二〇〇四年六月第二週、日本中の本屋で発売され、あっという間にそこらじゅうの店舗で品切れという売れ行きを見せた伝奇小説。ネット本屋では、どこも入荷後数時間で在庫切れ。初版が何冊だったのかは知らないが、出版社の方でも数日のうちに在庫切れ。著者は同人界ではまだしも文学界では無名中の無名。もっともこの快挙にも関わらず、“同人小説”に対する文学界の反応は冷ややかなものになるだろう。
『空の境界』(からのきょうかい) 全二巻
著:奈須きのこ
原画:武内崇
出版:講談社ノベルス
6月8日に偶然ネットでその存在を知るや、注文のためにネット上を徘徊。どこも在庫切れを起こしている中、出版社に在庫僅少で残っているのを知り、Amazonで買うより送料が高いのにも関わらず即注文。こういうのを一般には馬鹿とも言うが、その代わり一週間で手に入った。受け取った時やけに重いなと思ったら、各巻とも普通の新書の倍の厚さ。全850ページと、同人小説と思えないほどのボリュームを誇る作品。金曜夜と日曜全部を返上して、13時間ほどで読み切った。
話自体はかなり説明しづらいので、それに代えて登場人物紹介を。
- 両儀 式(りょうぎ しき)
事故の後遺症で、モノの死を視ることが出来る“直死の魔眼”を持ってしまった少女。これはカタチあるものだけでなく、カタチない概念の死さえも視て殺すことが出来る。彼女曰く「幻像であろうと何であろうと、生きてる相手ならばたとえ神でも殺してみせる」そうなので、女神様の天敵と言えるかもしれない。が、別に殺せるのは生きてるものには限らない。本編中、身体は傷つけずに病気だけ殺したように、CDに焼かれたデータの一部だけ殺したり、辣油の中の唐辛子成分だけ殺したりも出来るだろう。月姫の主人公・遠野志貴が持つものと同じ能力だが、魔眼で見る世界には耐え切れず魔眼殺しの眼鏡を掛けている志貴と違い、式は常に裸眼である。絶えず“モノの死”を見せ付けられているのにも関わらず平常心を失わないのは、驚異的な精神力かもしれない。
容姿は凛々しく中性的な美形、性格は淡白。着流しを普段着としていて、寒くなったらその上から赤い革ジャンを羽織るという、見事なまでにアンバランスな衣装の好みを持っている。でもそれが様になっているのは、彼女が持つ雰囲気のせいか、武内さんのイラストの成せる技かは定かではない。
- 黒桐 幹也(こくとう みきや)
この物語の副主人公。常識外の人物が多い…というか、規格外としか思えない人しか出てこない空の境界の中で、唯一普通の人間。そのため、攻撃力としては全登場人物中最弱。温和な表情に黒ぶち眼鏡、服装は平凡そのもの。「こんな飄々とした男と付き合う女がいるなんて、シュミが悪すぎる」とは妹、鮮花の台詞。遠回しに自虐してませんかとの突っ込みは下で語るとして。式とは高一の時に知り合い、以来友人付き合い。もっとも本人は式にぞっこんだが…。ただそういう感情をストレートに表現する人物でもないため、言動からそうと分かる程度。困っている人を見ると放っておけない性格で、案の定、トラブルに巻き込まれやすい…というより、トラブルを引き寄せる人格なのかもしれない。「式に関わっていると命を懸けることになる」と未来視の少女に言われているにも係わらず、まるで気にしていないあたり大物。
勤務先の所長、蒼崎橙子が呆れほどに感心するくらいの調査能力を持つ。橙子の住みかを探し当てた時点でそれは歴然なのだが、おかげで金銭とは縁のない生活に没入してしまうことになった。反面、三週間昏睡状態にあったというのに、それにまるで気付かなかったのだから、間違いなく大物。起きた後も、橙子は面白がり、式と鮮花は睨むだけだったので、恐らく一生気付かないだろう。もっとも私自身も幹也が昏睡状態にあったのに気付いたのは600ページ後のことだったが…。
- 蒼崎 橙子(あおざき とうこ)
