留学記「大学院をミシガンで」
11月 < 1999年12月 > 1月
- 99−12−1(水)
発表はちゃんとできて、教授に褒められた。次の授業、先週提出したペーパーが返ってきて、意外にいい点数がついてきて、ビックリ(4点満点の3.5+)。自分ではとんでもない出来だと思ってたんだが。まあ、評価の甘い教授との評判だし。さらにその教授、そのクラスの最後のペーパーの〆切を一週間も延ばしてくれて、トロケそうなほどに嬉しかった。このままではどうなることか、と真剣に焦ってたので。そのぶん冬休みは短くなるけど、そんなことはこの際どうでもいい。
この大学のフットボールチームの監督が、ルイジアナ州立大に引き抜かれた。5年契約6億5千万円という天文学的数字。日本の大学スポーツからは想像もできない金額がアメリカの大学スポーツでは動いている。それよりも更に驚いたのは、その監督、昨日の朝それを発表して、その日のうちにこの大学を去って、ルイジアナで監督就任記者会見をしてるではないか。惜別の情とかいうものはないのか。だいいち、うちのフットボールチームは、元旦のシトラスボウルという大試合に出場が決まってるのだ。それを放り出して。あまりにもビジネスライクなやり方に、う〜ん、これがアメリカ式なのかなぁ、と考え込んでしまった。
- 99−12−3(金)
学期の14週目が終了。あと2週間で終わり。残ってる課題はペーパー2つとテスト1つだ。テストは教科書・ノート持ち込み可だからまだいいとして、2つのペーパーが相当にツライ。もうかなり疲労が蓄積してきているし、厳しい2週間になりそうだ。
- 99−12−4(土)
寮の部屋がどうも暗いのがずっと気になっていたのだが、思いきって大きな蛍光灯を買ってきた。$50の大出費だが、目と能率と精神安定のためだし、長く使えるものだから。学生として、投資すべきところへの投資だと思う。
夜9時ころ、寮が停電した。こんなのは初めて。窓から見える隣の寮も停電してる。廊下にでてみたら、非常灯はついていた。電気がないと何もできないものだ、と改めて実感した。友達と話したり、非常灯の下で勉強したりしてたが、なかなか直りそうもないので、すぐ近くの図書館に行って勉強。土曜の夜だというのに、大勢がまだ勉強してて、すごいなぁと思った。学期末だからかもしれないけど。12時頃に寮に帰ったら停電は直ってた。
- 99−12−6(月)
朝起きてブラインドを上げたら、地面が白くなっていた。これはこの冬初めて。どうりで昨夜寝るとき寒いと思ったわけだ。今日もずーっと勉強。急がないと間に合わない。
- 99−12−7(火)
授業の帰り道、夕方の暗がりの中を自転車でちょっとスピードを出して走ってたら、自転車に正面衝突してしまった。互いにけっこうスピードを出してたので、相手の女の子は地面に投げ出された。こっちは転ばなかったけど、脚と腕に数ヶ所の打ち身。互いに「こっちは大丈夫」と言ったので、すぐに別れたのだが、よく見たらこっちの自転車のブレーキペダルが曲がってしまってた。う〜ん、暗がりでの自転車の運転は気をつけよう。
- 99−12−8(水)
今日は一年生必修の「政治学方法論」の最後の授業で、先生のおごりで韓国料理屋に行った。サッポロビールがあって大喜び。韓国人の同級生が旨いものをいろいろオーダーしてくれて、みんなで喜んで食べまくった。でも、一番気が若かったのは、「昼飯を抜いてきた」と言う先生だった。先生は韓国や中国に出張で行ったことがあるそうで、箸も上手に使いこなしていた。さて、おごってもらった分、いいペーパーを提出しなければ・・・。
- 99−12−9(木)
この大学では、すべての授業で、学期の最後に学生が無記名の授業評価をすることになっている。日本で筑波大学にいたころは、やりたい先生が自主的にやるだけで、多くのクラスでは授業評価などなかったものだが、このあたりアメリカは先進的だ。今日は、自分がTA(ティーチングアシスタント)をやってるクラスの最後の授業だったので、用紙を配ったり、集めたりした。マークシート式で評価するのだが、裏面には好きなように感想を書くことができる。集めてから裏面をパラパラ見てたら、「この大学で履修した中で最高の授業だった」とか「友達みんなに勧める」とか、いい評価がほとんどだった。