- 2005−5−1(日)の夜
今夜はネブラスカ州オマハのホテルに滞在中。
昨日は、モンティセロを出発して北へ向かい、Arches国立公園を見学。ここは、自然に出来た岩のアーチが無数に存在するところである。

最も大きな、Landscape Arch。そのうち崩落してなくなるだろうと言われているとか。

最も有名で、よく観光パンフの写真などに使われる、Delicate Arch。時間がなくてそこまでは行けなかったので、遠くから写真を撮っただけ…。
これで、今回のドライブ旅行で計画している公園はすべて訪れたわけだが、僕の中では、ArchesとBryce Canyonが特に良かった。Grand Canyonに比べて知名度は全然低いわけだが、この2つはもっともっと知られてもいいと思った。これまで世界のいろいろな国でたくさんの観光地を見てきたわけだが、ArchesとBryce Canyonは僕のリストの中のAランクに入る。
しかし、今回は急ぎの旅程だったので、行けなかった場所もたくさんあった。特に、Vermillion Cliffsの"The Wave"は、予約しないと見れないらしいけど、死ぬ前に絶対来なければ!と思う。
さて、ユタ州を去ってコロラド州に入った。T−70をひたすら東に進んだら、だんだん雪がチラついてきた。そのうちに完全な雪になり、道路状態が悪化。そして、Vail峠(最高地点は標高3251m!)のところで、登り坂で立ち往生してしまった車がいたらしく、交通が完全にストップしてしまった。1時間半くらいも車は動かず、使い捨てコップを使って小便するなど、ひどい目に遭った。ようやく交通が流れ始めた後も、雪のせいでノロノロ運転になり、予定からかなり遅れてしまった。夜は、デンバー郊外のアイダホ・スプリングスという小さな町の安モーテルに飛び込みで宿泊。
今日は、そのモーテルを出発してとりあえずコロラド州の州都デンバーへ。車のフロントガラスにヒビが入ってからも、そのまま運転していたのだが、デンバー空港にあるレンタカー会社の営業所に行ったら、すぐに別の車に交換してくれた。そして、I−76で北東へ向かい、ネブラスカ州に入ってI−80に合流。とにかく広大なネブラスカ州をずっとまっすぐ東へ向かい、オマハで今夜は投宿。明日はシカゴに泊まる予定。
- 2005−5−2(月)の夜
いよいよドライブ旅行も明日で終わり。今夜はシカゴに滞在中。
今日はオマハを出発して、引き続きT−80を東へ。アイオワ州を横断してイリノイ州に入り、T−88の有料道路を使ってシカゴへ。シカゴには何度も車で来てるけど、西側から入ったのは初めてだったので、高速道路の通行はけっこう緊張した。
明日はついにミシガンに帰る。帰ったら、不在中に溜まっているだろう書類仕事を一気に片付けないと。
- 2005−5−4(水)の午後
昨日の夕方、無事にイーストランシングにたどり着いた。思えばサンフランシスコからミシガンまで、とんでもない距離を運転してきたものだけど、事故もなく、誰も病気にならず、安全に旅を終えられたのでとてもよかった。非常に達成感がある。
今日は両親を研究室に連れて行ったのだが、あまりの乱雑さに言葉を失っていた。仲のいい教授や大学院の仲間たちに両親を紹介して歩いたりした。
予想通り、寮のメールボックスには郵便物がギュウギュウに押し込まれてたし、いろいろ片付けねばならない仕事が山積している。明日は妻の家族もミシガンに到着するし、これから数日はてんてこ舞いになりそう。
- 2005−5−5(木)の深夜
昨日書いた通り、てんてこ舞いの真っ最中。明日が卒業式なのだが、まったく実感が湧かない。6年間住んだ寮(同じ部屋にずっと住み続けた!)を明後日までに退去しなければならず、荷物の整理と運び出しに大忙し。明日、自分の卒業式の最中に居眠りしなきゃいいけど!
卒業式といっても、まだ僕は博士論文を大学院の事務室に提出してないので、正式にはまだ学位は受けられない。でも、春学期と夏学期に卒業する学生はまとめて5月に卒業式をやるので、僕の卒業式も明日なのである。
自分は卒業式で泣くだろうか?今のところの予想では、泣く3割/泣かない7割。
- 2005−5−8(日)の午後
結局、卒業式では泣かなかった。でも、けっこういい式だったし、やはり行ってよかった。

