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留学記「大学院をミシガンで」

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  • 2005−4−2(土)の午後
     月曜から木曜まで、テキサスに行ってきた。30年ローンを組んで、赴任先の大学の近くに一戸建ての家を購入した。レンガ造りの1階建てで、カッコいい暖炉と綺麗な裏庭も付いている。

     日本の感覚からすると、新採用でいきなり家を買うというのは大それたことのような気がするが、アメリカでは実はけっこう普通のことである。もちろん、これが東部や西海岸の都市部だったらとても一戸建てには手は届かないが、さすがに広々したテキサスでは、家屋もけっこう手頃な値段で手に入るのだ。
     アメリカでは、中古家屋の売買がとても盛んであり、アメリカ人は平均7年に1回家を買い換える、とまで言われている。で、面白いことに、普通は家を売るときは買ったときよりも高く売れるのである。もちろん、ちゃんと手入れしながら家を綺麗に保つことが必要だが。
     だから、この先もし別の大学に移籍することになったとしても、その家を売ればいいのだから、30年ローンも心配ではない。アパートに住んで毎月家賃を払うのに比べて、家を買ってローンを払っていると、払った分も結局自分のお金になるから得になるという仕組みである。住んでる間に自分の家が高くなる、というのは日本人の僕にはとても驚きだったが、アメリカ人の同僚達に日本の事情を話すと逆に驚かれる。実際、大学院生でTAの給料からローンを払って持ち家に住んでる人までいるのである。
     この先、5月末にもう一度テキサスに行って正式な所有権譲渡(closingと言う)の手続きをしてくる。実際の引越しは6月中旬くらいかな?

     実は、大学に歩いて通えて、歩いてバーに行けるようなところに住む生活も夢見ていたのだが、そうすると築50年とかのかなり古い家になってしまうので、やめた。妻も僕ももっと新しい家が希望だったので。だから、大学から車で5分くらいの新興住宅地にした。ちょっとした買い物もすべて車、という生活だが、まあアメリカらしいと言えばかなりアメリカらしい。

     さて、今夜はバスケのFinal Four、ノースカロライナ大学との対戦。燃えるぞ〜〜。

  • 2005−4−3(日)の午後
     昨日の試合は、前半終了時には5点差でリードしていたのに、後半は一気に流れが変わって、71−87で完敗した。これで今シーズンは終了。僕のMSU生活最後のバスケシーズンが幕を閉じた。昨日の試合は残念な結果に終わったが、誰も予想しなかった快進撃でFinal Fourまで来たのだから、いい思い出でシーズンを終えられる。これまでずっと、「大試合に勝てない」「プレッシャーに弱い」と批判され続けてきた4年生トリオ(Anderson, Torbert, Hill)が、ついに最後の最後でFinal Fourに到達して大学のキャリアを終えることができたことが、僕にはとても嬉しい。お疲れ様&ありがとう。

     明日の決勝戦は、イリノイ大学対ノースカロライナ大学の対戦になった。インサイドは大して強くないイリノイが、ノースカロライナの怪物ショーン・メイを封じ込められるかどうか、非常に興味深い。僕はイリノイを応援する。

  • 2005−4−5(火)の夕方
     いよいよ、ついに、博士論文のディフェンスが明日に迫った。20〜25分のプレゼンテーションをやって、それから教授達と質疑応答をする。5人の教授全員から承認のサインをもらえば、事実上それで博士号取得となるわけだが、まあたぶんいろいろ修正させられることになるだろう。
     普通なら、博士論文のディフェンスを終えたら、大騒ぎの飲み会をやったりダラダラして休息を取ったりするものだろうが、僕の場合は、今週末の学会でする発表の準備を大急ぎでやらなきゃいけない。また、購入した家の関係でいろいろ書類仕事などしなきゃいけないし。
     落ち着いてノンビリできるのはまだまだ先になりそう。

  • 2005−4−6(水)の夕方
     博士論文ディフェンスは無事に終了した。思ったよりも全然和やかなムードで、"solid"な論文だと褒められた。最後には、どの章をどのジャーナルに投稿すべきかなどの話にまでなった。質疑応答が終わった後、一応慣例通り数分間は部屋の外に出されたが、すぐにドアが開いて、「おめでとう」と迎えられた。
     「英語をもう一度チェックするように」との指令は受けたけど、内容に関わる修正は要求されず、5人の教授全員がちゃんと承認のサインをしてくれた。
     それから教授たちと一緒にランチに行った。学部内部の人事の話題とか、新任教員の採用の話とかになって、「あー、これからは自分もこっち側の人間なんだなー」とちょっと感慨に浸った。

