1993年のサンクスギビングデーの連休に気ままなドライブに出かけた。ともかく南の方角に行こうと決めた。まったく目的が無かったわけではない。サウス・カロライナ州のチャールストンという町がとりあえずの目的地だ。ちょうど2年前にやはり南へ向かってドライブしたことがあった。アメリカの各地には「ナショナルパーク」に指定された国の管理する自然の美しい名所や史跡がある。このナショナルパーク巡りをしたのである。ナショナルパークを訪れると記念のスタンプをもらうことができる。実はこれを集めるのが私の奥さんの趣味の一つなのである。今回はその続編というわけで前回に行ったノース・カロライナ州を越え更に南に行こうというわけである。
自宅近くの日系スーパー「ヤオハン」でおつまみやカップヌードルなどを買い揃え11月24日午後1時30分に出発となった。いつものことながら我が家では出発の時点でもたつく。なにはともあれ車はニュージャージー・ターンパイクを一路南へ向かう。ターンパイクを終えるとデラウエア州に入る。休憩したサービスエリアでモーテルのクーポン券の冊子を見つけた。何げなく手にしたこの冊子が後々結構役に立ったのである。ここからは国道95号線をひたすら南へ下る。メリーランド州ボルティモアを過ぎるころはすっかり夜になった。午後6時頃食事をすると眠気が襲ってきた。余り無理することもないので、先程手に入れたクーポン券を頼りに宿を探す。その夜はバージニア州フレデリクスバーグのデイズインにクーポン券を使って一泊31ドル(約3700円)で泊まる。
翌朝11月25日、無料のコンチネンタルブレックファストを食べて出発する。ブレックファストとはいってもコーヒーとドーナツというごく簡単なもので、泊まったほとんどのモーテルで出していた。これがなかなかありがたい。今回の旅では随分利用させてもらった。この日はまる一日ひたすら走った。バージニア州からノース・カロライナ州を通り抜け、とうとうサウス・カロライナ州へ入った。周囲の景色がますます広大になってくる。給油によったスタンドのおばさんの発音が南部訛りというのだろうか聴き取りにくい。夕刻、遂にチャールストンに到着した。この時点でなんと800マイル(約1300キロ)走破したことになる。シーフードでも食べようと思って入ったレストランが感謝祭のためサンクスギビングディナーを出していたので典型的なターキーやパンプキン等のアメリカの料理を味わった。この夜はトラベロッジというモーテルのチェーンに35ドル(約4200円)で泊まる。
嵐が近づいているという天気予報の中11月26日はチャールストンの街を観光した。目的地はナショナルパークに指定された「サムター要塞」というチャールストン湾の入り口にある島である。ここは南北戦争勃発の地として歴史的に重要な場所であり、我々は観光船に乗り島へ渡りナショナルパークのスタンプをもらうことができた。街へ戻り1700年〜1800年代の南部特有のコロニアル風の美しい町並みを一通り見た後、前日食べられなかった蟹や海老などのシーフードをたらふく食べ、我々は今度はジョージア州サバンナを目指し更に南へ向かったのである。
サウス・カロライナ州チャールストンを出発した我々は国道95号線には戻らずローカル道路を走った。ところが途中でどしゃ降りの雨となってしまいジョージア州に入るころにはすっかり日も暮れてしまった。サバンナの町で夕食をという予定はあきらめ街道沿いで泊まることにした。
翌日も時折強い雨が降ったり止んだりのおかしな天気の中目指すフォート・プラスキー国立史跡に向かう。サバンナの町に入ってまず驚いた。我々の持っていた'85〜'86版「地球の歩き方」には「歴史的な南部の町、サバンナを訪れる日本人は少ない。」と書いてあり、それなら行ってみようと思って来たのだが、なんと町のいたる所に立つ旗に英語、ドイツ語、フランス語などに混じって「ようこそ」と日本語で書いてあるではないか。町の観光案内所に行くとあちらこちらに日本人の姿も見える。数年の間に日本人観光客の行動範囲が広がってしまったのか、観光案内書がポピュラーにさせてしまったのか。もっとも今はジョージア州アトランタには日本企業が数多く進出しており、全日制の日本人学校まであるくらいだから此まで足を伸ばすのもわけのないことなのかも知れない。やはり旅行案内書はなるべく新しいものを持って行ったほうがいい。フォート・プラスキー国立史跡へ向かう道沿いは南洋植物の並木道になっており南国の情緒が漂う。遠くまで来たなと感じる。フォート・プラスキー国立史跡は南北戦争当初南軍の要塞であったが1862年に北軍が略奪する。1864年12月北軍はサバンナに攻め込み南軍を降伏させる。以後北軍は北上し足掛け5年に及ぶ長い南北戦争は終結を迎える。アメリカ東海岸各地には数多くの南北戦争の古戦場がありその多くが国立史跡に指定されている。
サバンナの町はコロニアル風のカラフルな家々の立ち並ぶ美しい町だ。天気がよければのんびり過ごしたかったのだが生憎の雨模様、車で一回りして美しい町並みを一通り見た後、進路を北に向け帰路についた。ここからがまた大嵐になった。ひたすら走り続け深夜ワシントン郊外のモーテルに泊まる。
翌日、フィラデルフィアにあるエドガー・アラン・ポー国立史跡に寄った。ポーは「黒猫」や「モルグ街の殺人」などで有名なアメリカの作家。不遇な一生を遂げたポーが1843年から1844年にかけて妻のヴァージニアと義母のマリアとともに住み、編集者、文芸批評家として活動するかたわら彼の短編のうち31編を執筆した家である。彼の文学的経歴の頂点をなしたのがこのフィラデルフィアで過ごした期間である。普通の史跡と違うのは彼の遺品の類が全く置いていないところである。天井も低く狭い家には家具、調度品はなにも置いてなくガランとした空間は苦しい生活だったという当時の様子を余計に色々と想像させる。ポーに関する資料は非常に少なく、日記の類も残していないので謎に包まれた部分が多いという。無名のまま人知れず死んでいったポーが残したものは珠玉の作品だけなのである。あまりに地味な史跡なので訪れる人は少ないようだが受付には各部屋の解説をした日本語の案内書も用意してありポーの作品に触れたことのある人にとっては感慨深い場所となることであろう。
フィラデルフィアの町では有名なフィリー・ステーキサンドウィッチを食べ帰路につく。5日間、1912マイル(約3060Km)のドライブであった。(2/1/95)