卒業生大集合の図。巨大大学なので、卒業式はなんと17回に分けて行われた。僕が出席したのは、大学院を卒業する人のためのもの。この写真で、中央の平らな場所にいる人々が博士課程修了者。僕は後ろから2列目くらいだったけど、自分でもこの写真の中で自分を見つけられない。その周りの、段になってる部分にいるのが、修士課程修了者。修士と博士ではガウンのデザインが異なり、博士のガウンには、腕のところにビロードの生地で3本の線が入っている。
会場のブレズリン・センターはバスケの試合が行われる会場でもあり、僕はここに何十回も応援に通って喉をからしたものだ。選手達が熱戦を繰り広げたフロアに自分が卒業式で立つというのは、なかなか感慨深いものだった。
式では、一人一人の名前が呼ばれて、壇上で学長から仮の学位記を受け取った。博士号を取る人ってもっと少ないものかと思ってたけど、4〜500人くらいもいた。名前を聞いてて、中国・韓国人が非常に多くて驚いた。日本人は10人もいなかったと思う。
式が終わったのは夜9時半くらいだったかな?もう疲れてたけど、寮の退去のための片付けをひたすら続行。
で、昨日は朝から妻の卒業式に出て、2人ともガウンを着て記念写真を撮ったりした。午後、寮をついに退去。なんとか片付けが間に合ってホッとした。6年間住んだ場所を去るのはけっこうシミジミくるものだった。

博士になって木に登る図。
うちの両親は明日日本に帰る。その後、今度は妻の家族と一緒に旅行に出掛ける。てんてこ舞いの日々はもう少し続きそう。
- 2005−5−16(月)の午前中
4泊5日の旅行から昨日帰ってきた。今回もレンタカー旅行。11日にまずロサンゼルスに飛んで、そこから運転してラスベガスへ。5人連れだったけど、長距離で疲れそうだったので、7人乗れるミニバンを借りた。ラスベガス到着は遅くなったけど、やはりカジノで遊んだ(負けた)。翌12日は、フーバーダムを通って(綺麗だった!)、アリゾナ州に入り、Sedonaというリゾート地に宿泊。大きな奇岩が街のまわりにたくさんあって、独特の雰囲気のある場所だった。この街には、地球の磁力が渦を巻いているという"Vortex"という場所がいくつかあり、癒し効果があるらしい。詳しいことは調べてないので分からない。

今回は短い滞在だったが、しばらくノンビリとするのにいい街だと思った。
13日はグランド・キャニオンへ。今回は天気がとても良くて、前回悪天候のせいでよく見えなかった渓谷が綺麗に見えた。もう最高。