実際、この教授の授業はとても丁寧で、学生の興味をひくやり方だったと僕も思っていた。さらにパラパラみてたら、一枚、殴り書きで「Ko was an amazing attendance taker--a darn waste of our money」(コウは、クソ素晴らしい出席取り係だった--いまいましい金の無駄)というものが。教授の方針で、僕は教室の後ろで毎時間出席をとっていたのだが、学生からは無駄で嫌な存在だったのかもしれない。まあたぶん、何度も遅刻してしまって減点が避けられなくなった人の逆恨みなのだろうが、それでも、う〜んと考えてしまった。来学期も同じ教授のクラスでTAをやるのだが、もう少し遅刻を大目に見てやろうかな、とも。
- 99−12−10(金)
今日もずーっとひたすらペーパー書き。で、夕方5時から、政治学研究科のホリデー・パーティー(忘年会みたいなものか)があって、猛烈に忙しいのだが、教授陣や上級生との人脈作りも大事、ということで行った。「比較政治学入門セミナー」をいま習ってる教授と話してみたら、実はアフリカ育ちと聞いて驚いた。もともとイギリス人であることは知ってたのだが、今のジンバブエがイギリスの植民地であったころ、お父さんがそこの植民政府に勤めていて、そこで生まれたのだという。高校を卒業するまでジンバブエにいて、大学は本国のイギリスで行き、その後、アメリカの大学院に来たのだそうだ。ということは、もともとイギリス人でありながら、イギリスに暮らしたのは大学時代だけということ。で、アメリカに来たときにはもうアメリカに一生暮らす気でいたそうで、実際、アメリカ人の奥さんと結婚して、今はアメリカ国籍になっている。ヨーロッパ人にはアメリカをバカにする人が多いと思っていたのだが、この教授は別で、アメリカ社会がオープンなことを力説していた。「自分のような移民一世でも社会にまったく溶け込めているんだ」、と。まあ、それは彼がイギリス系であることが大きな要因だと思うが。僕に進路はどうするんだと訊いてきたので、「アメリカの大学に5年か10年くらい勤めて、それから日本の大学に戻りたいと思ってます」と答えたら、「10年いたら一生いるだろうよ」とのこと。
帰って、酒が入ってるのでとりあえず寝て早く起きて勉強しようと思ってベッドに入ったのだが、夜中の2時ごろ友人から電話がかかってきて起こされた。「まだ2時だから起きてると思った」と。学期末はみんなそんなものかもね。僕のような朝型人間は例外なのだろう。で、それで完全に目が覚めてしまったので、起きて勉強。朝の5時までやって寝た。
- 99−12−11(土)
月曜日〆切のペーパー(例のアフリカ育ちの教授のクラス)、本当は昨日のパーティーの前までに終わらせるつもりだったのに、冗談じゃなかった。なかなか進まなくて、このままじゃ〆切に間に合うかどうかもあやしい。月曜には統計学のテストもあるので、そのペーパーはさっさと終わらせる予定だったのだが。
- 99−12−12(日)
なんだか、疲労の蓄積がかなりの段階に達しているようで、ときどきやたらと身体がダルくなる。夜9時すぎ、起きていられなくなって、3時間くらい仮眠した。あとは朝までペーパー書き。朝6時過ぎ、やっと完成して、寝た。
- 99−12−13(月)
2時間くらいの仮眠で起きて、今度は統計学のテスト勉強。しばらくやってなかったのでけっこう忘れてしまってた箇所があって、焦った。昼飯をはさんでずっと勉強して、3時からTAのクラスの試験監督をやって、5時から統計学のテスト。まあ、思ったより簡単で、けっこうできた。さて一段落だ。あとは金曜〆切のペーパーひとつ(8日におごってくれた教授の)。とりあえず今夜はゆっくり寝よう。
- 99−12−14(火)
9日に「いまいましい金の無駄」と書かれた話の続き。昨日、そのクラスの期末試験があって、マークシート式なので、昨夜のうちに採点センターから各学生にEメールで結果が届けられた。今朝起きたら、学生の一人からメールが来ていて、「テストでいい成績をとったのだが、出席点で減点されると総合評価が3.5から3.0に落ちてしまう。自分の目的のためには3.5がどうしても必要だ。こんなに頑張ったのに、出席点のせいでいい成績がとれないというのはフェアじゃないと思う。なんとかならないか、云々」とのこと(この大学は4.0満点の0.5点きざみの評価法を取っている)。「成績を決めるのは教授であって、俺は出席状況のデータを教授に渡すだけだ。フェアじゃないと思うなら教授にそう言え」と返事を書いた。(翌日教授に会ったとき訊いたら、この学生は何も言ってこなかったそうだ)
