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自己紹介/このサイトについて
このウェブサイトは、米国テキサス州の州立大学にて政治学部のアシスタント・プロフェッサーとして勤務する筆者の日常を同時進行でお伝えするものです。日本人の駆け出し研究者がアメリカの大学で奮闘する様子が、読者の方々の何かの参考になりましたら嬉しいです。このサイトは、筆者が大学院在学中に書いていたウェブ日記「大学院をミシガンで」の続編です。
  
名前:前田 耕(まえだ こう)
霊長目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ヒト属。34歳。♂。
性質温和・人畜無害・暴飲暴食。
生年月日:1974(昭和49)年5月29日
職業:政治学者
サイト名に「ファンキー政治学者」とありますが、それは私がミシガン州立大学での大学院時代に、同僚達から「ファンキー・コー」というあだ名をもらっていたことに由来します。「ファンキー」とは結局どういう意味なんだ、とみんなに尋ねても、「お前みたいな人を言うんだ」と言われるばかりでしたが、自分でそのあだ名は気に入っていました。
ファンキーにテレビ出演(全米生中継)。
2005年に、大学院を卒業して今の大学に就職してきました。寒いミシガンから暑いテキサスへ引越して、環境がガラリと変わりました。さすがにアメリカは広いです。
テキサスに来て、早速ウエスタン風の服を揃えました。
それから、大学院卒業直前の2005年3月3日に結婚しました。

大学教員が具体的にどういう仕事をしてるかというと、論文を執筆して発表する、授業を教える、大学や学部の運営に関わる業務をこなす、の3種類が主なものです。うちの学部では、各教員が通常は1学期に2コースを教えます。アメリカの大学では普通、新採用の教員は5〜6年後までにそれまでの業績が評価される審査を受けます。その審査に通れば「終身在職権」(テニュア)を得られますが、落ちれば1年後に解雇されるので新しい職を探すことになります。そこが研究者人生の最大の関門になるわけです。
 | 学会参加のための出張もあります (ニューオーリンズのストリップクラブ前にて)。 |
[ 生い立ちから現在まで ]
- 1974(昭和49)年5月29日午後7時に誕生。3500gの健康優良児。
- 山ザル時代 新潟県岩船郡関川村・大石川上流の山あいの集落「鮖谷」で6歳まで育つ。4歳のころ、猿に頭や手をかまれて大ケガを負う。自然と野生に囲まれた幼年期。
- 天真爛漫時代 関川村の隣の荒川町に引越し、保内小学校に入学。田んぼの間の水路でザリガニを採ったり、稲刈り後の田んぼで野球したりと、相変わらずの野生児。毎年夏休みにはどこまで黒くなれるかに命をかけた。
- 続・天真爛漫時代 荒川中学校に入学。柔道部に所属するが、弱かった。生徒会長を務め、成績も良かったが、いま思うと、例えば人間関係のようなことには全く頭が回らない無邪気な子だった。夏休みの俳句の宿題で「宿題が できないうちに 登校日」と詠み、学校代表の一つに選ばれ全国コンクールに出品。政治好きの祖父の影響から、新聞やテレビの政治のニュースを好んで見るようになり、税務署が募集した「税金標語」に、「ついに出た 天下の悪税 消費税」と書いて送った。
- 沈潜時代 県立村上高校に入学。いきなり「人間関係」のむずかしさという現実を知り、天真爛漫時代が終わり、人見知りになる。それでも目立つことは好きで、一年生の運動会の仮装行列ではクラスの男子全員を先導して本部テントに向かって尻を出し、教頭をムッとさせる。しかし途中で、自分は大学に入ってから本領を発揮するんだと心に決め、受験勉強に励む。友達も多く、楽しいこともたくさんあった高校時代だが、やはり自分の中では受験勉強中心だった。猛勉強の結果、3年の夏までは誰がみても無理だった唯一の志望校・筑波大学に現役合格。

- 大爆発時代 93年、筑波大学第三学群国際関係学類に入学。勉強に遊びに大爆発を開始。毎晩のように宴会で暴れまわりながら、図書館に足しげく通った。つまらないと思った授業は躊躇なくサボり、図書館で本を読んでいた。先輩や後輩にも異常に顔が広く、「なぜお前はそんなに人を知ってるんだ?」とよく訊かれた。2年生の学園祭では「ミスター筑波コンテスト」「ダンスコンテスト」の二つで優勝。また、自慢の大食いを生かして大学周辺の「時間内に食べ終わるとタダ」関係の店を荒らしまわり、シェーキーズのピザ早食い大会でも優勝。

- バックパッカー時代 大学入学以来自分の中に溜まってきたさまざまな疑問や悩みがついに臨界点に達し、一年休学しての海外流浪の旅に出ることを決意。肉体労働のバイトで必死に金を稼ぎ、95年5月から翌年2月まで、単身でオセアニア・アジアの11か国を歴訪。
- 勉強時代 帰国して、一年遅れの3年生をスタート。旅行中に得たとりあえずの結論から、政治学の勉強に集中する。相変わらず社交的ではあったが、自分の中で常にメインは政治学だった。政治腐敗・選挙制度・アフガニスタン内戦・南アジアの国際関係・比較政党システム・パキスタン政治などのさまざまなテーマに手をそめたが、いま思うとかなりカラマワリしていた。

- アメリカ交換留学時代 ある先生の勧めでアメリカに一年間の交換留学にいくことを決め、ニューヨーク州立大オスウィーゴ校に留学(97年8月〜98年5月)。相変わらずバカなことをたくさんやったが、勉強も頑張り、2学期めには全科目でAをとった。大学入学以来の悩みだった英語力のなさをとりあえず克服。
- 大学院受験時代 帰国して98年7月に特例的に筑波大学を卒業。アメリカの大学院に進学することに決め、新潟の実家で受験勉強に励む。受験終了後は、白馬の民宿に住み込みバイトに行ったり、読書に耽ったり、インターネットで遊んだりしてノンビリと過ごす。

- 大学院時代 99年8月12日に渡米、ミシガン州立大学大学院政治学PhDコースに入学。単純で適応力のある性質なので、ひたすら勉強漬けの日々にもだんだん慣れた。アメリカの食事もそのうち好きになった。大学院3年目に修士号取得、4年目にコンプ合格、5年目に博士論文プロポーザル承認、6年目に就職が決定し、結婚し、博士論文が完成し、卒業。
- 現在 2005年5月に夫婦でテキサスへ引越し、8月から大学教員として働き始める。2007年7月に長男誕生。
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