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旅行記〜11ヶ国・273日の記録


■■南太平洋編■■


 オーストラリアは、はてしなく広かった。どこまでも続く砂漠の一本道をバスはひた走る。360度全てが地平線だ。赤い土、枯れそうな草と低木、そして道路。それしかない。バスは猛スピードで駆けるが、行けども行けども景色は変わらない。

 いったい、自分の知らないところにこんなものすごい世界があったかと思うと、大学の教室で居眠りしていた時間のことがなんとももったいなく思えてくる。この世界のことを知らずに自分の進路を決めることはできなかった、決めなくて良かった、とつくづく思った。しかもまだ日本をでて9日目、この先どんな世界を見ることができるのだろう。うれしくて、震えてきた。

ウルル(エアーズロック)山頂にて。

 オーストラリアに10日間滞在し、5月27日、飛行機でフィジーへ飛んだ。フィジーは南太平洋の島国の中でリーダー的な地位にある国である。イギリス植民時代に労働者として来たインド系移民が多く、フィジー系と半々くらいもいる。日本からのリゾート客が多く、非常に観光地ズレしていた。街を歩いていると必ず物売りがコンニチハと寄ってくる。

フィジー人たちと宴会。

オバラウ島の小さな村にて。左端のおばさんにかなりたかられた。村を去るとき、子供たちが別れの踊りを踊ってくれた。

上の写真のおばさんの息子夫婦。

 観光地ズレしたフィジーの姿は僕にいろいろなことを考えさせた。南太平洋の人々の南国流のノンビリした暮らしを見ようとして行ったのに、インチキ土産物屋は「ヤスイ、ヤスイ」と寄ってくるし、小さな村のおばさんまでが煙草を買ってくれ、金をくれとたかってくる。想像と現実のギャップはショックであったが、それ以上に、彼らをそう変えたのは「我々」観光客だと思うと、なんともいえない悲しい気持ちになったし、自分がここにいることに疑問すら湧いてきた。現地の人から、自分はどう見えるのだろう。外貨を落としてってくれるお客様か、それとも、貧富の差を見せつける憎き大名行列なのか。自分は金持ちのリゾート客でなく、低予算で旅するバックパッカーだ、とは思ってみても、現地の人からすれば、海外旅行できること自体が金持ちの証拠なのだ。このことはこの先、常に頭に引っかかっていた大きなテーマであった。


 6月24日、フィジーからトンガに飛んだ。トンガは南太平洋で唯一の「王国」であり、滞在中にちょうど王様の誕生日があった。ここでは男もスカートをはき、その上に、植物の皮を編んで作った「タオパラ」という腰巻を多くの人が着けている。男性のタオパラは短いのだが、女性のものは足元までくる長いもので、ムシロを巻いているように見えた。どうもいい宿がなく、旅行しにくい国なのだが、人々の優しさ、素朴さはフィジー・西サモアより上で、キャプテン・クックが「フレンドリー・アイランド」と呼んだのも分かる気がした。

トンガの伝統的なダンス。

トンガ人は踊りが大好きだ。リフカ島・パンガイ村のお祭りにて。

ババウ島ロゴマプ村の子供たち。

リフカ島の女子高生たち。道端で声をかけられて、学校を案内してもらった。

 フィジーとはうってかわって、トンガはほとんど観光地ズレしていなかった。それに救われたものの、しかし、自分がここに来たことがここに住む人にどう影響を与えるのかと思うと、悩みは消えなかった。

フォア島・ファレロア村の小学校で。

フォア島北端の海岸にて。
海岸の潮吹き穴。

 7月18日、西サモアに入った。冬のはずなのに、切ないほど暑かった。さすがに暑い国に住む人々は違うもので、サモアの家には壁がない。柱と屋根だけしかないので、家の中が丸見えだ。家財道具も、昼間からおばちゃんたちがゴロゴロしているのも全て見える。防犯も何もあったものじゃないが、しかしこれほど治安のいい国はないだろう。

サバイイ島サトゥイアトゥア村の海岸。

同じくサトゥイアトゥア村の海岸

夕食の支度をするおばちゃんたち。

教会にもやっぱり壁はない。

 壁のない家に住み、暑い日々を毎日ノンビリと波の音を聞きながら暮らす人々の姿は、とても印象的だった。陳腐な言葉ではあるが、「豊かさとは何か」ということについて改めて考えさせられた。
 ある日、昼間から若い男たちが小屋でゴロゴロしていたので、今日は農場に行かないのかと尋ねると、「今日は暑いからやめた。明日の朝いくよ。」と答えた。なんだか羨ましいような気がした。彼らは、家族で消費する以外の農産物は市場で売って現金にし、日用品の購入にあてる。だから、もっと働いて農場を広げればその分多くのものを買えるようになるわけだが、それよりは、暑い日に寝転がる時間のある暮らしをとっているのだ。多く働けば逆に時間は減る。簡単な原理である。その二者択一のあいだで、日本人は高い収入を選んでいるし、サモア人は時間を選んでいるのだ。

同じ民宿に泊まっていた人々。左から、エドワード・パトリシア・ルジャー・僕・トラバス。

ウポル島ティアベア村。エーリッヒ・ショイルマン『パパラギ』の舞台。


 8月10日、サモアからフィジーに戻り、16日にはオーストラリアへ飛んだ。そして翌日、台湾行きの中華航空機に乗り、オセアニアをあとにした。


旅行記の先頭
 1、出発の記
 2、南太平洋編
 3、東アジア編(←続きはこちら!)
 4、南アジア編
「旅行の技術」


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