ムーンライト・セレナーデ

 私はムーンライト・セレナーデを聴きながら生まれてきた。母は身重の体で父と一緒にその時公開されていた映画「グレン・ミラー物語」を観に行った。胎教というものがあるとすれば私の運命を決定づけたのはそれであったかもしれない。そしてその夜、私が生まれたと聞かされている。私は両親にとって初めての子であったのだが、いつ生まれるかわからない体で随分と大胆なことをしたものだと思う。調べてみるとその年、洋画では他にローマの休日、帰らざる河、オズの魔法使い、ホワイト・クリスマス、邦画では、七人の侍、二十四の瞳、ゴジラが公開されている。中々の当たり年ではないか。また自衛隊発足、力道山のプロレス大人気、マリリン・モンロー来日、ヘップバーンカット大流行、電気洗濯機、冷蔵庫、掃除機が三種の神器といわれた年でもある。

 ムーンライト・セレナーデとの再会は森寿男とブルーコーツに入団した時である。このバンドはグレン・ミラー・サウンドを得意としていたので演奏する機会も多かった。グレン・ミラーのヒット曲といえば「ムーンライト・セレナーデ」と「イン・ザ・ムード」である。特にこの2曲はバンドのテーマソングのようなもので数えきれないほど演奏した。私の実家の近くで小さなコンサートがあり、その折には母親が聞きに来てくれた事がある。母親にとっても思い出の曲を演奏する私を見て「なんだか不思議な感じね」と呟いていた。私にも因縁を感じるものがあった。

 ブルーコーツを退団しニューヨークに渡った私はリン・オリバーという人のやっていたワークショップに通い始めた。この人の本職はドラムだがバイブやピアノも弾きアレンジなどにも長けていた。自分のスタジオを持ち教育活動を長年行ってきた人で多くの音楽家を輩出している。自らのバンドも率いており私もいつしかそのレギュラーメンバーになった。このバンドでは1940年から50年代にかけてビッグバンド全盛期の有名なダンスミュージックの殆どの曲を学んだ。グレン・ミラーをはじめレス・ブラウン、レイ・アンソニー、ビリー・メイ、トミー&ジミー・ドーシー、チャーリー・バーネット、アーティー・ショー、ベニー・グッドマン、ハリー・ジェームス、ライオネル・ハンプトン等々、日本では馴染みの少ない曲やアレンジも多く、数々の名曲を再認識した。この手の曲はダンスの伴奏音楽として観賞用の音楽と区別されることがあるがりっぱなジャズミュージックであることに疑問の余地はない。残念ながらリン・オリバーは他界しバンドも消滅した。

 私はいまでもいくつかのビッグバンドで演奏しているがやはりムーンライト・セレナーデとイン・ザ・ムードは常にレパートリーに入っている。この曲の発祥の地に来て今でも演奏を続けている。これはまさしく運命である。
 近年ニューヨークではスイングミュージック復興の兆しもあり、ダンススクールなども流行っていると聞く。ダンスあるかぎりは不滅のクラシックである。これからもこの珠玉の名曲との付き合いは続きそうだ。(4/13/01)


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