一般的に、アメリカの大学では学生は成績にとてもこだわる。日本の大学では、授業の成績は本人の満足以上の意味をほとんど持たないが、アメリカでは大学時代の成績というのが一生ついてまわるのだそうだ。履歴書にも当然書くし、終身雇用じゃなくて転職が多いから、その都度関わってくる。その事情はわかるのだが、期末テストが終わってから個人交渉でなんとかしようとする神経、あげくの果てにそれをフェアじゃないとまで言う、呆れてしまう。学期の初めに、5回以上の欠席は減点になる、と教授から説明があったのに。それを知って自分でサボっておいて、なぜ最後に焦るんだろう。彼だけではない。学期の後半になってから、僕のところに自分の出席状況を訊いてくる学生が多くいたが、減点対象に入ってしまった学生はみんな驚いて不機嫌になっていた。その幼稚さには驚くばかり。
金曜日提出のペーパー、壁に突き当たってしまって、構成がまとまらない。なんだか頭痛がしてきたので、早く寝た。
- 99−12−15(水)
月曜日の統計学のテストは94点がとれて、学期の総合評価も4.0ゲット!15人中2位の成績だったそうだ。よっしゃよっしゃ。
あさって〆切のペーパー、ようやく構成がまとまって、急いで書き始めた。夜中の2時まで。
- 99−12−16(木)
〆切前日。どうやら間に合いそうな見通しがたってきたら、途端にペースが落ちてしまった。ゴールの見えた安心感からか、かなりダラダラしながらやった。これが今学期最後の課題だから、「早く終わらせて次へ」ということもないので、そうなってしまったのだろうか。早く終わらせれば寝れるのに、そう思っても気合が入らない。結局朝の6時まで。
- 99−12−17(金)
3時間だけ寝て、また書き始めた。今日もダラダラが抜けない。まったく、最後の締まらない男だ。夕方5時ころに完成して、教授にメールで送信、ハイ、終了。大学院第一学期目の長かった16週間のゴール。久しぶりのビールを飲みながら、ペーパー書きで散らかった部屋、散乱する本や資料やメモの山を片付けた。
- 99−12−18(土)
冬休み一日目、さっそくテレビを購入。この学期中、あまりにも世の中からかけ離れた生活になってしまってたが、社会科学を学ぶ者が社会に疎くなってしまってはいけない。まあ、実際はニュースよりスポーツ番組を見ることが多くなるのだろうけど。
- 99−12−19(日)
同級生の一人と、卓球をして遊んで、ビールを飲んでいろいろしゃべった。でも、彼もあさってにはケンタッキーの実家に帰ってしまう。冬休みにここに残る学生は珍しいらしく、寮もかなり静かになった。食堂も閉まったので、米を炊いてキムチとか缶詰とかで食う生活。
- 99−12−21(火)
8月のTAオリエンテーションのときに同室だった沈源くん(中国人留学生)のアパートに遊びに行った。たまにメールで連絡をとっていたのだが、学期中はお互い忙しくて会う暇がなかった。僕がビールを持っていって、彼が中華料理を作って、さらに、オリエンテーションで一緒だった中国人4人も遊びに来て、6人で大いに飲んで食べた。缶詰を食べたりしてた日々に、中華料理はたまらなかった。
- 99−12−22(水)
今日は一日中、雪が降っていた。で、この冬初めて雪が積もった。まったく、一日の最高気温がマイナス七度とかなんだから嫌になってしまう。今日は寮から外にでなかったからよかったけど、食糧の備蓄(缶詰!)が底を尽きたので、明日は買い物に行かなくては・・・。
- 99−12−23(木)
秋学期の成績が判明した。統計学が4.0だったけど、他の2つは3.5(4点満点)。まあ、良くもなく悪くもなく、という感じか。大学院生の平均的な成績ってこのくらいだろうか。
バスに乗って買い物へ。バス停まで歩く間、耳がちぎれるかと思うほど寒かった。故郷の新潟とも比較にならないほどの寒さだ。昨日積もった雪が靴の下でキュッキュッと音をたてるが、これは気温の低い証拠である。スキーには最高の雪だけど、人間の生活する環境としては寒すぎる!
