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留学記「大学院をミシガンで」

7月 < 2004年8月 > 9月


  • 2004−8−2(月)の深夜
     予定より一日遅れて、でも無事に帰ってきました。いろんなことがあったので、ボチボチ更新します。とりあえずお休みなさい。

  • 2004−8−3(火)の朝
     《政治学方法論学会参加の記・その1》
     うちの大学のいいところの1つは、クルマで1時間半圏内に空港が4つもあって、その都度安いところを選んで利用できることである。今回のカリフォルニア行きでは、うちから1時間のとこにあるフリント空港から出るのが安かったので、同じ学会に出席する後輩のM君と一緒にそこを出る飛行機を予約していた。水曜の朝、僕の運転で2人で空港へ向かった。
     フリントからデトロイトで乗り換えて、サンフランシスコ空港へ。フリントからデトロイトまでは、正味飛行時間わずか19分の超近距離路線である。デトロイトからサンフランシスコまでは約5時間もかかる。でも3時間の時差があるので、到着したときはまだ日が高かった。
     同じ学会に出席する教授がレンタカーで会場のスタンフォード大学へ向かうので、それに便乗させてもらって大学へ。空港はサンフランシスコ市の南方にあるのだが、大学はさらに南の、Palo Altoという街にあった。大きくて、綺麗な大学だった。カリフォルニアの陽光に照らされて、輝くようなキャンパスだと思った。
     Mirrielees Houseという、大学の寮のようなところにチェックイン。学会参加者はここにタダで泊めてもらえる。もっとも、中堅以上の教授たちは自腹でホテルに泊まる人がほとんどのようだったが。
     本来は2人部屋らしい部屋を1人で使えた。
    こんな部屋

     荷物を置いたあと、M君と一緒にキャンパス探検に出かけた。

     キャンパス内の建物はどれも綺麗で、さすが名門私立大学だなー、と思った。寮に戻って、他の参加者数人と一緒になったので、7人で飲みに出た。飲み屋のある地区まではけっこう遠いのでシャトルバスを利用。飲んで食って、寮に帰ってきて寝た。東部時間とは3時間の時差があるので、時刻の割には早く眠くなる。
     (続く)

  • 2004−8−3(火)の午後
     《政治学方法論学会参加の記・その2》
     話はさかのぼるが、デトロイトからサンフランシスコに向かう飛行機では、97歳と77歳の2人組と隣り合わせた。母と娘だとのこと!
     97歳の母の方は、耳も遠いし自力では歩けないようだったが、赤い鮮やかな洋服を着ていた。77歳の娘も歩行は困難で、トイレまで杖をついてヨロヨロと歩いていた。サンフランシスコの空港ではゲートまで車椅子が2台来るように手配してあるのだとか。
     この高齢母娘が2人で飛行機に乗ってるとこに、アメリカの凄さを感じた。2人は、サンフランシスコに住んでる子・孫・ひ孫たちに会いに行くのだとか。

     77歳の娘は、僕が日本人だと知ると、日本の食べ物についていろいろ質問してきた。引退前は家政学者だったそうで、食べ物に興味があるとか。彼女は寿司は気味悪くて食べられないと言い、しかしカリフォルニアに住んでる息子は寿司が大好きで、彼がその子供たち(彼女の孫)にも寿司を食べさせて、子供たちも寿司が大好物なのだそうだ。
     その次の言葉がすごい。「生の魚を子供に食べさせるなんて、私は孫たちの健康が心配で心配で…。」
     これが元家政学者の発言なのだから余計にすごい。この人は中西部にずっと暮らしてきたそうで、僕はここに、アメリカ国内の文化ギャップを鮮やかに見た気がした。西部や東部では外国の食べ物も広く受容されているが、中西部や南部にはもっと保守的な人が多い。サンフランシスコに住むこの人の子供や孫にしてみれば、寿司などは極めて普通の食べ物なのだろうが、この77歳の生粋の中西部お婆さんはその感覚についていけないようだ。さすが、アメリカは広い。

     ブッシュ大統領も寿司嫌いらしい。前回の選挙戦中のあるとき、飛行機での移動中に寿司ランチが出て、記者たちが喜んで食べていたら、ブッシュ氏は「よくそんな気味の悪いものが食えるな」と顔をしかめ、「昼飯はこれに決まってるぜ」と言ってピーナッツバター・サンドイッチをほおばっていたとか。いかにも彼らしい。
     (続く)