幹也が勤める工房「伽藍の堂」の所長(ただし所員は彼女を含めて二人)。人形作りが得意な魔術師。専攻魔術はルーン。月姫に登場する魔法使い、蒼崎青子の姉。眼鏡を外すか掛けるかで人格を任意でスイッチする。第四話での病室での台詞は、初め読んだときは誰なんだか分からなかったくらい。この物語の薀蓄面に深く関わってくるので、彼女の登場シーンは気を引き締めて読まないと、何が書いてあるのか分からなくなる。
工事途中で放棄された廃ビルを買い取って住みかにすることからも分かるように変人。生活力に欠けており、計画的な金銭の使い方は求めるほうが無理。金欠で苦しむだけならまだいいが、所員の給料を踏み倒すことなど日常茶飯。自分の妹に家の相続権を奪われ、その復讐のために魔術を学んだくらいなので、姉妹仲は険悪を通り越して極悪。この話に青子は登場しないが、出逢ったら焼け野原がダース単位で形成されることだろう。
箒で飛ぶことが出来るらしい。
- 黒桐 鮮花(こくとう あざか)
幹也の三つ下の実妹。重度のブラコン。と言うか、ブラコンなどというレベルは五年も前に通り越している。全寮制のお嬢様学園、礼園女学院の高等部一年生で、成績は常に首席。非の打ち所のないお嬢様な容姿で、式が「お城のお姫様という表現がぴったりくる」と例えるぐらい。もっとも自分を出し抜いた先輩を「こてんぱんにしなくちゃ気が済まなくなった」という台詞などから、性格を把握するのは困難なことではない。この二点を踏まえると、自然、式には常に突っかかることになる。
橙子に師事し魔術を習っている。黒桐家は魔術とは係わりのなかった家系だが、発火系魔術に関してはかなりの素質をもつらしい。これはもちろん式に対抗するため。なにしろ、幹也に近づく女は「一日で再起不能にしてやる」と意気込むぐらいなのだから。にも関わらず、第六話での式と鮮花は見ててよいコンビ具合である。式は鮮花のことは別に嫌っていないので、幹也が絡まなければなかなか上手くやれるのだろう。一番の懸念は、幹也が自室に浅上藤乃を一晩泊めたことを彼女が知ったら、いったいどういう行動に出るかということ。幹也君、今度は顔面に分厚い本を投げつけられるくらいじゃ済まないだろう。
- 荒耶 宗蓮(あらや そうれん)
空の境界の黒幕にあたる魔術師。険しく曇った表情に厳しい眼差し、黒い外套を纏った男。自らの目的のために、式という特殊な肉体、器を手に入れんと画策する。専攻魔術は結界。破戒僧。全ての話の大元に関わっている。
- 巫条 霧絵(ふじょう きりえ)
第一話『俯瞰風景』のメインキャラ。ビルの屋上に浮いている女性。存在感が薄いので、第三話まで読み進めたころには忘れ去られていること多し。第一話は空の境界という物語への導入部分を兼ねてもいるので、ゲストキャラが目立たないのは仕方ないかもしれない。空の境界ドラマCDは『俯瞰風景』を元にしているため、その影の薄さにも関わらずゲストキャラでは唯一CVを持っている。
死に依存して浮遊する二重身体者。
- 浅上 藤乃(あさがみ ふじの)
第三話『痛覚残留』のメインキャラ。礼園女学院の生徒で、鮮花の友人。容姿、性格ともにお嬢様だが、鮮花のような勝気さではなく、内気さを感じさせる。無痛症という触覚が全く作用しない身体を持っている上、自分の瞳が捉えるモノを“曲げる”ことが出来る。この能力は某湾を横断する全長十数キロの橋くらいなら破壊してしまう威力を持っており、ヒロインの素質は攻撃力で決まると言われているTYPE−MOON作品に相応しいキャラ。
通称ふじのん。もっとも本編中の呼称ではなく、ファンの間で使われている呼称。このことから彼女の人気が窺える。どのくらい人気があるかというと、キャラ投票で式、幹也、鮮花と僅差でトップ争いを繰り広げるくらい人気がある。ちなみに5位の橙子の獲得票は、首位四名のそれの半分にも満たなかった。ついでに月姫のキャラ投票では、式が9位でらっきょ組1位、ふじのんが16位でらっきょ組2位、鮮花が20位でらっきょ組3位。他作品の人気投票に乱入して合計5000票以上も獲得するとは、いったいなにやってるんでしょう、こいつらは。