スーパーで、缶詰を30個ちかくも買い込んだ。アメリカには、ビーフシチューの缶詰とか、レンジだけでできる食べ物がたくさんあるので、料理嫌いの僕には便利この上ない。栄養が足りないと思ったので、ビタミン剤も買った。しかし、愚かなことに、パスポートを持ってくるのを忘れたのでビールが買えなかった。21歳以上ということを証明するものを提示しないといけないのだが、僕は運転免許を持っていないのでパスポートが必要になるのだ。普段持ち歩くものでないので、ついつい忘れてしまう。あ〜、頭に来る。
夜、うちの大学のバスケットチームが強豪のケンタッキー大との対戦で、ビールを飲みながらテレビ観戦する予定だったのに、ビールが買えなかったせいで予定変更。棚から秘蔵のウイスキーを出して、飲みながら応援。ケンタッキー産のウイスキーなのは何かの因縁か。試合は大接戦の末、2点差で負けてしまった。ぐぎぃ〜〜。
- 99−12−24(金)
アメリカにはキリスト教徒以外の人口もそれなりに多い。そのためだろうけど、「メリー・クリスマス」の代わりに「ハッピー・ホリデイ」という言葉が使われることがよくある。これならどの宗教の人に言っても大丈夫、ということだろう。テレビを見ててもよく使われるし、昨日行ったスーパーのレジ係の人も僕にそう言った。
これは、少数派が尊重されているということと同時に、少数派の側が「自分たちは違うんだ」としっかり自己主張しているということでもあるのだろう。日本社会の少数派は黙ってしまう傾向があるが。
僕もやはりキリスト教徒じゃないから、「ハッピー・ホリデイ」と言うことにしている。どうでもいいといえばどうでもいいことなんだけど、違いをはっきり主張するアメリカの少数派のあり方をカッコいいと思うので。だから、今日も明日も特に何もしないで普通に過ごす。まあ、友達がみんな帰省してしまって一人ぼっちなので、何かしたくてもできないんだけど。
- 99−12−25(土)
とりあえず、運動不足だ。寮から外に出ないどころか、下手をすれば部屋から出ない日もある。日本にいたころは、水泳とかジョギングとか筋トレとかを毎日のようにしてたのに、ここに来てからは授業が忙しくて、何もできなかった。せっかく冬休みになったのだから、いまのうちに運動しておかねば(ってのも変だけど)。
とはいえ、氷点下の外に走りにいくのは嫌だし、寮の中にトレーニングルームもない(寮の向かいにスポーツ施設の建物があるのだが、クリスマス休み中)。で、寮の階段を利用することを思いついた。この寮は地上7階・地下1階あるので、階段の昇り降りはいい運動になりそうだ。さっそく準備運動をして(かなり念入りに)、階段を昇り始めた。7階まで昇って、地下まで降りて、そうしてるうちに調子がでてきて、駆け足でタッタッタッとやった。30分くらいそんなことをして(誰かに見られたらかなり異様だが、みんな帰省してしまってほとんど無人の寮だからよかった)、部屋に帰って今度はスクワット・腕立て伏せ・腹筋をやって、フ〜〜ッ、といい感じ。
しかし、缶詰の食事をしていて運動の効果があるのかどうか、それは疑問。
- 99−12−27(月)
23日に買えなかったビールを今日こそゲットすべく、バスでスーパーへ。今日はしっかり持ってきたパスポートをレジの人に提示したら、レジのお姉ちゃん、しばらくそれを見つめたあと、内線電話で誰かと話し始めた。「いまからボスが来るからちょっと待ってて」とのこと。ハァ?俺のパスポートに何か問題でも?
