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留学記「大学院をミシガンで」

2月 < 2005年3月 > 4月


  • 2005−3−1(火)の午後
     また大雪になった。今日から3月だというのに…。
     僕の独身生活もあと2日限り。明日の夜は「バチェラー・パーティー」の計画があって、あさってついに結婚式。といっても、大学近くの裁判所でやる簡素な式で、たった10分くらいで終わるらしい。それが終わったら、見に来てくれた友達と近くのバーに行って騒ぐ予定。(さて、僕の博士論文はちゃんと終わるのだろうか…?)

  • 2005−3−2(水)の深夜
     結婚前夜。
     バチェラー・パーティーから帰ってきて、寮の自室で1人、メールを書いたりしながら独身最後の夜を過ごしている。注文してた結婚指輪も無事に届いたし(熊ちゃん、本当にどうも有難う!)、タキシードはハンガーにかけて研究室に置いてあるし、一通り準備完了。明日もできれば論文を少しでも進めたいと思うが、さてその暇はあるだろうか?

  • 2005−3−4(金)の午前中
     昨日、30年9ヶ月の独身生活に終止符を打ち、結婚した。この先は妻と一緒に生きる人生になる。種々の事情から、あと約2ヶ月は僕は寮の1人部屋に住み続けることになるので、ちょっと変則的な新婚さんになるけど。

     ちなみに、僕にとって結婚式に出席するのは、この自分の式がなんと人生初なのである(披露宴に出たことは一度あるけど)。だから、結婚式というのがどんなものか、全くイメージがなかった。その反対に、妻は結婚式場でバイトした経験があったりして、思い入れが強かったらしい。まあ、結婚ってだいたいそんなものかも。

    妻が手作りしてくれた「リングピロー」と、僕らの指輪

     おとといくらいまでは、今日は吹雪になるという予報だったけど、なんと真っ青な快晴になった。僕は「晴れ男」なのだが、やはり結婚の日も見事に晴れてくれた。僕の晴れ男ジンクスに加えて、いろいろな人の思いがきっとこの好天を作ってくれたのだろう。

     結婚式の場所は、大学のすぐ近くにある裁判所(54B District Court)。日本では、結婚の儀式と法的な婚姻は全く別なわけだが、アメリカでは儀式をやらないと正式な結婚はできない。それは教会などの宗教施設でやってもいいし、裁判所や市役所でもできる(ネバダ州あたりではドライブスルーで結婚できるらしい)。

     約40人もの友達が見に来てくれた。受付で手続きをして、式の費用として10ドルを支払った。

    そのレシート

     で、ちょっと待ってから、会場となる第二法廷へみんなで移動。僕らの担当の裁判官はジョードンさんという初老の男性。


     これが法廷の様子。僕らの間に立ってる緑色の服の人は、「指輪持ち」係をやってくれた妻の友達。

     まず裁判官さんが、結婚の意味などについての短いお話をしてくれて、それから、僕と妻のそれぞれに、「豊かなときも貧しいときも、病気のときも健康のときも、云々」と、まあ要は相手を配偶者として認めるか、ということを訊いてきて、イエス、と答えた。

     それから、今度は2人向き合って手を取り合うように指示された。かなり緊張してたので、もう言われるがまま。そして、裁判官さんが一言ずつ区切って言う言葉を僕が復唱して、指輪を妻の左手薬指につけた。今度は妻が、裁判官さんの言う言葉を復唱して、僕の左手薬指に指輪をつけた。そして、裁判官さんが結婚の成立を宣言。「ふー、終わりか」と思ったけど、客席から「キスしろ」と野次が飛んできて、裁判官さんにも言われたので、2人とも照れながら、キスした。

     そして、裁判官さんと2人の証人(それぞれの友達)がそれぞれ3通の書類にサインして、全て完了。2人は晴れて夫婦になりました。

     その後、近くのバーに移動して、みんなで乾杯して、ビール飲んだり喋ったり。旨いビールだった。

    幸せです!

  • 2005−3−5(土)の夜
     今日は、バスケの今シーズン本拠地最終戦があった。毎年、ホームでの最終戦では、試合前に4年生の功績を称えるセレモニーがあるのだが、今年は僕にとっても最後の試合になった。シーズンチケットを買い始めて4年目、ついに今日の試合が僕のMSU生活最後のホームゲーム。今年の4年生の選手たちが1年生のときからずっと試合に通い続けてきたので、僕にとっても感無量であった。
     最後の試合ということもあるので、個人間売買で切符をもう一枚手に入れて、妻も連れて行った。妻はMSUバスケの試合を会場で見るのはこれが初めてなので、応援での振り付けとか応援歌とかがよく分かってなかったが、楽しんでいたようだった。

     試合は、序盤はエンジンがかからずに苦戦したけど、相手は大不振中のペンステートなので、結局は楽勝だった。

    顔ペイントもたぶん最後

     妻のルームメートが作ってくれた「結婚しました」ポスターを持参で行ってて、僕は顔ペイント、妻も頬に「S」の字を描いてたので、大スクリーンに何度も映し出された。
     試合後に2人で写真を撮ってたら、多くの人が「おめでとう」と言ってくれた。

    コートの真ん中で記念撮影

     さて、来週はBIG10トーナメントである。全国トーナメントに向けて弾みをつける意味でも、ぜひ優勝して欲しいものだ。

  • 2005−3−6(日)の夜
     博士論文執筆の日々が続く。今日までに書いた部分が98ページになった。まとめて印刷してみたらけっこうぶ厚くて、嬉しくなった。