     表紙から参考文献リストまで、全部合わせて101ページ。政治学の博士論文としてはけっこう短い部類に入るだろう。これから英語のチェックをやって、謝辞を書いたり、余白や字の大きさを大学の規定に合わせたりする仕事はまだ残ってるけど、これでまあ、僕は博士課程を事実上修了したことになる。教授たちが「おめでとう、ドクター・マエダ」と言ってくれてるから、今日からもう「ドクター」を名乗ってもいいんだと思う。

     さてさて、息つく暇もなく、今度は学会発表の準備をやらなきゃ。

  • 2005−4−11(月)の夕方
     金曜から日曜までシカゴに行って、学会で論文を2つ発表してきた。直前はいろいろ忙しくて、発表の準備があまりできなかったので、土曜に発表した方はいまいちの出来だった。かなりつっかえたり、言おうと思ってたことを言い忘れたりとか。でも、日曜に発表した方は、もともと内容にも自信あったし、けっこううまくできたと思う。討論者の教授も気に入ってくれたようだったし。
     あと、シカゴでは長く会ってなかった先輩や友達にもたくさん会うことができて良かった。過去3ヶ月間に、初ジャーナル出版決定・就職決定・結婚・家購入・博士論文ディフェンスの5つを全部やったことを話したらみんな驚いて、おめでとうと言ってくれた。

     さて、博士論文と学会の2つが片付いたけど、今度は家の購入に関わるいろいろな手続きに取り組まないといけない。家探しも大変だったけど、買う家を決めてから先もこんなに大変とは思わなかった。でもまあ、家を買った人はみんなこのいろんな手続きをこなしてきたわけなんだから、自分にできないはずはない。

  • 2005−4−15(金)の昼頃
     博士論文の英語チェックとか、謝辞を書いたりとかしなきゃいけないんだけど、ディフェンスが終わってちょっと気が抜けたこともあり、その他のいろんな仕事(家の購入に関わる手続きとか)で忙しかったりして、全然やってない。来週の今日から10日間ほど旅に出るので、その準備も。

     ドラえもんの声優が交代して、今日から放送開始とのことで、非常に気になっていた。朝起きてすぐにインターネットを開いて、どこかで声を聞けないか調べた。テレビ朝日のウェブサイトで5人の声をちょっとだけ聞いたけど、う〜ん、やはり違和感あるなぁ…。いつかは声優が交代する必要があるのは分かってるんだけど。特にジャイアンがまずいんじゃないかと。ジャイアンはもっとダミ声であるべきだ。スネ夫としずちゃんについてはまずまずだと思った。

  • 2005−4−17(日)の深夜
     結婚式から一ヵ月半が過ぎたが、そのときはちゃんとしたパーティーが出来なかったこともあり、ミシガンを去る日が近づいていることもあり、今日、結婚記念&さらばミシガン記念のパーティーを開催した。参加者に食べ物を一品ずつ持ってきてもらう形式で。


    60人くらいも来てくれて、盛大な会になった。


    ケーキ入刀。このあと、新郎新婦がお互いにケーキを食べさせるのをやった。


    妻のルームメートが描いてくれた僕らの似顔絵。非常に似ていて感激!

     とても楽しい時間を過ごせて、いい思い出になった。来てくれた人々、手伝ってくれた人々に本当に感謝!

  • 2005−4−19(火)の午後
     テキサスに買った家にかける保険を探してるのだが、その業界の最大手で、シェア20%を越えるという某S社に電話して、見積もりを出して欲しいと頼んだら、なんと、「今は新規の客を募集してないから」と言って断られた。唖然とした。客を欲しがらない商売というのが存在するのだろうか、と。
     とても驚きだったのでいろんな人に話してみたのだが、研究室が一緒のK君の解説によると、シェア20%を越えてるS社にとっては、それ以上に顧客を増やすと、ハリケーンや大火災などの際に支払わねばならない額が多くなりすぎるので得にならないのだという。そう言われれば確かにそうかもしれない。会社の収益は顧客の数によって単調増加するものではないということか。(政党と支持者数の関係でも同じことが言えるかもなぁ。)

  • 2005−4−22(金)の夜
     サンフランシスコにやってきた。明朝、日本から到着する僕の両親を空港で出迎えて、それからレンタカーで10日ほどかけてミシガンに帰る予定。ちょっと野心的すぎるくらいの旅程を立てたので、全ての場所をちゃんと回って無事に帰りつけるか、ちょっと心配。ミシガンに戻ったらその3日後に卒業式。

  • 2005−4−23(土)の夜
     両親は無事にサンフランシスコ空港に到着した。英語ができないので、入国審査を無事に通過できるかちょっと心配してたのだが、係官が「カンコウ?」とか日本語で訊いてきたそうだ。さすが西海岸。
     レンタカーを借りて、ゴールデン・ゲート・ブリッジを渡ったりとか、いろいろ街を走り回った。去年の夏も来たけど、なんとまあ、坂の多い街だ。よくもこんなところに大都市を造ったものだ。
     夜は寿司を食いにいった。親の財布で食う寿司ほど旨いものはない。