  • 2004−8−4(水)の昼
     《政治学方法論学会参加の記・その3》
     学会は木曜から土曜までの3日間、朝から夕方までビッシリのスケジュールで行われた。他の大規模な学会では、たくさんの分科会が同時進行で開かれるが、この学会は小規模で、参加者も120人ほどだし、ほとんどのセッションでは全員が1つの部屋に集まって報告を聞く形だった。参加者は教員と院生が半々くらい。この分野の超大物、例えばキング・ベック・カッツ・エイケン・ネイグラー・マーティン・クイン・ギル・ジャックマンなどが勢ぞろい。

     この学会は非常にカジュアルな雰囲気で、誰もネクタイをしてないし、Tシャツ・短パン姿の人まで普通にいた。僕は一応、カーキのスラックスに襟付シャツを着ていたが。
     食事は3日とも、朝昼晩すべて用意された。食事のテーブルでも参加者間の交流が図られるようになってて、二日目の夕食では主催者側がランダムに参加者を各テーブルに割り振って、知らない人同士が同じテーブルにつくように配慮されてた。おかげで、たくさんの人と知り合うことができた。毎夕食時にはビールやワインもタダで振る舞われた。至れり尽くせりの学会。

     毎日朝から夕方まで続いたセッションは、この分野の専門ではない僕には難しくて理解できないものも多かったが、でもどんな問題が最新の論点になっているかが知れて面白かった。また、どんなことをこれから勉強しようか考えるのにも役立った。

     3日目の午前9時から、いよいよ僕とM先生の報告の番が来た。実際の報告はすべてM先生がやってくれる段取りになってたので、僕は気楽に座ってた。
     M先生はユーモア溢れる人なのだが、この日もやってくれた。報告の冒頭でいきなり、「最初に俺の共著者について紹介しよう」と言って、スクリーンに"Getting to know Ko"と映し出した。そんなことをやるとは聞かされてなかったので、ハァ?と思ったけど、まあ自分の知名度が上がるのは嬉しいことだ。
     スクリーンには、「比較政治学(制度、政党、選挙)」などと、僕の専攻分野が映し出され、会場からは笑い声が漏れた。次に、

    "On the Market!!"(「就職活動中!!」)

    と出て、聴衆は大笑い。僕もとっさに立ち上がって、調子に乗ってわざと大袈裟な動作でお辞儀してみせたら、会場は大爆笑になった。

     スクリーンには続けて、「日本で一番有名な男」「ピザ早食い大会優勝」などと出てきて、ついには僕の顔ペイントの写真がデカデカと映された。

    この写真

     と、こんな型破りなやり方で始まったM先生の報告だったが、内容はかなり聴衆の興味を惹き付けたようだった。そのセッション終了後には、近くにいた有名教授が僕に、"Ko, nice paper!"と言ってきたし、それ以降会場のあちこちで、トイレに行ってまで、多くの人が僕に「非常に面白かった」とか声をかけてきた。よかったよかった。
     (続く)

  • 2004−8−4(水)の昼
     《政治学方法論学会参加の記・その4》
     学会は土曜日で終了。日曜の朝にサンフランシスコ空港を出る飛行機で僕とM君はミシガンに帰る予定になってて、空港シャトルを利用して2人で空港へ向かった。午前6:20に大学を出発。2人とも疲れてグッタリしてた。
     空港に着いて、ノースウエスト航空のカウンターに行ったら、僕らが乗るはずの飛行機が大幅に遅れていた。「ここでもう一泊できたら嬉しいよな」とか2人で冗談を言ってたのだが、なんと本当にそうなった。翌朝の飛行機に予約が振り替えられ、航空会社が近くのホテルでの宿泊料金と、1人あたり13ドルの夕食代と7ドルの朝食代を負担してくれることになった。
     2人ともサンフランシスコは初めてで、学会の間はずっと大学に缶詰めだったので、これには大喜び。まだ朝なので、丸一日観光できる!さっそく指定のホテルに行って手続きして、荷物を置いて、地下鉄で街へ向かった。