     春休みに入ったので、キャンパスは静かになった。春休みはアメリカの大学生にとっては旅行シーズンなのだが、これまでの5回の春休みは課題に追われたり論文に取り組んだりで、一度も遠出をしたことはなかった。別にそれを虚しくも悲しくも思ったことはなかったのだが、今年はついに初めて、妻と一緒に明日からニューヨークへ旅行することにした。大好きなニューヨークも、約1年半ぶりだ。

  • 2005−3−11(金)の夜
     ニューヨークから帰ってきた。何度行っても、この街は大好き。雰囲気がとてもいい。

     筑波大時代の先輩夫妻の家に泊めてもらって、いつものようにさんざん飲んだ。


     先輩夫妻の娘さんが可愛くて可愛くて、もうメロメロ。早く子供が欲しいような気もした。男の子が欲しいとずっと思ってきたけど、女の子もいいなぁ、とか思った。

     あとは、妻と旨いものを食べ歩いたり、筑波大時代の後輩とその友達と飲んだりとか、盛りだくさんの滞在だった。疲れたけどメチャクチャ楽しかった。

     いよいよ、博士論文の期限が月曜日に迫った。今週末はかなり頑張らねば。

  • 2005−3−13(日)の午後
     博士論文の提出が明日に迫った。しかしニューヨークから帰ってきて以来ずっと体調が悪くて、昨日は38度近い熱が出ていた。それでも論文を仕上げないわけにはいかない。今日は熱が下がったのでまだマシ。

     バスケのBIGTENトーナメントでは、我がMSUはまさかの初戦敗退を喫してしまった。相手は勝って当然のアイオワ大学。重要なところでミスが出まくりで、相変わらずプレッシャーに弱いところが出てしまった。普段は90%もフリースローを決めるアンダーソンが、1点差を追って残り6秒という局面で、フリースローを2本とも外してしまい、自滅。彼はいい選手なのだが、彼の4年間のキャリアに何度もこういうことがあった。
     全国トーナメントの組み合わせはあと数時間で発表されるが、さて、うちはどこと当たることになるかな…?

  • 2005−3−14(月)の夜
     なんとか博士論文を提出。ゼエゼエ。
     ディフェンスは4月6日で、規定によるとディフェンスの3週間前までに「カレッジ」(デパートメントの上の組織)のオフィスに提出しなきゃいけない。あさってがその「3週間前」の日なのだが、僕はアドバイザーに今日までにするようにと言われていた。直前での不測の事態に備えるということだろう。
     それと、論文の審査委員の教授たちにも論文をEメール添付とプリントアウトの両方で提出した。さあ、どんなコメントが来るだろうか。
     体調はけっこうマシになってきたが、でもやはり疲れた。ふひー。

  • 2005−3−17(木)の午後
     博士論文を一応書き上げたことと風邪がなかなか治らないことの2つを口実にして、ここ数日はひらすらダラダラしている。寮の自室でずっと寝転んで小説を読んだり昼寝したりとか。
     で、今日からいよいよ大学バスケの全国トーナメントが開幕。1年で最も面白い季節だ。今日は1回戦の16試合が行われるが、いきなりミルウォーキーがアラバマに大幅リードをつけていて、グヒグヒ言いながら観戦中。我がMSUの1回戦は明日の夜、相手はOld Dominion University。

  • 2005−3−20(日)の深夜
     バスケ、我がMSUスパルタンズは、1回戦はオールドドミニオン大学、2回戦はヴァーモント大学を下して、3回戦(Sweet 16)進出を決めた。この快進撃に僕は大喜びで、風邪もほぼ治ってしまった。
     あと、学部内でやっているバスケ予想大会(賭け金1人5ドル)でも、僕は首位タイになっていて快調。優勝したら80ドルくらい入ってくる予定だ。クックック。
     3回戦は金曜日の夜で、相手は因縁のデューク大学!

  • 2005−3−25(金)の夜
     大勝利!!!
     因縁の相手・デューク大学を78−68で下して、4回戦(Elite 8)に進出!
     こんな嬉しい勝利は久しぶりだ。デュークとの昨シーズンの対戦では、こんな格好までして応援に行ったのに、50−72という屈辱的大敗を喫してしまった。今シーズンの対戦では、ギリギリのところまで追い詰めながらも、最終盤で5つのフリースローを外して敗戦。そのデュークについに勝った!
     今夜は大学院の仲間達とスポーツバーに行ってみんなで観戦してたが、店の中は盛り上がりまくった。知らない他の客と一緒に応援歌を歌ったり。
     あー、最高。あのデュークをついに倒した。プレッシャーに弱い・大舞台では必ず負ける、と批判され続けた我が選手達が、今日は素晴らしい試合を見せてくれた。明後日の試合は、ケンタッキー大学とユタ大学の勝者との対戦になる。

  • 2005−3−27(日)の深夜
     もう、言葉が無い。強豪のケンタッキー大学を破って、ついに準決勝(Final Four)に進出。下馬評にも上がっていなかったうちが、名門中の名門であるデュークとケンタッキーを次々に倒す驚異の快進撃で、なんと7年間で4回目のFinal Four出場を決めた。
     今年のトーナメントは好勝負が続いているが、なんとこの試合は延長・再延長まで縺れ込むという稀に見る接戦になった。両チームとも死力を尽くしての攻防が続き、僕と妻は手を握り合ってテレビに釘付けになっていた。勝って欲しい、勝って欲しい、と祈り続け、そして、なんと試合開始から3時間が過ぎ、我がスパルタンズが死闘を制した。94−88。

     僕のMSU最後の年に、最高のプレゼントだ。6年間のMSU生活で3度もFinal Fourを観られるなんて、こんな嬉しいことがあるか。今の4年生が1年生だったシーズンからずっとホームゲームに通い続け、何度も顔ペイントをして、いつも声を張り上げて応援してきたので、なおさら感無量だ。考えれば考えるほど喜びが全身に沁みてくる。


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