ワールド・トレード・センターが消えた日

 2001年9月11日火曜日、いつものように7時の日本のニュースを見ながら朝食をとる。定刻に家を出て勤務する学校へ向かう。今日はこの週末にある幼稚園の運動会の予行演習がある。運動にはちょうどよい気温、北米東海岸特有のからっとした天気。空は抜けるような青空、快晴である。今度の日曜日もこんな天気ならいいなと思う。ジャズのステーションに合わせてあるカーステレオからは7時30分のニュースが流れてきて引退したバスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンがNBAにカムバックするだろう、という事を告げている。今日の一大ニュースはこれになるはずだったかもしれない。
 学校へ着くとまずスクールバスの運転をして子供たちをピックアップする。道は朝のラッシュに差し掛かるころ、軽い渋滞になるがほぼ定刻8時50分頃バスは学校に到着。予行演習のためCDプレーヤーなどを運び出していたところアメリカ人のスクールバス運転手が車のラジオを聴いていて私に話し掛けてきた。「Yoshi。今、ワールドトレードセンターに飛行機が2機ぶつかったと言ってるぞ」その言葉を聞いたとき英語だった事と彼の雰囲気が落ち着いていたのでそれほど重大な事とは思わなかった。ニューヨーク上空は小型機などたくさん飛んでいるので誤ってぶつかったのだろうと思った。それにしてもこれは大変だと思い、事務室に行きテレビを見たときそこには信じられない光景があった。
 この時点では未だ全然、状況がつかめなく、子供も全員来ておりとりあえず授業が進められた。私は幼稚園の予行演習に参加していた。学校にはワールドトレードセンターにオフィスのある銀行、会社に勤める親も多く直ちに安否の確認が始められた。予行演習で流れる楽しげな運動会の音楽とはおよそ似付かわしくない衝撃的なニュースが事務所の方から次々と伝えられた。ワシントンのペンタゴンに航空機が突っ込んだ、旅客機がハイジャックされたらしい、ワールドトレードセンターが崩れ落ちた……。ここら辺からも応援部隊が駆け付けているのだろうか、消防車や救急車のけたたましいサイレンの音が何度も鳴り響く。ただならぬこの事態に学校は臨時下校を決定した。私はスクールバスに子供たちをのせ学校を出発した。学校はニュージャージからマンハッタンへ入る要所の一つであるジョージワシントン橋の近くにある。事件発生後間も無くマンハッタンへ通じるすべての橋、トンネルは封鎖された。橋の周辺では大渋滞が発生していた。渋滞を抜け住宅街へ入ると異様な静けさが漂っていた。人々は家のテレビに釘付けになっているのだろう、外を歩いている人はほとんどいない。空には規制が敷かれたのであろう鳥以外は飛んでいない。相変わらず抜けるような青空である。
学校へ戻る途中また渋滞に巻き込まれたのでマンハッタンの友人に連絡をとろうと携帯電話から電話をするがどこも通じない。やっとの思いで学校へ戻ると親の安否確認が続けられていた。しかしこちらからは連絡不可能なので、本人から、家族からの連絡を待つしかないな状況である。携帯電話は事件直後から全く使えなくなったようで現場から脱出した人は公衆電話から連絡してきているようだ。その電話も人々が殺到しておりなかなか通じない。本人と連絡はつかないものの「○○さんをビルから逃げ出したときに見たから大丈夫だろう」という同僚の情報、日本語放送のテレビ局の流す日本企業の安否情報で「○○銀行は全員の無事が確認」というように間接的ながら保護者の無事が確認されていった。
 一人の父親が学園に現れた。彼はワールドトレードセンターから数ブロックのところで働いていて、事件後地下鉄やバスなど公共交通機関のストップしたマンハッタンから20キロ以上の距離を歩いてきたのである。一応、確認作業も一段落したところで自分も帰路についた。マンハッタンへ通じる道路は相変わらず全て封鎖、大渋滞は続いていた。家へ帰りたいのに迂回させられ、大分遠回りして家へ向かう。途中、マンハッタンが見えるところを通った時初めて実際の煙を見た。20キロ以上離れた場所であるにもかかわらずそれは高々と上がりはっきりと見ることができた。
 家へ戻りあらためてマンハッタンのダウンタウンを見た。直線距離にして10キロ程の距離だ。真っ青な空に夕映えのマンハッタンのビル群、その一個所から入道雲のように上がる噴煙。異様な光景であった。胸の締めつけられる思いでみつめた。

写真上:事件当日夕方自宅ロビーから撮影(左端の高層ビルはエンパイヤステートビル)
写真左下:9/16/2000撮影ニュージャージーリバティーステートパークにて
写真右下:9/29/2001撮影リバティーステートパーク、景色の違いに注目



 随筆集目次へ   ホームページ表紙へ