死に接触して快楽する存在不適合者。
- 臙条 巴(えんじょう ともえ)
第五話『矛盾螺旋』のメインキャラ。両親を殺して街を彷徨っているところを式と出会い、どういうわけか彼女のアパートへ転がり込むことになった家出少年。螺旋を抜け出した唯一の駒。おそらくこの物語でもっとも薄幸な人物。
- コルネリウス・アルバ
第五話『矛盾螺旋』の登場人物。魔術師。この話で一番の小物。目的、行動、結果ともにかなりなさけない。各章の扉絵にもイラストはなく“脇役”という言葉の生き字引な男。挿絵がないのは巫条霧絵も同じだが、その代わり彼女にはCVがある。
- 黄路 美沙夜(おうじ みさや)
第六話『忘却録音』のメインキャラ。礼園女学院高等部上級生で鮮花の先輩。大財閥の令嬢で、性格は厳格そのもの。この二点を踏まえると、学園で彼女に意見できる者はいないに等しい。学園で起きた怪奇事件を調査する鮮花と式は、彼女と対立することになる。
- 玄霧 皐月(くろぎり さつき)
第六話『忘却録音』のメインキャラ。髭を生やした爺さんキャラを連想させる名前だが、年齢は二十代半ば。礼園女学院では数少ない男性教員の一人。幹也によく似た外見と、ほぼそっくりの雰囲気を持つが、どこか掴みどころのない感じがする。
- 白純 里緒(しらずみ りお)
第七話『殺人考察(後)』のメインキャラ。幹也の高校の先輩。式にそっくりの身格好をした男。空の境界でもっともヤバイ人物。
死に逃避して自我する起源覚醒者。
とまあ、かなりイワクツキの登場人物が勢揃い。話自体も笑い所どころかほのぼのした場面すらあまりなく、かなりヘビーな展開。小説だから年齢制限はないが、もしあったら間違いなくR指定。特に第三話と第七話は、あのPhantom of Infernoがかわいく思えてくるくらいに話が重くて、かなり胃にくる。第一、二話と共に物語の導入部分を兼ねていて比較的重くない話のため、第三話ではギャップの大きさが拍車をかけている。でも個人的にはその第三話はお気に入り。浅上藤乃の影響が大きいのは間違いないが、彼女のようなキャラクターは実に斬新。逆に相変わらずのヘビーなストーリーにも関わらず読んでて気が重くならないのが第六話で、鮮花視点がその要因なのは間違いなし。
第一、上記の登場キャラのなかで人を殺していないのは幹也と鮮花のみ、というのだから、これでヘビーにならない方が不思議だろう。それに加え、登場する四人の魔術師の話は概ね長く複雑なので、特に魔術師同士の会話となると一語一句真剣に読まないと置いてけぼりを食らう。文字で読んでる読者がそうなのだから、聞いているだけで話についていっている登場人物たちはかなりすごい。
世界観は基本的に『月姫』と同じだが、登場人物は各作品で独立している。蒼崎橙子が蒼崎青子の姉という設定はあるが、設定のみで実際に登場はしない。この辺りが、何かにつけて前作のキャラを登場させたがる昨今のゲーム界では珍しい。
ジャンルとしては伝奇小説になるこの作品だが、あまり今までの伝奇小説と比べてどうこう、とは考えない方が楽しめるだろう。これを考え出すとおそらく欠点しか見えないであろうから。ここまでの記述で察せられるだろうが、ファンタジーっぽい設定とは裏腹にライト・ノベルのようにパッパッと読める作品でもないので、ある程度の読解力も必要とする。
それと脅威なのが上下巻合わせて44ページに及ぶ解説。“伝奇”に関するかなり濃い話が述べられており、本編より格段に難解。ちなみに私にはさっぱりだった。司馬遼太郎レベルの読解力ではまだまだ足りないらしい。村上春樹レベルくらいあればなんとか分かるんだろうか。
最後に一つ。いくら原作者と原画担当者が同じだからといって、Fate(Windows専用ソフト/18歳未満購入不可)のチラシを新書本に挿むのはどうかと思うが――。
(07/05/2004)
|