一分ほど待ってたら中年の男性がそのレジに来て、僕のパスポートを見て、お姉ちゃんに何か指示していた。「USビザが云々・・」という言葉が聞こえてくる。で、パスポートのビザが貼ってあるページを開いて、ビザ番号か何かをレジに打ち込んでいた。それで無事に買えたのだが、しかし、僕のビザ番号を記録したのだろうか?何のために?ビザの無い観光客にはどうするんだ??
アメリカはアルコールの販売に厳しい。21歳以上であることを証明しないといけないのだが、店によっては、パスポートでもダメで、その州の運転免許証以外は認めない、というとこすらある(かと思えば、場所と店によってはまったく身分証明を求められないところもあるのだが)。それだけ、未成年の飲酒が社会的に大きな問題なんだろう。逆に、沈源が言ってたのだが、中国では年齢制限の法律自体がないのだそうだ。面白いものだ。
- 99−12−28(火)
工事だか点検だか知らないがとにかく、今日の朝8時から午後4時まで寮が断水するとのこと。ってことはトイレも水が流れないんだろうし、そんなとこには居られない。図書館に行くことにして、8時までに朝飯を終わらせるべく、7時に目覚ましで起きた。久しぶりの早起き。
しかし、こんな年末になっても、図書館にはけっこう人がいるので驚いた。年齢層が高いみたいだったから、院生か教官が多いのだろう。ふと思い立って日本文学のコーナーに行ってみたら、けっこう本が揃ってて感心した。日本語のものも英訳モノも。で、三島由紀夫が69年に東大全共闘とした対論の本(日本語)を見つけて、しばらく読み耽った。なかなか。それから、大好きな村上龍『69』の英訳があって、あの表現はどう訳されてるんだろうとかパラパラ見てた。本当は他にいくつか調べることがあったのだが、そんなことをしてるうちに夕方になってしまった。関係ないことに時間を費やしてしまういつものパターンだ、くそ。
- 99−12−29(水)
年越しが近づいてきて、コンピューターの2000年問題は大したことなさそうだという雰囲気になってきているが、しかし、テロの脅威は減っていない。今週号のTIME誌が言うには、伝統的なテロが服役中の同士の釈放とか金とかの直接の利益を目標にしていたのに対し、最近のテロは、とにかく多くの人を殺し、多くの人の注目を集めることを狙っているという。とりあえず、アメリカは世界中のテロリストが標的にする国である。千年紀の節目でお祭り騒ぎのあさっての夜こそが一番危険だ。2週間ほど前に、カナダ国境から爆発物を車で持ち込もうとしたアルジェリア人が逮捕された。今日のニュースでは、カリフォルニア州で警察の倉庫から大量のダイナマイトと火薬が盗まれたとのことである。テレビのニュースも毎日、年末のテロについてのニュースを流している。
シアトル市はテロの脅威から、大晦日の夜のカウントダウン・イベントの中止を発表した。ニューヨーク市長はそれを「テロリストに屈するものだ」と批判して、200万人を集めるというタイムズ・スクエアでのカウントダウンを断固実施するとした。さて何が起きるのか、起きないのか。
ニュージーランドが2000年に入るとき、ここはまだ大晦日の朝7時だ。CNNは朝4:30から特番を始めるとのこと。僕は一日中テレビとインターネットで様子を見守ることにしよう。それにしても、地球上の人類以外の動物たちにはいつもと同じ只の一日だろうに、人間は非常食を買ったりとかコンピューターが狂うと騒いだりとか、滑稽に見えることだろう。あさってが1999年12月31日だというのは人間が勝手に決めたことであり、そのために人間が危機に陥るとすれば、これほど愚かなことはない。
- 99−12−30(木)
