ジャズドラマー・トコさん逝く

 1999年5月13日。一人の日本を代表するジャズドラマーがこの世を去った。彼の名は日野元彦。享年53才。直接の死因は肝不全だが末期の膵臓癌を患っていた。ジャズミュージシャンとしてはあまりに短い人生である。これは日本のジャズ界にとって大きな損失であることは間違いないが、実は私自信にとっても非常に大きな出来事なのである。

 話は20年前にさかのぼる。大学の春休みを利用してあこがれのジャズの本場ニューヨークを訪れた私はあまりの素晴らしさに身の程も考えずそのまま滞在を決意する。突然のことに親は激怒するが1年間の約束で大学を休学しニューヨーク滞在を認めてもらう。滞在を認めてもらった途端に有り金をはたいて楽器を買うという愚行にでた私はすぐに日々の金銭に窮する。ミュージシャンが多く働いている日本レストランがあると聞き早速雇ってもらう。愛称トコさん、日野元彦とはそこで出会ったのである。

 日本ではすでに一流で名の通った存在であった彼もニューヨークにおいてはすぐに音楽で生活することは難しかった。そこで音楽通で渡辺貞夫などのミュージシャンとも親交のあったオーナーが経営するレストランでアルバイトをしていたのである。

 トコさんの兄は「ヒノテル」の愛称で有名なジャズトランペッター日野皓正である。タップダンサーでトランペッターの父に兄と共に幼少の頃よりタップダンスを教え込まれ、小中学校の頃は興行で各地を回っていて遠足には一度も行ったことは無かったという。「中学最後の修学旅行にだけは行かせてやってくれ。」と母親が泣いて父親に頼み初めて学友とともに旅したと語っていた。

 12才でドラムを始め中学卒業とともにプロになったトコさんは日本の音楽界で頂点まで上り詰める。当然音楽以外の仕事をするのはニューヨークに来て初めてだったそうだが、「やるからには何でも精一杯やる。」とレストランでの仕事を一生懸命やっていた姿を思い出す。明るく気さくな性格で誰からも親しまれる存在であった。日本での輝かしい経歴をひけらかすようなことは決してなく私たち駆け出しとも同等に付き合ってくれていた。「練習やるからおいでよ。」と気軽に声をかけてくれセッションに参加させてもらったことも幾度かあった。そこへ渡辺貞夫のグループで名声を博したギターの増尾よしあきが現れたりして当時の自分としては夢のような体験をすることが出来た。

 当時の日本ジャズ界には渡辺貞夫と日野皓正の二大勢力が有り、渡辺貞夫のグループが軽快で爽やかな音楽をやっていたのとは対照的に日野皓正クインテットは先鋭的で激しい音楽をやっていた。トコさんは日野グループに属し激しいドラミングを見せていた。

 日野皓正がアメリカに渡りトコさんは自分のグループで演奏していたがその頃、渡辺貞夫に自分達のグループに入らないかと再三誘われたらしい。兄、皓正に去られ自らの音楽の方向性を見失いかけていた彼はつい「うん」と言ってしまったらしい。しかし当時の彼にはあまりに音楽性の違う渡辺貞夫と一緒にやって行く自信がなく結局断ったという。そしてニューヨークに武者修行に出る決意をする。

 レストランで我らと一緒にアルバイトしていた彼もさすがに一流、徐々に音楽の仕事が入り始めアルバイトは休みがちになっていった。その後アメリカの永住権取得をあきらめたトコさんは日本へ戻る。

 近年は若手の育成に力を注いでいたと報じられていたが、20年前の我々を含め数多くのミュージシャンが日野元彦により育てられていったのである。「年をとったら歌の伴奏を粋にたたけるドラマーになりたいな。」と語っていた言葉が耳に残る。冥福を祈る。(6/1/99)


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