  • 2005−4−24(日)の夜
     サンフランシスコからロサンゼルスまでは、I-5を走ると6時間で着くとのことだったが、途中の昼食休憩とロスに入ってからの渋滞のせいで、出発から到着まで8時間たっぷりかかった。まあしかし、道中の景色の単調なことには参った。カリフォルニアはもっと都会かと思ってたけど、都市を離れるとひたすら丘と荒地が見渡す限り続いていた。

     ロスでは、太平洋岸のVENICEという街のホテルに投宿。砂浜ではヒッピーみたいな人たちがたくさん集まって太鼓を叩いて踊っていた。ガイドブックによるとここは前衛的な若者の集うビーチなのだとか。

    Veniceビーチの日没

  • 2005−4−27(水)の深夜
     いま、アリゾナ州フラッグスタッフに滞在中。

     月曜日は、ロスを出発する前にちょっとだけ観光。


    某議員の学歴詐称問題で話題になったペパーダイン大学に行ってみた。

     ハリウッドにも行った。有名な「HOLLYWOOD」の看板はハリウッドの近くにあるのかと思ってたが、遥か遠くだった。
     5時間ほどの運転でラスベガス到着。


    宿泊した「ルクソール」ホテルは、エジプトをモチーフにしてるが、なんと建物がピラミッドの形をして、スフィンクスまで付いている。このアホさ加減が僕にピッタリ。
     カジノは、どうもツキが悪かったようで、最終的には損をした。

     翌火曜日は、ラスベガスを出発して、まずZION国立公園へ。


    ここでは、峡谷の底を歩ける。見上げると遥か上まで絶壁が切り立っていて、凄い光景だった。

     次は、大急ぎでBRYCE CANYON国立公園へ。着いたときにはもう夕方。でも、その価値は十分にあった。


    こんな光景が地球上に存在するのか、という感じ。ウォーッ、ウォーッと、しばらく声が止まらなかった。そして、寒かった。短パン姿で行ったのに、まだ残雪が残っていた。

     夜は、ユタ・アリゾナ州境の近く、KANABという小さな町に宿泊。

     そして今日は、KANABを出発して、まず、GLEN CANYONの一部を見に行った。


    LAKE POWELLに浮かぶLONE ROCKという大岩。


    おもむろに三点倒立してみた。

     そして、南へひたすら走って、今度はWUPATKIという、1000年くらい前に先住民が住んでいた遺跡を見に行った。


    非常に興味深かったけど、それにしても一つ一つの部屋があまりにも小さすぎると思った。あんな部屋に寝たら息が詰まりそうだ。

     明日はいよいよグランド・キャニオンを見に行く。

  • 2005−4−28(木)の深夜
     今日もフラッグスタッフに滞在中。今回の旅程中で唯一の連泊である。

     今日はまず、ここから割と近い、Meteor Craterを見に行った。5万年前に隕石が落ちてきてできた、巨大な穴である。


    あまりにもデカいので、写真をうまく撮れなかった。直径1.2キロとか!同種のクレーターの中では、ここのが世界で最も状態良く保存されているらしい。非常に面白いものを見た。

     そして、Grand Canyonへ。しかし、天候が悪化してきて、着いた頃には雨が降っていて、視界もかなり悪かった。


    反対側の崖がよく見えなかった。これにはガッカリ。しかも雨はどんどんひどくなっていって、みぞれや雪が混じるようになった。


    フラッグスタッフへの帰り道は、もう雪景色。まあ、珍しい経験ができたと思おうか。

  • 2005−4−29(金)の夜
     ユタ州南部の、モンティセロという街からの更新。
     今日は、Monument Valleyへ向かって運転してるときに、フロントガラスにヒビが入るというアクシデントに見舞われた。しかも、そのヒビはピリピリピリという感じに伸びていった。周りに何も無い田舎道を走ってるときだったので心配だったが、もうちょっと走ったら観光客向けの食堂や土産物屋のある地域に入ったので、公衆電話からレンタカー会社に連絡。クモの巣状のヒビでないならそんなに心配は要らないのでそのまま旅を続けたら、とのアドバイスをもらう。土産物屋でビニールテープが買えたので、それでガラスを裏張りして、出発。


    Monument Valleyは、期待を裏切らなかった。西部劇によく出てくる奇岩の集まりで、確かに何度も映像で見たことのある岩たちなのだが、実際にこの目で見ても感動。


    とりあえず三点倒立。


    もっと北に走ると、今度はMexican Hatという奇岩が現れた。メキシコ人の帽子に…、見えるような見えないような。。。この近くの町の名前までがMexican Hatになっていた。他に名前はないのだろうか。写っているクルマは、僕らが毎日酷使している、シボレーのトレイル・ブレイザー。

     明日は5つ目の州となる、コロラド州に入る予定。


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