パスー村からは氷河まで日帰りで行ってこれる。氷河はキラキラして綺麗だったし、遠くの山の眺めも絶景である。中国から一緒に山を越えてきたNさん・Oさんと。
涼しかったカラコルム山脈からパキスタンの平野部に下りると、一発で体調を崩してしまった。暑く、ほこりっぽく、人であふれかえった街の混沌としたエネルギーに打ち負かされた。身体と心の両方が夏バテしてしまった。暑くて何も食べたくないし、下痢が止まらない。宿から外に出たくないし、出る元気もない。こんなときにビールがあれば元気がでるのに、と思ったが、イスラム教国のこの国は禁酒である。何日もひどい下痢が続き、このときは真剣に帰国を考えた。
最も好きな街・ペシャワールのバザール。顔を隠した女性・ライフルを持った警官に注目。
どの国でもどの街でも、僕はバザールを歩くのが好きだった。活気があり、人々の普段の生活と営みがあり、珍しい食べ物があり、ときには驚くような物を売っていたりして、飽きることがない。そのなかで、インドや中国新疆のバザールも良かったが、パキスタンのバザールは特に最高だった。ラワルピンディのラジャ・バザール、ラホールの旧市街、そして、とびきり気に入ったのが、ペシャワールのバザールだ。僕は毎日ひたすらバザールを探検した。バザールだけのために滞在を伸ばしたほどだ。狭い路地が複雑に入り組み、何回行っても迷ってしまう。それがまた楽しい。
パキスタンでは外国人は珍しいので、興味を持った店の人が、通りかかった僕を店に呼ぶことがある。客が少なくて暇だった電気屋のおやじは、近所の茶店から紅茶の出前を取ってくれて、二人でしばらく話し込んだ。二人ともブロークンな英語だったが、日本とパキスタンの経済格差やら、物質的価値と精神的価値の問題やら、真剣に、そして楽しく議論した。
ヒモを張ったベッドを作っている小さな作業所にも呼ばれた。親方が多少の英語を話すだけで他の職人とはほとんど言葉が通じなかったが、それでもニコニコニヤニヤの表情のやりとりで、気持ちが伝わる気がした。ここでは昼飯までごちそうになり、日本に帰ってからも写真を送ったり、何度か手紙のやりとりをしたりした。
バザールにはピストルのホルスター屋もある。「お前の銃のサイズは?」と訊かれて困ってしまった。実際に銃を持ってきてサイズを合わせて買ってる客もいた。
パキスタン人はとても親切である。思い出に残る親切を何度もうけた。インドに比べて観光客が少なく、観光地ズレしてないこともその理由の一つだろう。
旅行者は少ないのだが、その少ない旅行者は猛者ぞろいである。「もう何年も日本に帰ってないなぁ」と言うような人がゴロゴロしている。この国は中国・イラン・インドの3ヶ国に陸路で国境を越えられるので、アジアを旅するバックパッカーの十字路となっている。ラワルピンディのポピュラー・インという安宿にはそのような若者がつどい、格好の情報交換の場である。(しかも宿のおやじがタダでマ○○ァナをくれる。)
ラホールのバードシャーヒー・モスク。民族衣装のシャルワール・カミースを着て。
僕は、どの国でも遺跡や博物館のたぐいではあまり感動するものに巡り合わなかったが、ラホールではすごいものを見た。ラホール博物館の目玉である、「断食するブッダ」像である。展示物を見ながら館内を歩いていて、この像の前に来たとき、像から発せられるオーラのようなものに、身体が揺れた。2世紀前半の作といわれるこの仏像は、断食でひどく痩せこけたブッダが座禅している像であるが、表情も、身体つきも、すべてに迫力があり、そして何より、カタチの問題ではない、魂のようなものが波動になってこっちの胸に響いてくる。声もなく立ち尽くして、しばらくの間みつめていた。仏像とはこういう物かと思った。