     「シビック・センター」という駅で地下鉄を降りて、地上に出た。ちょっと歩いたら、学会で一緒だったNC大学の院生・J君とバッタリ会って、その偶然に3人で大笑い。彼は1人で1日観光する予定だったとのことで、3人で行動することにした。
     坂の多い街だとは聞いてたけど、想像以上だった。こんなに坂の多い大都市は世界でも珍しいだろう。汗をかきかき歩き、街の北端の港から、一時間ほどの観光船に乗った。ホテルでもらったクーポンで$3引きになったので、1人$17。

     中国人らしき若い女の子の団体客が乗ってて、全員同じ服装でちょっと異様な雰囲気を醸し出してた。J君が話しかけてみたが、英語が分からないようだったので、僕がカタコトの中国語で訊いてみたら、台湾から来たとのことだった。修学旅行か何かだろう。

    とりあえず一緒に写真を撮らせてもらった。

    船から観たサンフランシスコ

    ゴールデンゲートブリッジの下を通る

     クルーズの後、3人で延々と街を歩いて、適当なところで昼飯を食った。そこからバスと徒歩で、Haight Ashburyというヒッピーの聖地のような地区とか、ゲイが集まるCastro地区とかを見に行ったりした。

    Castro地区。虹色の「ゲイの旗」があちこちに掲げられている。

     ここまで観光して夕方になった。ナイトライフも楽しめればよかったのだが、歩き過ぎで3人ともヘトヘト。路面電車と地下鉄を乗り継いで空港に戻って、ホテルに帰った。J君は別のホテルなのでそこで別れて、M君とホテル内のレストランで飲んで食って、その夜はとにかくグッスリ寝た。
     (続く)

  • 2004−8−6(金)の夜
     《政治学方法論学会参加の記・その5(完結編)》
     思いがけないサンフランシスコでの一日を過ごした僕とM君は、翌朝(月曜日)再びサンフランシスコ空港に行った。今度は無事、定刻通りに離陸。
     しかし、安心するのはまだ早かった。離陸直後から機内後方がなんだか騒がしくなって、スチュワーデスさんたちがそっちに集まっていった。そのうち、小型の酸素ボンベが運ばれていった。
     そのうちに機内放送で、乗客の中に医師か看護師はいないかというアナウンスが流れ、僕の数列後ろにいた紳士が立ち上がって後方へ歩いていった。(こういうのってカッコいいなぁ、と思った。政治学者が緊急に必要になることなんて決してないだろう。)
     まあ予想はしていたが、しばらくしたら「急病人が出たので引き返す」と放送された。数十分後、サンフランシスコ近くのオークランド空港に着陸。

     飛行機がゲートに着いたら、4人の空港職員が乗り込んできて、老人を車椅子に乗せて運び出した。
     その用事が済んだらまたすぐに離陸するものかと思っていたら、そうでもない。そのうち、「重量オーバーで着陸したので、機体の点検をしなきゃいけない」と放送された。どうして重量オーバー?とちょっと疑問に思ったけど、予定よりずっと早く着陸したために消費するはずの燃料をタンクに残したままだったので重量オーバーになったのだろう。

     結局、再離陸まで1時間半もかかった。機体チェックが終わったあとも、機長が空港でいろいろ手続きをしなきゃいけない、とか説明があった。

     そんなわけで、デトロイト到着はかなり予定より遅くなった。放送されたところによると、乗りあわせた乗客全員が乗り継ぎ便を逃したそうだ。目的地行きの次の便に自動的に予約を振り替えた、と説明された。
     デトロイト空港のゲートで、乗り継ぎ便の確認をして「お詫びの品」を受け取ることになった。僕とM君の場合、目的地のフリント空港はクルマでも数十分の距離だから、代わりにレンタカーを提供してくれないか、と訊いてみたけど無理だった。しかたなく、約1時間後の乗り継ぎ便を待つことに。「お詫びの品」の内容は、(1)5分間使えるテレホンカード、(2)マイレージプログラムの250マイル分または機内でビールやワインに引き換えられるクーポン、(3)35ドルの旅行割引券、(4)7ドルの空港内食事券、というもの。急病人が出たのは航空会社の責任じゃないのに、ちょっと会社がかわいそうな気もした。