たまの栄養補給のために、中華料理の食べ放題の店に行って昼飯。昼は$6で食べられ、けっこう種類も多いし、デザートとかもあるのでお気に入りだ。昔は、食べ放題の店に行ったらいつも、後で気持ち悪くなるほどまで食べたものだが、最近は適度で止めておけるようになった。成長しました。
明日は一日中呑んでるつもりなので、柿の種とかピーナツとかのツマミを買ってきた。ビールはこないだまとめ買いしたばかりだし、チビチビ飲んでるウイスキーもまだけっこう残ってる。さらに、8月に日本から持ってきてまだ開けてなかった秘蔵の日本酒を明日はついに開ける。年越しソバの代わりの「サッポロ一番味噌ラーメン」も買ったし、年越しの準備は万端。
- 99−12−31(金)・・・その1
朝起きたらニュージーランドはすでに2000年になっていた。朝飯も食わずにビールを飲みながらCNNの特番を見る。エリツィンは辞任するし、インド機ハイジャックは解決するし、大ニュースの続く大晦日。午前10時、日本が午前零時になった。その直前ころ、あるインターネットの匿名掲示板は書き込みが殺到して、サーバーがかなり不安定になっていた。どの書き込みも「2000」とか「おめでとう」とかの文字が並び、みんな考えることは同じなんだな、と思った。
「ミレニアム切り替わりの瞬間、どこで何をする?」ということが今年の後半はよく話題に上っていたし、多くの人は、その「歴史的瞬間」をどう過ごそうかいろいろ考えていたことだろう。でも、なんだか僕にはその騒ぎがひとごとに見える。自分の祖国である日本の「瞬間」といま自分が住んでるところの「瞬間」が14時間も離れているせいだろうか、テレビで一時間ごとに各国のカウントダウン騒ぎを見るせいだろうか、なんだか、1999から2000に変わることに対して自分の気持ちが盛り上がってこない。「世界で一番に2000年を迎える国」がどうのこうのという騒ぎはかなり滑稽に見える。「だからどうした」くらいの感じ。
よく知られているように、21世紀は2001年からである。西暦が1年から始まっている以上、それはそうだろう。では、なぜミレニアムは今日切り替わるのだろう?来年の今日は「世紀の変わり目」ということで同じような騒ぎをもう1度やるのだろうか?なんか、マスコミや観光産業に世界中が乗せられてるような気がしてならない。
- 99−12−31(金)・・・その2
大晦日も午後9時半をまわり、いよいよ今年も終わりだ。海外での年越しはこれで3回目。1回目は、大学を休学してバックパッカーをやってた4年前、インドのブッダガヤーだった。チベット難民がやってる安レストランでチベット風ラーメンを食べて年越しソバのつもりにした覚えがある。2度目は2年前、交換留学でニューヨーク州の片田舎の大学にいたとき。冬休みはマンハッタンの先輩のアパートに居候してて、大晦日はタイムズスクエアのカウントダウンに行った。
今年は自分にとって大きな年だった。8月にここに来て、大学院生活を始めた。予想通り、過酷な勉強の日々だった。でも幸いにも、1度熱を出した以外は大きく体調を崩すこともなく、成績もなんとか及第点をとって最初の学期を終えられた。
はっきり言えば、ここの日々は楽しくなんか全く無い。苦しく、つらい。でも、幸せだと思う。
徹夜の連続で、週末もずっと勉強。いつも何かの締切りに追われていて、気の休まる暇がない。そんな生活だった。でも、ペースが速いだけであって、自分は基本的には自分がやってるような勉強が大好きなのだ。好きなことを金を貰いながらやっているのだ。それに、自分の将来の目標(政治学者になること)に対して直線上にいる。これが幸せでなくて何が幸せであろうか。楽しいかどうかなど問題ではないのだ。
今年もあと2時間だ。さて、秘蔵の日本酒を開けることにしよう。。。
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