アメリカ葬式体験記

 1992年夏、リン・オリバーが死んだ。リン・オリバーとは私のNYでの恩師とでも言うべき人である。ニューヨークへ来てすぐ、今から10年ほど前の話だが、彼のやってるワークショップへ通い始めた。以来、ずっと通い続けている。リンは本職はドラマーだが音楽理論に精通しており、ピアノやビブラフォーンもよく弾き編曲にも長けた人であった。ワークショップを開き後進を育てるかたわら自らもビッグバンドを率いニューヨークの音楽界で活躍していた。私も彼のオーケストラの一員としていろいろな仕事をさせていただいた。彼の体調が悪くなってきたころワークショップも休みがちになってきたが、バンドの仕事の際は必ず現われ自ら指揮をとった。巨漢だった体も徐々に痩せ細り、歩くのにもステッキが必要となり、それが松葉杖にかわり、さらに車椅子となったが、仕事に対する執念は全く衰えず、得意な毒舌と冗談を最後まで言い続け指揮をとった。

 リンが遂に亡くなったという知らせを聞きさっそく日本で言うところのお通夜にでかけた。お通夜は普通、葬儀店(Funeral home)で行われる。きちんと始めと終わりの時間が決まっており昼休みの時間までとってある。これは只でさえ心労の多い喪主や親戚への心遣いなのであろうか。このお通夜は二日に渡って行われた。この葬儀店の一室にリンの遺体が安置されていた。ステージ衣装であったタキシードを身に付けたその姿は立派で、目を閉じたその顔は眠っているようであった。棺桶は西洋のいわゆる頑丈で豪華なあの箱で、遺体のまわりは花で満たされている。たくさんの人から花が届いていたが、日本と違うのは花の色がカラフルなところ。黄色や赤、ピンク、白い花を青く染めたものなど実に色あざやかなのである。ここでは飲み食いしたりすることはなく親類、知人が故人を偲び歓談する。香典という慣習はなくお金を包む場合もごく小額のようだ。したっがて香典返しというものはないが、出席者には後日お礼のカードが送られてくる。

 葬式はアッパーウエストのカソリック教会でおごそかに執り行われた。教会に響き渡る荘厳なオルガンのひびきは表の喧騒から別世界へと運ぶ。教会へ入るのも有名な教会へ観光気分で入ったことしかなく勝手がわからずどうも居心地が悪い。牧師の言葉に促され時折参列者が立ったり、牧師の言葉を復唱したりするので、まわりを見ながら従った。一通りセレモニーが終わると、親族代表としてリンの実のお姉さんが挨拶をした。日本であれば喪主がするところだが、少し流儀が違うようだ。そして棺は教会を出て墓地へと向かう。埋葬は死体を棺に入れてそのまま土中に埋める地方もあるようだが、多くの場合、死体から病気が伝染するのを防止するためと、場所をとらない等の理由から火葬にふされる。教会から墓地へ行くとき参列者の車は昼間でもライトをつけて一列になって走る。パトカーが先導し、この車の列はゆっくりと走り、交通信号を無視してもよいので、赤信号でも進むし、一方通行を逆に走ることや、進入禁止区域を走ることもできる。従って、この集団を見かけた他の車は道路の両側によけたり、停って通過するのを待たねばならない。喪に服する期間は一週間程度と聞く。年賀状の習慣はないが、「喪中につき……」という事もなくクリスマスカードはいつも通りだしてよい。

 つい先ごろ彼のバンドがよく出演していた「レッド・ブレイザー・トゥー」で死後一周年を記念して「リン・オリバーに捧げる」という催しが行われた。(10/4/93)


  随筆集目次へ   ホームページ表紙へ