ここでも3点倒立。
14日は8時間くらいも運転して、ロサンゼルスまで帰った。妻と交代しつつの運転だし、交通量の少ない一本道なので、長距離運転もそんなに大変ではない。韓国人街のレストランでヤギの肉を食って、ホテル宿泊。そして昨日、日本に帰る3人を空港で見送って、妻と2人でミシガンに帰ってきた。ミルウォーキーで乗り換えた飛行機はなんとプロペラ機!乗客の席が19しかない小型機だった。かなり久しぶりに乗ったプロペラ機がとても面白くて、僕は大満足。
- 2005−5−18(水)の夜
旅行から帰ってきて一息つけるかと思いきや、それは幻想に過ぎなかった。まず、博士論文の最終提出のための作業。英語の表現をチェックしてもらって修正して、それから論文のフォーマット(字の大きさとか余白の幅とか)を大学指定のモノに合わせて、あと謝辞を書いたりとかの細かいところ。今日は大学のライティング・センターに行って、第一章と第二章を見てもらって、それから研究室に戻って謝辞を書いた。あと1週間くらいで提出したいものだ。そうすれば今度は正式に博士になれる。
それと並行して、引越しの準備もしなきゃいけない。就職先の大学から引越し代が出るので、引越し業者を雇ってやろうと思うのだが、手配するのが遅くなったので、希望する日に出来るかどうか微妙。この時期は引越しが多いので、数週間前から予約が一杯だったりするらしい。あと、はるばるテキサスまで荷物を送ると、届くまでけっこう時間がかかるらしい。現地についても荷物が届かなかったら不便だし、家も片付かない。それだったら、レンタルトラックを借りるか何かして、自分達で運ぶという手もある。さて、どうすべきか…。
- 2005−5−21(土)の午後
博士論文は一応英語チェックもやったし、謝辞も書いたし、フォーマットも自分で分かる範囲では指定通りにしたし、これで完成のはず。月曜日に大学院のオフィスに持っていってフォーマットをチェックしてもらって、問題がなかったら最終版を印刷して提出ということになる。提出する最終版は、透かしの入った高級な紙に印刷しなければならず、買うとけっこう高いのだが、前に先輩にもらった紙がまだ残ってるので、それを使う予定。
博士論文は、綴じずに提出するのだが、その原稿はその後大学からUMIという会社に送られてそこでマイクロフィルム化と製本の作業が行われ、約8ヶ月後に製本された論文が大学に戻ってきて、図書館に保存されるとのこと。その一連の作業にかかる費用は、論文提出のときに僕が払わねばならないのだが、まだ幾らだか分からない。大学院のウェブサイトを見ても、「最新の値段は問い合わせて下さい」としか書いてない。大した額じゃなければいいが…。
あと、引っ越し業者の予約がやっと取れて、水曜日に荷物を運び出すことになった。これから研究室を片付けねばならない…。
- 2005−5−26(木)の夕方
昨日の朝、引越し業者がやってきて、妻と僕の荷物を巨大なトラックに載せて行った。来週テキサスの新居で受け取ることになる。研究室もついに空っぽになった。住んでいた寮の部屋よりも、研究室のほうがずっと僕には思い出深い。
博士論文の方は、月曜日にフォーマットをチェックしてもらいに行ったら、けっこういろいろな点を指摘された。表や図の中の文字が小さすぎる箇所がいくつかあって、それを作り直す作業を昨日と今日やってた。なんとか明日中に最終提出したいものだ。これが受理されれば、「事実上」の博士から正真正銘の博士になれる。
- 2005−5−28(土)の深夜
昨日、僕の博士論文が正式に受理された。その瞬間、僕はフーッと大きく息をついて、様子を見に来ていた妻はパチパチと拍手してくれた。あとは大学内の事務手続きを経た後で「政治学博士」の学位記が郵送されてくることになる。
明日は僕の誕生日で、31歳になる。明日の朝、ついにミシガンを去ってテキサスへ向けて旅立つことになった。2日半の長距離ドライブを妻と運転を交代しながら行く。イリノイ州南部とテキサス州北東部でそれぞれ宿泊する予定。
住み慣れた街、愛着のある大学、多くの友達、そういうものを全て後にして新天地へ向かうわけだが、「去り難い」ような気持ちは今の僕には全くない。それはたぶん、大学院に入学して以来、毎年先輩達が就職を決めて去ってゆく姿を見てきて、「自分も続くぞ」という気持ちと、大学院とはそういう場所だという感覚をずっと持ち続けてきたためだろう。僕がここに来たのは、「夢の仕事」である大学教員になるためで、そして今その夢が現実のものとなった。今はただ嬉しくて仕方がない。
いろいろな人に、大学院留学成功の秘訣は何かと訊かれた。もちろんいろいろな要素があるし、実際のところ、運にも非常に助けられた。また、本当に多くの人からの助力を得られたことによって今の自分があることは疑いない。ただ、自分に関することで成功の秘訣が何だったかを考えたとき、最も大きな要因は、自分の目標について揺らぐことのない確信を持っていたことではなかったかと思う。
この6年間の大学院生活の間に、自分の研究の方向性について悩むことはよくあったけど、しかし、「博士号を取って研究者になりたい」という目標について疑いや迷いやためらいを感じたことは一瞬たりともなかった。それは断言できる。そして、そのことによって非常に助けられたと、大学院生活の途中ずっと考えていたし、今もそう思っている。
徹夜したりとか研究室に泊まったりとか、そういうツライときに、それでも結局自分はこっちの道に進みたいんだから、やらなきゃいけないことをやるしかないんだ、と考えることで、相当に精神的に楽になったと思う。それがもし、「こんな思いをしてまで自分は本当に研究者になりたいんだろうか?」と仮に思うようだったら、もっとずっと苦しかっただろうと思う。
そう考えると、僕の大学院留学の成功は、在学中の25〜30歳の間の努力だけでなく、それ以前の、特に19〜22歳あたりの時代に自分がひたすら「自分は本当は何をやりたいんだろう」と悩みに悩み、のたうちまわるように悩んだ日々(はるばるトンガやサモアやインドやパキスタンまで行って悩んだ日々)の成果でもあると言えるかもしれない。
さて、今日は出発前日で、研究室の最後の片付けやデータのバックアップにてんてこ舞いだったが、夜は友達と飲みに行った。そしたら、みんなが僕に内緒で僕の誕生日のお祝いも企画していてくれて、突然、31本のロウソクを立てたケーキがやってきてビックリした。僕に気付かれないようにみんなで記入したお祝いカードまで用意していてくれて、感激。楽しく飲んで帰ってきた。

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さて、長い間多くの読者の皆さんに支えられて続けてきたこの留学記も、今日で最終回ということになりました。連日400件以上ものアクセスにいつも勇気付けられ、メールや掲示板で頂く励ましのメッセージにいつも奮い立たされていました。本当にどうも有り難うございました。
ちょうど最終回というときに、嬉しいお知らせがあります。3年前に東京で開催したこのウェブサイトのオフ会で知り合われたというお2人が、なんと御結婚されたそうです。こんなに嬉しいことはありません。お2人には心からお祝いを申し上げたいと思います。いつまでもお幸せに!
この夏は2ヶ月ほど日本に帰りますが、忙しくなりそうなこともあり、ウェブの更新は休んで充電します。掲示板も休止します。8月の中旬くらいから、今度は新サイトでテキサス日記を書き始めますので、またどうぞ宜しくお願いします。新サイトのアドレスは、もちろんこの場所で告知します。
それでは皆さん、長い間のご愛読、改めて有難うございました。よい夏をお過ごし下さい!