10月25日、陸路で国境を越え、もっとも楽しみにしていた国・インドに入った。最初の街・アムリットサルはシーク教の聖地であり、総本山のゴールデン・テンプルがある。シーク教徒は髪とヒゲを伸ばし、頭にターバンを巻く。他のインドの宗教と違って肉食にタブーがないので、体格がいい。
シーク教徒の巡礼者とゴールデン・テンプル。
ゴールデン・テンプルには巡礼者のための無料宿泊施設(ただしザコ寝)があり、異教徒でも泊めてくれる。さらに、食事までタダで食べられる(もちろん寄付は期待されているが)。シーク教徒は海外で成功している人が多く、彼らの莫大な寄付でまかなっているのだそうだ。食堂は体育館のような大きな建物で、頭を覆わなければならないのだが、ターバンを持ってないのでバスタオルを巻いて入った。信者と一緒に並んで座り、係の若い信者が配って歩くチャパティ(薄いパンのようなもの)とダール(豆のカレー)を頂き、全員で「サテェナァーン、カヘェグルゥー」とお祈りを唱和して、食べた。味自体はそんなにたいしたものではなかったが、何というか、異教徒の訪問者までもてなしてくれるシーク教の心意気、温かさにとても嬉しくなった。
インドは、もっとも長く滞在した国で、もっとも印象深い国である。インドは、広く、深い。さまざまな民族、宗教、言語が混在し、インド文明の栄華と凄まじい貧困が同居している。
タージマハール。背筋が寒くなるほどに美しかった。
聖地バラナシのガンジス川。ここで沐浴することはヒンドゥー教徒の一生の願いであり、最大の喜びといわれる。(この街については詳しい旅行記があります)
ブッダ入滅の地・クシナガルにある、ニルバナ・テンプル。
インドを旅する途中、ネパールに2週間ほど立ち寄った。ネパールは観光客が非常に多く、インドよりもコギレイな国だ。しかし、インドに慣れた身には、少し物足りない感じもした。
カトマンズ。ネパールには寺院や祠などが非常に多い。
スワヤンブナート・ストゥーパ。ブッダの眼が世界を見つめる。
ブータンにもわずかに入った。ブータンはヒマラヤ山中の小王国で、個人旅行者の入国を認めていないが、国境の街・プンツォリンまでは入れる。ブータン人の顔つきは日本人と全く同じでびっくりした。「似ている」というようなものではなく、同じなのだ。彼らは日本の着物に似た民族衣装を着ているので、昔の日本に来たような錯覚がした。
ブータンの寺院。ブータン人はチベット仏教を信仰する。
ブータン料理は想像を絶する辛さだった。インドとチベットの両方の影響を受けているらしいのだが、どっちよりもはるかに辛い。スープに入っていたピーマンを食べたら、実は青唐辛子だったりした。ブータン料理は世界ではほとんど知られていないが、もしかしたら世界一辛いかもしれない。
山岳民族・ドォーヤ族の村を訪ねた。彼らは猿を食べるらしい。
インドに戻り、北東部へ進んだ。北東諸州には少数民族が多く住み、政治的に不安定なために、外国人旅行者の入域が禁止されていたが、僕が行く少し前にアッサム・メガラヤ・トリプラの3州が開放された。喜んで行ってみたが、確かに少数民族が多く、日本人のような顔つきの人もいた。観光地ズレしていないので、とても気持ちよく旅行できた。
アッサム州グワハティのウマナンダ寺院。普通、修行僧は写真を取られることを嫌がるが、この人は快く応じてくれた。
カルカッタからビハール州に向かい、ブッダが悟りを開いたブッダガヤで96年の正月を迎えた。ムンバイ(ボンベイ)方面へ向かおうと1月2日、駅で電車に乗り込んだときに、腹に巻いていた貴重品袋をスリにやられ、パスポート・トラベラーズチェック・現金・帰りの航空券を失った。正月早々ついてない。カルカッタに帰って、もろもろの手続きに追われた。
[教訓] どんなに用心してても、プロにかかってはおしまいです。貴重品の管理には細心の注意を払うべきですが、同時に、万一やられたときのための準備もしておくべきでしょう。例えば、金は何ヶ所にも分けておくべきですし、大使館・領事館や保険会社の連絡先のメモをいくつも作っていろんなところに持っておくといいです。大事なことは、どんなに自信のある持ち方をしていても、常にそれを盗まれる可能性を頭に置いて備えておくことだと思います。
