個人データ
氏名(性別)・・・・小山義博(男)
誕生日・・・・・・・4月23日(牡牛座)
血液型・・・・・・・B型
出身地・・・・・・・東京都
出身校・・・・・・・香蘭幼稚園(横浜市)、杉並区立新泉小学校、杉並区立和泉中学校、都立石神井高校、千葉大学教育学部
使用コンピュータ・・iBook, 自作PC
演奏する楽器・・・・Tenor Sax, Bariton Sax, Alto Sax, Soprano Sax, Flute,
Clarinet
所属・・・・・・・・三省堂書店ニュージャージー店、紐育落語会
趣味・・・・・・・・釣り、野球(草野球のチームをやってます)、スポーツ観戦、スキー、落語、ボウリング
昔から子供がすきで大学は千葉大教育学部幼稚園教員養成課程に進む。ここに入ったのには他にも理由があった。実はここの学科に一風変わった面白い作曲家の先生がいたのである。名前は水野修孝、現代音楽の作曲家。この人がいたのがこの学校に入ったもう一つの要因である。
音楽が好きで高校時代からブラスバンドの活動を始める。大学受験の頃はかなりジャズに傾倒し自分でもサックスを吹き始めた。水野先生は当時アメリカの留学から帰りジャズの組曲等を作曲しジャズの世界でもその名を知られていた。そしてその先生が千葉大の幼稚園課程にいることを偶然知ったのである。これは一石二鳥ということで大学が決まった。僕はけっして真面目な生徒ではなかったが幼稚園課程は女性ばかりなのでダイヘンを頼むことも出来ず授業にはよく出た。音楽も平行して続け夜はキャバレーのバンドでアルバイトという毎日。大学3年の春には休学してニューヨークに1年間滞在、音楽武者修行。日本に帰り大学に戻ったが結局音楽で生活するを決意し在学中にプロになる。大学は水野先生の理解のお陰もありなんとか卒業する。
在学中に入団した森寿男&ブルーコーツオーケストラで2年程日本の音楽界で活動後再びニューヨークへ渡る。ニューヨークにおいて音楽で生計を立てるのは非常に困難で何か仕事を見つけなくてはならなく、日本食レストランで働く後に巡り合ったのが当時マンハッタンで米国で生活する日本人の子供たちに日本の文化を伝えていこうという主旨で行われていた幼稚園であった。「よい子の学園」という名前だったその幼稚園の子供は永住の子供ばかりだったが今は学校もニュージャージーに移り子供も殆ど駐在員の子供と変わった。今では小学校もでき学校の名前も「ニューヨーク育英学園」となった。2002年3月退職。同9月「英和ニューヨーク」設立。新しい教育活動に乗り出す。2003年11月閉鎖。その後リムジンの運転手を経て現在は2004年10月に開店した三省堂書店ニュージャージー店に勤務。仕事以外はニューヨークのジャズシーンで音楽活動と落語の啓蒙を続けている。
5才でヤマハオルガン教室に通うがいやでしょうがなかったらしく、1年でやめる。
小学校3年頃ギターを買ってもらい独学で練習をする。最初の教則本は古賀政男のもので小学生の癖に「影を慕いて」「酒は涙かため息か」などを練習していた。
中学でブラスバンド部に出入りするようになりトロンボーンを手にする。覚えた曲は「錨を上げて」。
中学3年でピアノを習いたいと思いレッスンに通い始める。幼稚園から続けていればよかったと後悔する。
高校の吹奏楽部に入りホルンを始める。当時はメロフォーンという楽器しかクラブにはなく時々借り物のフレンチホーンを吹く程度であった。トランペットや打楽器などもやる。後に指揮をやり始め合間にサックス、フルートを吹き始める。
高校卒業後アルトサックスを入手しジャズにも取り組み始める。アマチュアの吹奏楽団やビッグバンドで活動する。
1975年 千葉大学に入学するが主な音楽活動は成蹊大学のコンパルサウンズというビッグバンドにて行う。水野修孝氏に音楽理論、作曲法などを学ぶ。
大宮のキャバレーで初めて仕事としての音楽活動をする。その後都内東京近郊で定期的に仕事をするようになる。
1979年3月 フリージャズのアルトサックス奏者鈴木のマー坊をたよってニューヨークへ渡る。テナーサックスを購入。ジャズモービルでフランク・フォスターに師事する。日野元彦、増尾よしあき等とセッションをする。テナーサックスの竹内直と半年生活を共にする。音楽のみならず様々な分野の芸術家と親交を深める。'80年2月半ばニューヨークを後にし、ロサンゼルス、サンフランシスコを回り3月末に東京に戻る。
1981年4月 森寿男とブルーコーツに入団。若干の単位未取得と卒業論文執筆のため活動の合間を縫って学業は続ける。卒論の題名は「ビ・バップの研究」
1982年3月 千葉大学教育学部幼稚園教員養成課程卒業
1983年3月 ブルーコーツ退団。5月再びニューヨークへ渡る。
同年、リン・オリバー・オーケストラに加入。サックスをピート・イェリンに師事。ジャズモービルでフルートをフランク・ウェスに師事。
1983年10月 NO SE NO にて自己のパフォーマンスを開始。
1984年 鎌田しげと、五十嵐ケンの三人でポーキー・ダーリンを結成。8BC,Pyramid,Danceteria,Blue Noteなどに出演。
1986年 パラソール・デザート(ファンクバンド)に加入、ダンステリア、CBGB等に出演。
1986年11月 ジャッキー・バイヤードとアポロ・ストンパーズの一員としてブルー・ノート出演。
1993年 セイフサックス(サックス四重奏)をアルトサックスの小黒和命等と結成。
1994年 J.B.KINGS(フュージョングループ)に参加。メンバーにピアノの加納美佐子。
現在、Townsmen Orchestra、Arnie Mig Orchestra、に所属、皆本剛(Vo)とのボサノバユニット。