     もらった食事券を使って夕飯を食って、乗り継ぎ便を待った。乗るはずだった便より約2時間遅い、午後7時32分の便に搭乗。

     しかし、波乱の旅はまだ終わらなかった。

     飛行機がゲートを離れて、滑走路へ向かってる途中で、しばらくその場に停止した。機長から放送が入った。「どうしてここに止まってるのか疑問に思ってるでしょう?実は油圧ポンプの1つが動かなくなったので、またゲートに引き返します。」

     僕とM君は引きつった笑顔を浮かべて無言で顔を見合わせた。もう何でも来いという感じ。

     ゲートに戻って、しばらく修理してるようだったが、結局別の機体に乗り換えることになった。乗客みんなでゾロゾロと隣のゲートに移動。搭乗が始まった時点で既に定刻より1時間遅れ。離陸したのはその30分後。フリント空港に到着したのは、本来の予定よりも3時間以上遅い、午後9時半だった。

     しかしもう1つトラブルが待っていた!M君の預け荷物が出てこなかったのである(僕は機内持ち込み荷物だけだったので助かった)。空港から1時間運転して、家に帰り着いたのは夜の11時。とにかく盛りだくさんのカリフォルニア紀行だった。

  • 2004−8−9(月)の夕方
     ここしばらくは博士論文を一休みして、就職活動用の書類仕事をしている。カバーレターを書くのに非常に苦しんだ。英文の公式な手紙を書くのは、論文を書くよりも難しい。
     僕は2つのことを同時にできない性格だと自分で思ってるので(だからきっと浮気もできない・笑)、こういう書類仕事をまとめてするときは論文の仕事はパタッと止めてしまうのだが、しかし考えてみれば、クラスを教えてた頃はその準備と自分の研究を両方やる日もけっこうあったわけで、やってみればきっとできるんだろうし、むしろ煮詰まるのを防ぐためにもいいのかもしれない。
     といっても、就職活動関係の書類作りはもうすぐ一段落するので、それからはまた論文一直線だ。

  • 2004−8−11(水)の深夜
     東京では38日間連続の「真夏日」だそうだけど、今年のミシガンはかなりの冷夏だ。今日の最高気温はなんと僅か17度!それでも僕は意地のように短パンをはき続ける。夏に短パン以外をはくのは気持ち悪い。でも今日は雨だったので、たぶん10日ぶりくらいに靴を履いた(つまりカリフォルニアから帰ってきて初めて)。普段は草履のようなサンダルを愛用している。

     ついにようやく、博論の第6章の本文を一応書き終わった。これから修正もしなきゃいけないが、やっと一通りカタチができたのでけっこう嬉しい。なんだか長くかかったし、本文もちょっと長くなった。

  • 2004−8−14(土)の朝
     昨日は夜8時に帰ってきて、オリンピックの開会式を観た。アメリカではオリンピック全競技をNBCが独占放送するのだが、生中継はほとんどなく、普通は夜にまとめて放送されるようだ。あと、僕のとこではカナダのCBCも入る。

     開会式の入場行進は観てて面白いものだが、ギリシャと仲の悪いトルコが行進するときに観衆からどんな反応があるか、僕はドキドキしながら待ってた。トルコ選手団が入ってきたとき、NBCのアナウンサーも、「さあ観衆の反応に注目しましょう」とか言ってたが、けっこう普通に大きな拍手と歓声が上がっていたようだ。(さて、4年後の北京で日本選手団はどんな扱いを受けるだろう…?)

     僕が子供の頃は、オリンピックのメダル獲得数はだいたい、1ソ連・2東ドイツ・3アメリカ、の順だったものだが、ソ連も東ドイツも歴史の中の国になってしまったなー。
     そういえば明日は終戦記念日で、戦後59年になるわけだが、30歳の僕は戦後の歴史の半分以上を生きてきたことになる。終戦から自分が生まれたまでの時間って相当長い気がしてたので、なんか変な感じ。