僕の経験上、首からぶら下げておく型の貴重品袋はわずらわしくて良くないです。それに、薄着をしているときはそこに貴重品袋があるのがバレバレになります。やはり腰に巻く型がいいと思います。それから、靴の中底の下に、ある程度の現金とパスポートの最初のページのコピーを入れておくと安心です(普通、パスポートがないとトラベラーズチェックを換金してもらえない)。
カルカッタにしばらく滞在したあと、南インドへ向かった。
インド国内の交通には、バスと鉄道がある。近距離の場合(僕は7時間以内を目安にしていた)は本数の多いバスの方が便利だが、長距離になると、鉄道の方がずっと快適だ。インドの鉄道は昔に比べてものすごく便利になったと聞いた。都会の駅では発券にコンピューターが導入されているし、4大都市には外国人専用窓口まである。しかしそれでも、田舎では苦労した。ある駅の窓口にはヒンディー語の表示しかなく、どっちの窓口に行けばいいのかわからなかった。しかも、駅員に英語が通じないこともあった。
インドの列車は、1号車・2号車・3号車と順番に連結されているとは限らず、全然メチャクチャな順序でつながっていたりする。始発の駅だったらゆっくり自分の車両を探せるが、途中の駅から乗るときはそうはいかない。しかも、車両と車両のあいだは行き来できなくなってるので、乗車時に確実に自分の車両を見つけて乗らねばならない。だから、停車時間の短い田舎の駅の場合は悲惨である。重いバックパックを担いだままでホームを必死に走りまわって探すのだ。無事に乗ったときは本当にホッとする。
マドゥライのミナークシ・テンプル。南インド式ヒンドゥー寺院の典型。
南インドは北部に比べて観光地ズレの度合いが低く、また、食べ物も旨かった。北のカレーも大好きだが、南のカレーはまったく違った味わいで、平均的な日本人の口には南の方が合うだろう。また、北インドでは紅茶(チャーイ)がよく飲まれるのに対し、南ではコーヒーの方が主流だ。チャーイと同じく非常に甘ったるいのだが、慣れてくると、ウマイ。
コーヒー屋。一杯2.5ルピー(7.5円)。
インド最南端・カニャークマリでの日没。ベンガル湾・インド洋・アラビア海の3つの海が交わるところで、ヒンドゥー教の重要な巡礼地である。日の出・日没の時刻には多くの巡礼者が海岸に集まって太陽を拝む。
ケララ州南部は無数の川や入り江を使った水上交通が盛んであり、船に乗ってみると人々の暮らしが見えて面白い。
約2週間かけて南インドをぐるっとまわって、2月5日、カルカッタに戻ってきた。カルカッタはもう慣れた街だ。駅からバスに乗って、もう馴染みになったホテル・パラゴンに帰った。宿の前にいつもいる絵葉書売りにも「オカエリ」と言われた。
日本を出て269日目、あとは日本へ帰るだけだ。あと3日で日本かと思うと、なにやら不思議な気分になる。日本を発った日のことがかなり昔のような気がする。楽しかったし、様々な経験をしたし、いろんなことを考えて、学ぶことも多かった。新品だったバックパックもうす汚れてきた。
残りの2日間は、インド料理をたらふく食いまくって、カレー粉やら民族衣装やらを買いまくって過ごした。
96年2月9日、成田空港に到着した。ビーマン・バングラデシュ航空を使うと、カルカッタから片道3万5千円で日本へ帰れる。そのかわり、飛行機の中を蚊が飛んでいた。
暑かったインドから帰った2月の日本は寒く、その日のうちに風邪をひいた。
○旅行記の先頭
1、出発の記
2、南太平洋編
3、東アジア編
4、南アジア編
○「旅行の技術」
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