にセントルイスで一緒だった友達とかと、久しぶりに会って飲んで話すことができて、とてもよかった。学会出席の第一の目的はなんといってもこれだ。初めて学会に行った頃は、ロビーを見渡しても誰も知ってる人がいなくて心細い思いをしたものだけど、今は知ってる人も多くなって、学会がとても楽しい。
自分の論文の発表も、まあ普通にできた。ある程度いい感触だった。
- 2004−4−20(火)の夜
ここから一時間ちょっとのところにある某大学の政治学部が、来年度一年間の客員講師を募集している。条件がけっこういいので、指導教授と話しあって、申し込んでみることにした。それを決めたのが昨夜。今日からその学部では応募者の書類審査を始めるとのことで、指導教授に「審査開始初日に書類を出してたほうがいい」と言われ、昨夜は夜通しで応募書類を作り(朝6時半に完成)、今日は午後から自分で車を運転してその大学まで書類を届けに行った。郵便だと今日中には届かないから。
「車で直接訪問する」という旨は昨夜のうちにメールで先方に伝えたおいたのだが、それがうまくいった。学部事務室に顔を出したら、秘書の人が「あー、あなたがMSUの人ね。C教授が会いたいと言ってたわよ」と、さっそく一人の教授の研究室に連れて行ってくれて、いきなり非公式面接(というほどのものではないかもしれないけど)になった。そんなこともあろうかと、ちょっと綺麗めの服装をしていって成功。話したのはほんの5分くらいだったが、アピールすべき点をけっこううまく押し出せたと思う。
これから書類審査をやって、それで残った人たちに電話面接が行われるそうだ。さあ、どうなることか…。
- 2004−4−22(木)の夜
応募した大学からは全く音沙汰無し。急いで選考すると言ってたし、明日が金曜だから、明日連絡なかったらかなり望み薄な気がする。まあ、こっちは待つだけなので気は楽だ。ダメならダメで、今後の就職活動の予行練習だった、くらいに思えばいいさ。
- 2004−4−25(日)の午前中
応募した大学からは連絡がないので、たぶんダメだったんだろう。まあ、明日あたり連絡がくるかもしれないけど、期待しないで待とう。初めからダメモトくらいのつもりだったんだし。
今回日本では学生ビザの更新をしなきゃいけない。今は学生ビザの申請には基本的に面接が義務付けられているが、僕のように、前のビザの有効期限が切れてから12ヶ月経ってない場合に同種のビザに更新する人には面接は不要らしい。日本に29日に着いて、30日に申請料を振り込んだりして、郵便で書類を米大使館に送る予定。
必要な書類を揃えたりしてるのだが、5年前に学生ビザを申請したときに比べてかなり記入する書類が増えている。卒業した中学校や高校の電話番号なんてまさか必要になるとは思わなかった。あと、「武器や爆発物の取り扱いに習熟していますか」なんて質問とか。してないっす。
「ナチス・ドイツによる迫害や虐殺に参加したことがありますか」というのは前からあった質問だけど、これを同僚のアメリカ人たちに見せてまわったらみんなウケまくってた。アメリカ人には爆笑モノだけど、アメリカにいる留学生は全員1度はこの書類に記入しているんだなー、そういえば。
- 2004−4−26(月)の午前中
一時帰国の日が迫ってきて、猛烈に忙しくなってきた。論文を進めることと並行して、様々な事務的事項(ビザのこととか)を処理しなきゃならず、さらに荷物をまとめたり買い物に行ったりしないと…。
昨夜は4時半まで研究室で、シカゴで発表した論文に修正・追記する作業。結論部分をどうまとめるかずっと悩んできたんだけど、朝3時頃、けっこうよさそうな締め括り方を思いついて、深夜だというのにウキウキ。あと昨日はライティング・センターに行って英文を添削してもらってきた。このバージョンを指導教授に読んでもらって、ジャーナルに送っていいかどうか意見をもらう予定。
- 2004−4−28(水)の午前中
ふー、なんとか飛行機に間に合いそう…。昨夜は3時まで荷造りしてた。しかし、風邪気味のようだ。ノドが痛い。無事に日本に辿りつけるのだろうか…?
飛行機事故が起きたときのために、乗る便名を記しておきます。すべて4月28日の、
ノースウエスト5898(デトロイト行き)
ノースウエスト749(ミネアポリス行き)
ノースウエスト19(成田行き)
新潟に帰るのは30日か1日か、たぶんそのくらいです。