  • 2004−8−15(日)の深夜
     あー、それにしてもオリンピックの柔道を生中継で観たい…。
     博士論文の一部を某E誌に投稿することにして、今日は論文の体裁をE誌指定のフォーマットに合わせる作業をした。しかし、E誌はけっこう珍しい文献リストの表記方法をとっているので、うえ〜、面倒くせ〜、と嫌になった。
     無視して、業界標準のAPSR式で送ってしまおうかとも思ったんだけど、投稿者への指示の中でハッキリとE誌式フォーマットの説明をしているし、やはり従った方が編集長の心象をよくするだろうと思って、しぶしぶ作業に取り掛かった。(たぶん査読者はそんなこと気にしないだろうが、やはり編集長の権限は大きいので。それに、独特のフォーマットを使ってるからこそそれにこだわりを持ってるとも想像できる。)
     WORDで論文を書いてる人なら一つ一つ手作業でやれば済む作業だが、LaTeXユーザーはスタイルファイルをいじらなきゃいけない。makebstというプログラムを使うと、表示される質問に順番に答えてゆくだけで自動的にbstファイルを生成してくれるのだが、それを何度も繰り返してもどうもうまくいかなくて、最後は生成されたbstファイルをテキストエディターで開いて中をいじりまわした。果てしない試行錯誤の末、夜中の1時半になってようやく、E誌指定のフォーマットをほぼ再現することに成功。両手を突き上げてガッツポーズした。
     言ってみれば瑣末なことに6時間くらいも費やしてしまったが、意地になってひたすら取り組んだことが成功するのは、内容に関わらず気分がいいものだ。

  • 2004−8−17(火)の夜
     日本の某大学の講師募集に応募するため、書類をいろいろ準備した。5年ぶりくらいに履歴書を書いた。僕は字が汚いので、手書きは苦手だ。書き損じることなしに最後まで書けたのでホッとした。アメリカみたいにワープロで作るようだったら楽なのになー。
     野球の日本対キューバの試合はテレビでやってなかったので、その時間は仕事しながらインターネットの速報を見ていた。アメリカのオリンピック中継はアメリカ人選手の出る競技ばかり映してるから嫌だなー、と思ってたけど、よく考えれば日本に住んでる外国人も、「日本人ばかり映して」と思ってるんだろう。結局どこの国でも、視聴者にウケる番組を作るのは当然か。

  • 2004−8−22(日)の夜
     この週末は、筑波大時代の後輩でアメリカ在住の2人が遊びに来てくれて、僕も土・日と完全オフにして3人で遊んだ。この2日間を楽しみに、これまで頑張ってきたのだ。
     近くの湖に行って湖畔の芝生に敷物を敷いてゴロゴロしたり、大学内の農場で牛を見たり、学生街のバーで飲んだり、州議会議事堂を見に行ったりとかした。あと、僕も今まで行ったことなかったのだが、マルコムXが少年時代を過ごした家の跡地に行った。その家はもうなくて、ただ解説の看板があるだけだった。

     この夏は、まったく日本語を話さない日の方が多いくらいの日々だったのだが、2日間日本語でひたすら喋りまくって、また、普段学問の世界に浸り切ってる自分には、国際機関の現場で働く2人との会話はとても新鮮で、非常にリフレッシュできた週末だった。また明日から仕事再開。

  • 2004−8−23(月)の夜
     ネバダ州の大学に就職した先輩からメールが来て、新天地が気に入ったとのこと。「The bountiful sun agrees with me.」と書いてあって、bountifulとはbeautifulを書き間違えたのかとちょっと思ったが、辞書を引いたら、「物惜しみしない;寛大な;豊富な」という意味の単語だった。覚えておきたい単語だ。「bountiful sun」って、いい言葉だなー。そんな土地に僕も住みたい。
     で、「agree」という単語がこういう意味で使われるのも初めてみた。辞書によると、「(食物・気候などが人に)合う、適合する」という意味だそうだが、これは文脈ですぐ意味が分かった。美しい表現だと思った。「The bountiful sun agrees with me」という、たぶんその先輩にとっては何気ない普通の言葉に、僕の気分も晴れやかになった。あと、こういう印象で覚えた単語や表現はきっとずっと覚えていられるだろう。

  • 2004−8−24(火)の深夜
     今日は何のアレルギーか知らないけど、目が非常にかゆかった。この時期にアレルギーになったことは今までないんだけど、さて何だろう?
     目がかゆいというのは、非常に集中を妨げるものだった。来週の後半は学会でシカゴに行くので、それまでにいろいろ進めたい仕事があるのだが…。「心頭滅却すれば火もまた涼し」の境地に達すれば、目のかゆみも気にならなくなるのかもしれないけど、僕は全然ダメ。

  • 2004−8−25(水)の夜
     たまたま偶然に知った文献、Esping-Andersen & Przeworski 2001 "Quantitative Cross-National Research Methods."(International Encyclopedia of the Social & Behavioral Sciences所収)を図書館でコピーしてきてザッと読んだ。コンプのときにこれを知ってればよかったなー、なんて思った。将来、大学院レベルで比較政治学を教えるときには、Robert Jackmanの1985年AJPS論文あたりと一緒に、導入で使えそうだ。
     それにしても、このEncyclopediaは今まで知らなかったんだけど、非常に便利そうだ。Mairが政党システムについて、Coxが戦略的投票についてとか、大物がたくさん執筆してるようだ。新しい分野に取り掛かるときとか、知ってる分野でも知識の穴を探すためとかにかなり使えそう。

  • 2004−8−27(金)の深夜
     今日は暑かった。インターネットで調べたところ、最高気温が31度になり、24日ぶりに30度を越えたとのこと。まあ、この程度で暑いとか言ってたら日本の人たちに怒られそうだけど…。

     「棒高跳び」を英語でpole vaultというのを今日初めて知った。まあまあ面白かった。

     スポーツ観戦の醍醐味の一部は、選手の表情を見ることだと思う。勝利または敗北の瞬間の表情ももちろんだけど、競技開始直前の表情も非常に興味深い。4年に1度しかない大会に挑む選手の精神状態はどんなものなんだろうか。緊張とか興奮とかを、どうコントロールするんだろう。
     僕はスポーツをするのは基本的に好きだけど、本格的な競技スポーツを経験したことはない。今思うと高校で何かやっておけばよかったなー、なんて思ったりするんだけど、若い頃に競技スポーツに取り組むことの意義は、体力の増進だけじゃなくて、緊張とか重圧とか喜びとか悲しみとか、そういう精神的なイベントを経験していろいろ学ぶことも大きいんだと思う。

     ところで、ここ数日オリンピックを観ながら思ったのは、僕が2年前にコンプを受けたときの精神状態って、スポーツ選手のそれにけっこう似てるのかな、ということ。もちろんオリンピック選手の受ける重圧とは比較にならないだろうけど、でも僕がコンプの前の半年くらいの間に感じた圧迫感と、直前の数日や当日の朝に持った緊張感って、基本的には大事な試合に臨むスポーツ選手が持つ感情に近いのでは、と思う。
     コンプのときは、もし落ちたらそれまで4年間やってきた大学院を退学になってしまうという状態に置かれていた。その重さは、18歳のときの大学受験よりも遥かに大きかったし、それに、実家に住んで、親に食事を用意してもらっていた18歳のときと、1人暮らしで、前日に何を食べるか、当日の朝に何を食べるか、なども自分で計画しなきゃいけなかったコンプのときとでは、自分にかかってくるプレッシャーは全然違った。

     そんなわけで、4年前のオリンピックと今回のオリンピックでは、それを観る自分の視点もちょっと違ってるのかもしれない。コンプの準備と受験は大変だったけど、それを経験してよかったとつくづく思う。

  • 2004−8−29(日)の深夜
     気がつけば、学会に出発する前に残された日は二日だけになってた。それまでに終わらそうと思ってた仕事は片付くのだろうか?まあ、現地に持っていって、空いた時間にホテルで仕事することもできるけど。
     うちの大学では明日から新学期。ここ数日は、地図を持ってキャンパスを歩いてる人を多く見かける。僕もいよいよ6年目に突入。

  • 2004−8−31(火)の夜
     明日からシカゴでの学会にでかけるので、今日は持ってくものを揃えたりとかで忙しかった。この学会から、アメリカでの政治学就職戦線が本格的にスタートする。また、去年の夏にセントルイスで一緒だった連中との昼食会とか、うちの大学出身で今は別の大学で教えてる先輩たちとの夕食会とか、いろいろ予定があって忙しくなりそう。

     パソコンは持って行くけど、更新するかどうかは分かりません。日曜に帰ってきます。


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